元プロサーファーの経験が名ボードを生む
ヴェニスビーチで生まれ、生粋のヴェニスっ子として育ったジャスティン。ジュニア時代からプロサーファーとして活躍し、名声を得てきたサーフ界の寵児だ。しかし、現在は賞レースから離れカスタムボードを作るシェイパーへと転身。そこに至るまでの葛藤と、彼の波乗りへの絶えなき愛情に迫ってみた。
●今月のサーファー
ジャスティン・ スウォーツ[JUSTIN SWARTZ]
今ではお洒落なビーチタウンとして有名なヴェニスビーチ。かつては今ほど観光地化されておらず、ヒッピーやアーティストが多く住むユートピアだった。ミュージシャンでありサーファーだったジャスティンの父もこの地を気に入り、移住。やがて誕生したジャスティンは、物心ついたときからいつも父と海で遊んでいた。
「はじめてボードをもらったのは6歳のとき。父からスコット・バークの4' 2"のボードをプレゼントされて以来、毎日のように海に通っていたよ。その頃は子供用のウェットが入手困難だったから、レドンドビーチのサーフショップまで探しに行っていたよ」
海に通うたび確実に上達していったジャスティンは、10歳からジュニア大会に出場。それ以降、大会で知り合った仲間や先輩たちといろんなスポットでサーフィンを楽しむように。休みに入ると遠くまでサーフトリップに出かけるようにもなった。いい波を求めて、南はサンディエゴやバハ・カリフォルニア、北はサンタクルーズやサンフランシスコまでロードトリップを敢行。そんな彼のさらなる新境地が開けたのは、憧れのプロサーファーのストライダー・ヴァシレフスキのハワイキャンプに参加したことだった。
「ある日サーフイベントで彼を見かけ、『ハワイキャンプに参加できないか?』と冗談で聞いてみると、意外なことに2つ返事でOKがもらえたんだ。正直、ホノルル空港までは半信半疑だったけれど、約束どおり現地で出迎えてもらった後は、ノースショアはもちろん、いろんなシークレットスポットへと案内してもらった。そんな最高の経験をして、自分の直感に従って行動すれば間違いないと知ったよ」
それ以降ジャスティンは、お金を貯めてはオーストラリア、コスタリカ、カリブ諸国、フランス、スペインなどを1人で巡礼。その貴重な経験が彼のスキルを向上させ、18歳になる頃には見事ジュニアプロへと転向。〈クイックシルバー〉をはじめ、サーフブランドや地元のサーフショップにスポンサードされながらWQSなど多くの著名な大会に積極的に出場した。世界順位でもベスト20入りを果たし、人々の記憶に残るサーファーへと成長していった。
当他人と競う波乗りに疲れてしまったのは、プロサーファーとして依然活躍をしていた20代半ばに差しかかる頃だった。実績も名声もあったジャスティンだったが、大会に出場し続けるプロとしての生活に疲れを感じ、人生の方向転換を考えるようになっていた。そこで、“競技としてのサーフィン”から離れて頭の中をリセットするため、休暇をとってヨーロッパへと旅立つことを決意。そこで、彼のシェイパーとしてのキャリアが開けることとなる。
「旅先で借りた〈マンダラ〉の10フィートのボードを使ったときに、板の優秀さや波との相性に感動したんだ。そこで改めてシェイパーを生業にしよう、と覚悟したのさ」
もともとボードビルドに興味を持っていたジャスティン。10歳頃から隣街の〈アンダーソンサーフボード〉のシェイプルームに通い、シェイパーたちとも交流があった。そんな経験も功を奏して、トリップから戻るとすぐさま試作と試乗を重ねる日々が続いた。
「はじめはシェイプルームの掃除や搬出などの雑用もやりながら、作業工程を少しずつ教えてもらったよ。必要な専門知識を吸収するたびにすごく興奮したね」
そんな、情熱と試行錯誤のうえに出来上がった彼のボードは、瞬く間に口コミで評判に。ライダーのスキルや特徴に合わせて細部まで工夫を凝らしたカスタムボードは、特にエキスパートサーファーに人気となった。ジャスティンは、乗る人の経験値や身長、体重などからはじまり、よく訪れるサーフスポット、好みの波やサイズなど細かい情報を計算し、ボードに落としこんでいく。これも、自身がプロサーファーとしてハードな波を乗りこなしてきたからこその気配りといえるだろう。
機能性だけでなく個性的な見た目も彼のボードが人気を集める理由のひとつ。板に施された美しいアートワークは、実は彼自身によるもの。
「グラフィティを駆使したカラフルなアートは僕のオリジナル。でも、見た目だけではなく、結局ライダーにちゃんとフィットした板にするためベストを尽くすのが自分の哲学だね」
昨年、生まれ育ったヴェニスを離れ、マリブの隣街、オックスナードに引っ越したジャスティン。現在は農場が広がるこぢんまりとしたビーチタウンで、妻のレジーナとサスティナブルな生活を満喫している。
朝は5時に起床。ヨガとメディテーションを行い、軽く読書をした後にメールチェック。妻と朝食を取った後に波がよければサーフィンへ。その後シェイプルームで作業を開始するというのが朝のルーティーンだ。時間を見つけては妻とカシューナッツミルクを作ったり、マフィンを焼いたりもする。食事は基本的に外食せず、妻と一緒に家で作るという徹底ぶり。
「とにかく手を動かしてなにかを作ることが好きだから、日常の中で可能な限り妻とふたりでホームメイドを楽しんでいるんだ」
パートナーである妻のレジーナは、エキゾチックなアイテムを扱うオンラインストアを運営。そこでは、彼女が作ったボードケースやアパレルをはじめ、美しいハンドメイドアイテムを販売している。そんな妻のビジネスのサポーターとしての顔も持つジャスティン。去年は、そこで販売するアイテムのバイイングとサーフトリップも兼ねて、彼女の故郷であるウズベキスタンからヨーロッパ、そしてモロッコなどを旅したのだそう。そんな2人の目下のプロジェクトは、自宅のインテリアを完成させること。1階のスペースを、ボードや妻のアイテムを販売するショールームにする計画だとか。
妻との日常や旅、仕事などからインスピレーションを受けつつ、ジャスティンはこれからもより個性的なボードを生んでいくのだろう。
ブレイクウォーター[BREAKWATER]
ヴェニスビーチのスケートパーク近くにあるポイント。サンドブレイクで一年中波が立ち、ショートからロングまで楽しめる。観光客やビギナーも多いがスウェルが入るとオーバーヘッドまで波が上がり、上級者でも十分楽しめる
最初の工程でもあるオリジナルテンプレートで型をとる作業は、いつも妙に気が引き締まるそう
自身が削った8' 4”のボードで乗りこなしたのは、メキシコ本土でのダブルオーバーの波
彼のボードのブランドマークは、ジャスティン自身の黄金の左手をかたどったもの
そのマークがこちら。文字ではないのが個性的だ。デザインを勉強したこともあって、オリジナリティを常に追求している
ビジネスパートナーでもある妻のレジーナ。朝のコーヒーには手製のカシューナッツミルクを入れるのがおきまり
南アフリカの超有名スポット、ジェフリーズベイをおさめた、お気に入りのサーフ写真集。彼の癒しアイテムだ
雑誌『Safari』6月号 P250・251掲載
“波乗り一代記”の記事をもっと読みたい人はコチラ!