サンタモニカの次世代シーンを担う若手! エマーソン・ラングロワ-ウルリッチ
サンタモニカで育ち、幼い頃からその波乗りの腕前を高く評価されている若手ローカルサーファー、エマーソン。サンタモニカの老舗サーフショップ〈ZJボーディングハウス〉のサブマネージャーとして活躍している彼は、レジェンドを敬い、ヒストリーを重んじ、その知識と経験を若い世代へ継承する貴重なパイプ役として一目置かれる存在だ。
今月のサーファー
エマーソン・ラングロワ-ウルリッチ
[EMERSON LANGLOIS-ULRICH]
LA内最大級の観光ビーチ、サンタモニカ。多くのハリウッド映画のロケーションともなったこの地で育ったエマーソンは、生粋のビーチボーイだ。幼少の頃からサーファーの父と海に入り、水泳やシュノーケリングに熱中。次第にボディサーフィンを覚え、波に身を任せてフロウする快感を幼いうちから体験していた。
「はじめは波に揉まれることが多かったけれど、ある日、抵抗しないでいればいいことに気づいたんだ。そしたら思いがけないほどスムースに流れていったよ」
そんな彼の感覚を育てたサンタモニカは、映画『ロード・オブ・ドッグタウン』の舞台となった歴史的な場所だ。映画に登場するZボーイズも通っていたライフガードタワー26は、エマーソンも毎日波チェックする大好きなサーフスポットのひとつだそう。
「歴史あるスポットだけに、安定感は抜群だよ。ビーチブレイクだけど安定して波が立つし、スウェルが入ればオーバーヘッドにもなる。特に冬はサイズが上がるので、期待できるよ」
今ではすっかりサンタモニカエリアを代表する名サーファーへと成長したが、その背景には父の影響が大きくあるそう。8歳頃にはじめてキッズボードでサーフィンをした際は、父の姿を見ていたせいか、タートルを含め難なくパドルをこなしてみせた。
「父がそっとボードを押してくれたおかげではじめて立てたんだ。アウトから綺麗にブレイクしたグラッシーな小波で、ボードから伝わる波の振動は今でも思い出せるよ」
以来、父とともに毎日の海通いをはじめたエマーソン。朝の6時に起床し、波チェック後、ゆっくりとコーヒーを淹れて、海へと向かう。休みの日も同じ時間に起きて同じことを行う。この父の朝のルーティーンをエマーソンも重んじることで、どんなときでも平常心をキープできるようになったという。
「スランプというほどではないけれど、ノーズライドに繋がるステップは、予想外にカラダが動かなくて何度も練習したね。習得するまでに1年はかかったけど、そんなときもあまり悩まず安定した気持ちでいられたよ。一度カラダが覚えるとブランクがあっても記憶が蘇るしね」
エマーソンが働く1988年オープンの老舗サーフショップ〈ZJボーディングハウス〉。1号店はマリブにあり、2号店がこのサンタモニカ店
ショップ前には共同オーナーのひとり、トッド・ロバートの写真が
ローカルでは実力あるサーファーとして若いときから名前が知られていたエマーソン。高校生の頃は周囲にコンペティションに出ることを勧められるも、緊迫した空気の中で波に乗るのは自分にとっての喜びではないと感じ、興味を持てなかった。高校を卒業ししばらくすると、彼は地元の老舗サーフショップ〈ZJボーディングハウス〉でアルバイトをはじめる。
「地元のサーフショップで働くことが小さい頃からの夢だったんだ。波やボードのことならほかのサーファーよりも詳しいし、自分の経験を通してボードを販売してみたくてね」
幼い頃より父と一緒に遊びに行っていたサーフショップは、彼にとって大人サーファーたちのコミュニティスペースのように映っていた。波がいい日は多くのサーファーが続々と店に立ち寄り、波がない日でも誰かしらがサーフムービーやサーフラインを見ながら波について熱く語り合っている。エマーソンは、そんなショップを“第2のファミリー”のように感じていた。
「スタッフはいつでもウェルカムでいてくれて、接客で忙しくてもアイコンタクトで挨拶を交わしてくれたんだ。波を愛する気さくな彼らとハングアウトするうちに、いつか僕も迎える側になれたらいいなと夢見ていたんだ」
実際に働きはじめると予想以上に覚えることが多く戸惑ったが、接客を任せられるようになると急に生き生きとしはじめ、苦手な事務作業も積極的にこなした。
「カスタマーのために情報やアドバイスを提供するのは当たり前。僕が目指しているのは彼らとのコミュニケーションを通して信頼関係を築き上げることなんだ。僕は従業員のひとりだけど、接客中は店の顔として会話しているから、完璧なパフォーマンスをしないとね!」
そんな努力が認められ、現在ショップのサブマネージャーとなったエマーソン。高い評価に甘んずることなく、与えられた業務をこなしながら、波やボードの情報も常にアップデイト。最近では、オーナーから直接経営者目線の考え方も教わり、不動産の勉強もはじめたそうだ。
エマーソンの車にはサーフギア&スケートボードを常備
海に行く準備は彼にとってちょっとしたメディテーションタイム。ちなみに愛車は環境へ配慮して選んだ“プリウス”!
ショップスタッフとして活躍する傍ら、実はサンタクルーズのカレッジで経営学を学ぶ現役大学生でもあるエマーソン。週4日ほど授業を受けなければならないのだが、コロナのおかげで現在はすべてオンライン授業。好きな場所で勉強ができるので、天気がいい日はビーチに車を停めて課題をこなすときもあるんだとか。
そんな二足の草鞋を履く彼のライフスタイルはとてもシンプルでヘルシー。早朝からの波チェックにはじまり、小一時間海に入った後、自宅で朝食をすませ部屋を掃除する。サーフショップでの仕事は午前11時から開始。ほぼフルタイムで入っているが、ショップでの経験が授業のレポートに役立つこともあるんだとか。午後6時に仕事が終わると学校の授業を受ける。課題を終えるのに深夜までかかることもあるが、就寝前はネットでサーフビデオを見たりビーチでのトレンドを検索したりと、とにかく波乗りに関するリサーチを怠らない。
幼い頃よりサーフィンの腕を磨き、ローカルサーファーとして名が知れ渡っていた彼。大会に出れば上位入賞しスポンサーも獲得できると、周囲から勧められてきた。さらに、かつて女優として活躍していた母親譲りのルックスで、サーフモデルとしての道も用意されていたそうだ。そんな華やかな背景に甘えず、自分で努力を重ね謙虚な姿勢を崩さないエマーソン。サーフスタイルも自分が愛するファンサーフを貫いてきた。目下の目標は、多くの若手サーファーを育てていくことだという。若くして地に足の着いた彼の在り方は、彼の周囲をはじめとする若い世代のお手本といえそうだ。
助手席には必需品が。ワックスにはガールフレンドから、“愛してる、ウザくてごめん”と、手書きのメッセージ
愛用のスケボーはサーフボードでも有名な“アルメリック”製。特殊なトラックを使用し、陸でも波乗りの感覚で滑れる
●ホームポイントはココ!
ライフガードタワー26[LIFEGUARD TOWER 26]
その名のとおり、ライフガード塔の26番があるビーチで、サンタモニカ・ピアを正面に右手に位置。年間を通して安定して波が立ち、スウェルが入るとオーバーヘッドも期待できる。ローカルたちのチルスポットとしても人気。
雑誌『Safari』3月号 P186~187掲載
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photo : Yoshimasa Miyazaki(Seven Bros. Pictures) text : Momo Takahashi(Volition & Hope)