【杉本健勇】追い込まれた状況が点取り屋の嗅覚を呼び覚ました! 自身最多ゴール数の原点となったダービー戦!
エースとして君臨したセレッソ大阪から、さらなる高みを求め古豪浦和レッズに移籍。新天地でも確固たる地位を築くべく闘志を燃やす杉本健勇。そんな生粋のストライカーが開花する分水嶺となったのは“伝統の一戦”だった。
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- アスリートの分岐点! vol.6
KENYU SUGIMOTO
TURNING POINT2017年4月16日
Jリーグディビジョン1 第7節
VS ガンバ大阪
Jリーグを代表するチーム、浦和レッズ。その厳しい環境の中、点取り屋として成長すべく日々戦っている杉本健勇。そんな彼のサッカー人生におけるひとつの分岐点は“伝統の一戦”。2017年のJリーグ第7節、古巣のセレッソ大阪時代にライバル、ガンバ大阪と対戦した大阪ダービーだ。このシーズンでJ2から復活を果たしたこともあり、チームは燃えていた。しかし杉本には別の思いが。
「前年の’16年は、自分が点を取るということより、チームをJ1に昇格させることだけを考えて戦っていました。その気持ちが得点という結果にも繋がっていたのですが、いざJ1で戦うことになった’17年は、この試合まで全然点を取れていなくて。次の試合で決めないと、ヤバいなという状態でした」
そんな追い込まれた状態で迎えたダービーのピッチで、杉本は躍動した。前半は両チームともスコアレスだったが後半開始早々に試合が動き、ガンバ大阪が先制。しかし、ここからホームの大声援を受けた杉本が輝きを放った。清武弘嗣の投入で反撃の手を強めたセレッソ大阪のペースで試合が展開していく。
71分には巧みなフェイントでマークを外し、パスを受けた杉本が切れ味鋭いターンからドリブルでペナルティエリアに侵入。そのまま放ったシュートで、ゴールネットを揺らした。
さらに86分には、エリアス・バルボサ・デ・ソウザからのクロスを杉本がドンピシャのヘディングで合わせ、2対1のリードに持ち込むことに成功。しかし試合は、ロスタイムにガンバ大阪の倉田 秋が決めた1点で痛恨のドロー。だが、1試合2得点という杉本の活躍もあり、4万人を超える大観衆を熱狂させた名勝負となった。
「最後に追いつかれてしまったのは、めちゃくちゃ悔しかったですね。自分がもっと点を取るチャンスもあったので、そこを決めきれなかった悔しさもあります。ただ、この試合でのゴールによって、波に乗れたという感覚がありました。’17年のシーズンは、このゴールからはじまった。そういえるかもしれません」
杉本が語るように、この7節を戦ってから迎えた’17年シーズンは、ストライカーとして覚醒する年に。34節中、全試合に出場して、ゴールを量産。自身初の二桁台となる22得点というキャリアハイの記録を叩き出し、川崎フロンターレの小林 悠、浦和レッズの興梠慎三と、最後まで得点王争いを演じた。
「今思い返すと、この試合でなにかが吹っ切れたことが、シーズンの成績にも繋がったんだと思います。この一戦に関しては、別のチームとの試合とはまた違う意味合いもあるというか。やっぱり、ガンバ大阪相手にここまでやれたということも、自分の中では大きかったですね」
大阪ダービーは、ともに大阪をホームとするセレッソ大阪とガンバ大阪がプライドをぶつけ合って戦う試合。懸ける思いも意気込みも違うようだ。
「スタジアムの雰囲気も違うんですよね。ガンバだけには負けたくないというサポーターの気持ちも、試合開始前からものすごく感じるので。そういう雰囲気を作ってくれるから、選手たちの気持ちも自然と入るんですよ。僕ももちろん、燃えてました(笑)。ガンバ大阪とはジュニアユース時代から何度も試合をしてきましたが、相手は歴史的に多くのタイトルを獲得してきたチーム。だからこそ追いつきたいし、負けたくないという気持ちを小さい頃から持っていました。でも、簡単には勝てないんですよね。それまでチームの調子が悪かったはずなのに、なんで俺らとやるときだけめっちゃ強いの? というときがあったりして(笑)」
ガンバ大阪との試合で波に乗った杉本はこの年、日本代表入りも果たす。アジア3次予選の最終戦でデビューを飾り、10月10日のハイチ戦で初ゴールも決めた。
「代表の試合を見たことがサッカーをはじめたきっかけなので、その舞台に立つことをずっと目標にしていました。何試合かに出させてもらいましたが、またそのピッチに立ちたいと思っています」
しかし、その前に3年めを迎えた浦和レッズで成し遂げたいことがあるようだ。
「競争が激しい環境であることはわかったうえで、浦和レッズへの移籍を選びました。しかし、結果を残せていないことは事実。だから今はその事実と向き合い、ここでエースストライカーになる。チームで結果を残せなければ、代表なんてありえません。そしてチームをチャンピオンに導き、今後のキャリアの分岐点になるプレイを見せる。今はそれだけです」
サッカー選手
杉本健勇
KENYU SUGIMOTO
1992年、大阪府生まれ。セレッソ大阪U-18を経て、2010年にトップチーム昇格。’12年の東京ヴェルディ、’15年の川崎フロンターレ移籍を経て、’16年にセレッソ大阪復帰。’17年にはチーム初タイトルとなるルヴァンカップ獲得の原動力に。’19年に浦和レッズに移籍。
TAMURA'S NEW WORK[ワシントン・ウィザーズ]中心に存在感たっぷりに描いた3選手は、上から八村塁とエースのラッドリー・ビール。そして9回に及ぶオールスター選出という実績を引っ提げ、新司令塔として加入したラッセル・ウェストブルック。「チームは主力選手の欠場などで本領を発揮できていない。でも、この3選手のケミストリーに注目したい」と田村
「勇気を与える選手たちを描いた」
NBAでの2年めを迎えた八村塁選手擁する、ワシントン・ウィザーズ。その開幕ロスターを描いたのが、この作品だ。
「NBAは、コロナ禍の影響で通常より2カ月遅れで開幕しました。ウィザーズの開幕ロスターもギリギリまで確定しなかったのですが、そのSNSでの発表を僕の作品でやったら面白いのではということで描かせていただきました。選手の戦う姿を描くことが多いのですが、今回は開幕前なので穏やかな表情も交え、期待感を掻き立てる作品に仕上げています」
当初は日本のアカウントのみでの掲載だったが、現在は本国のアカウントでも掲載されるなど反響は大きかったという。
「NBAの試合が開催されることは、コロナ禍において多くの人に勇気を与える役割も果たしています。僕の作品がそんな彼らの頑張りを知ってもらうことに少しでも役立てたとしたら本当に光栄です」
アーティスト
田村 大
DAI TAMURA
1983年、東京都生まれ。2016年にアリゾナで開催された似顔絵の世界大会、ISCAカリカチュア世界大会で総合優勝。アスリートを描いた作品がSNSで注目を集め、現在のフォロワーは10万人以上。その中にはNBA選手も名を連ねる。海外での圧倒的な知名度を誇る。Instagram:@dai.tamura
雑誌『Safari』4月号 P166~168掲載
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illustration : Dai Tamura text : Takumi Endo photo by AFLO