【ストリーツ海飛】フェンシングで全米王者となり見えてきた次の目標! オリンピックで日本代表として世界に挑む!
フェンシングのサーブル日本代表として、五輪出場確定を目指すストリーツ海飛。幼少期から頭角を現し、活躍してきた彼の強さの秘密は、利他の心をもって戦ったターニングポイントの試合にあるのかもしれない。
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KAITO STREETS
TURNING POINT2014年3月23日
NCAAフェンシング
チャンピオンシップ
北京オリンピックで日本人初の銀メダルを獲得した太田雄貴の功績と尽力で、日本でも注目度の高い競技になりつつあるフェンシング。その未来を担う選手として期待を集めているのが、男子サーブル東京オリンピック代表候補のストリーツ海飛。幼少期に渡米したアメリカでフェンシングをはじめ、9歳のときに全米大会10歳以下部門で優勝。15歳でアメリカ代表として出場した世界大会で3位入賞を果たすなど、早くからその才能を開花させる。そんな“フェンシングエリート”の彼が語る分岐点は、NCAAフェンシングチャンピオンシップだ。全米の大学代表チームと個人のチャンピオンを決めるこの大会で、海飛はチームのために戦い結果を残したという。
「チャンピオンシップに出場したのは、ペンシルベニア州立大学在学中の2年生のとき。1年生では代表になれなかったので、念願の出場でした。大会自体は、2日間にわたって出場選手が総当たり戦を行い、総合得点で優勝大学を競います。さらに、そこから上位4選手が個人のトーナメント戦を行い、個人優勝を決定します。この大会で団体、個人ともに優勝を果たすことができました。でも、大会中は自分が勝ちたいというよりも、自分が勝ち続ければチームポイントが加算され、団体優勝できる。だから頑張ろうという気持ちしかありませんでした。初戦は同じ大学の先輩との対戦で、僕は負けてしまいました。でも、そこでかけてもらった言葉でスイッチが入ったんです。“この一戦のことは忘れて、後の試合は相手を倒し続けて一緒に優勝しよう”と勇気づけてくれました。団体戦後の個人トーナメントでも、一番大きな声で応援してくれたのはその先輩でした」
2戦め以降は、怒涛の快進撃だった。初日は、初戦以外の14戦は連勝を重ねた。
「初日の予選は1試合で5ポイント先取した選手が勝利する方式。試合時間も3分という短期戦なので、実力に加え、高い集中力がないと勝つことはできません。だから、試合がはじまってからは目の前で対峙している選手だけを見て、1ポイントずつどう取るのかしか考えていませんでした。自分が14連勝したことは、全試合が終わったときにチームメイトに教えてもらってはじめて知りました(笑)。それくらい集中していたんです」
2日めは全8試合中、2戦落としたが、ペンシルベニア州立大学の団体優勝に大きく貢献。さらに個人ランキングではトップに躍り出て、個人での決勝トーナメント出場の切符も手に入れた。
「初出場でここまでこられたのだから、あとは最後まで楽しみながら頑張ろう。そんな気持ちで、個人トーナメントに挑みました。もちろんやるからには個人でも優勝という思いもありました。でも、もともとチームのために頑張ろうという気持ちが勝っていたし、団体優勝できたことが本当に嬉しかった。だから、どこか吹っ切れた気持ちで戦えたんです」
選手権初出場にして獲得したのは、団体優勝に加え、個人での全米チャンピオンというダブルタイトル。これは、本人もチームメイトも驚きの快挙だった。
「NCAAフェンシングチャンピオンシップに出られるのは、その出場権をかけた大会の上位8名の選手だけ。僕はその大会で、ギリギリ8位でした。そんな僕がいきなり優勝してしまったので、周囲は本当にびっくりしていました(笑)」
全米王者になり、次になにができるのかを考えはじめた。オリンピックという新たな目標が明確になった瞬間だ。
「たとえば、バスケットボール選手だったらNBAが夢の舞台ですが、フェンシングという競技で最も大きな舞台といえばやっぱりオリンピック。でも大学チャンピオンになるまでは、その夢を自分が叶えられる実感がありませんでした」
その夢が輪郭づきはじめた半年ほど前に、東京オリンピック開催が決定。そして、ダブルタイトルを獲得し、大学で名誉学生に選ばれたことを家族に報告。そのときに、“日本人として五輪出場を目指してほしい”という母の思いを聞き、自分のルーツである日本を代表して世界の頂点を目指す決意を固めた。
「フェンシングは個人競技ですが、必ずしも1人で戦っているわけではない。それは、チャンピオンシップで感じたこと。メダルを狙う想いももちろんありますが、家族や仲間、日本のみなさんに誇りと感動を与えたい。その気持ちのほうが強いです。そしてなによりも、自分より世界ランキングが上位の競合選手を倒して、今度は世界をびっくりさせたいです」
フェンシング選手
ストリーツ海飛
KAITO STREETS
1994年、神奈川県生まれ。7歳のときに渡米。8歳でフェンシングをはじめ、各年代別部門で優秀な成績を残す。ペンシルベニア州立大学卒業後、2014年に帰国。2017年と2019年に全日本選手権で優勝。今年の2月に、〈エドックス〉のアンバサダーに就任。
TAMURA'S NEW WORK[GRIT NATION 渋谷]あえて顔の表情を描いていないのは、作品を見たトレーニーが自分を投影してほしいから。大胆なトリミングで躍動感を強調した
壁一面にずらりと連なるとサイズ感もあるので迫力満点
グループでのサーキットトレーニング(現在はコロナ禍で内容に変更あり)の一体感を表現。この作品の前は撮影スポットになっていて、これもモチベーションアップに貢献しているのだとか
「気持ちを切り替えるための作品」
今回紹介するのは、渋谷のミヤシタパークにあるワークアウトスタジオのために描いた作品。いつもはアスリートのイラストで表現している躍動感が、また違ったスタイルで描かれている。
「この作品は、スタジオの通路に飾るために描いたもの。更衣室で着替えたトレーニーたちがスタジオに向かう途中、この通路を歩くことで気分を上げてほしい。そんなコンセプトで描きました」
アイデアの着想源は、かつて田村がNBAを訪問したときの体験なのだとか。
「ウォリアーズの選手がロッカールームからコートに向かう際に通る通路を、特別に見せてもらいました。その壁には歴代の名プレイヤーの写真がずらりと飾られていたんです。選手のモチベーションを高めるための通路。僕の作品にも、そんなふうに気持ちのスイッチを入れてもらえる力があったら嬉しいですね」
アーティスト
田村 大
DAI TAMURA
1983年、東京都生まれ。2016年にアリゾナで開催された似顔絵の世界大会、ISCAカリカチュア世界大会で総合優勝。アスリートを描いた作品がSNSで注目を集め、現在のフォロワーは10万人以上。その中にはNBA選手も名を連ねる。海外での圧倒的な知名度を誇る。Instagram:@dai.tamura
雑誌『Safari』6月号 P214~216掲載
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illustration : Dai Tamura text : Takumi Endo photo by AFLO