【マイケル・ジャクソン】世界中に多大な影響を与えた真のすごさとは!?
亡くなって14 年がたつ現在も、“キング・オブ・ポップ”の称号とともに世界中から愛され続けているマイケル・ジャクソン。圧倒的なパフォーマンスと同時に、数々の奇行も話題をさらってきた。そんな偉人をモーリーはいったいどう見ている!?
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- アメリカ偉人伝! vol.10
1988年に行われた「バッド・ワールド・ツアー」の一幕。カリフォルニア州のアーバイン・メドーズ・アンフィシアターにて撮影。ソロとして初のワールドツアー。初演には日本が選ばれ、テレビでも放映された
マイケルが『スリラー』を出したときは、もう本当に大騒ぎでした。僕はハーバードの2年で、あの年の夏休みをよく覚えています。春に「ビリー・ジーン」が出て、夏には彼の曲がラジオで流れまくりました。スキャンダル以前の彼の勢いは本当にすごかった。最終的には身体の無理がたたり、主治医に薬を注射してもらっているうちに死んでしまいました。でも転落とはいえないよね。最後のライブのリハーサル風景も、やっぱりすごかったですから。
彼は子供のまま大人になったような人。ネームバリューと資産があまりにも巨大化し、いろんな人に借金したり、莫大な額の買い物をしたりした。世間が認める自分と、本来の自分との乖離が、奇妙な行動を後押ししたと思います。そうした面を総合的に見つつも、黒人専用だった音楽を世界的なメインストリームに引き上げた部分、その貢献度を評価しなければなりません。なにをどうやっても、彼の表現はすべてモータウンやR&Bにルーツがある。つまりアフリカ系アメリカ人の音楽文化の伝道師として、世界の隅々にまで広め、ユニバーサル・ランゲージにしたんです。
当時は「白人には黒人の音楽はわからない」とされた時代。その時代に、あえて白人のマーケットを取りにいったのがマイケルです。プリンスも同様に革新的だったけど、マイケルは桁違いにユニバーサル。もはや黒人とすら思われず、白人至上主義者でさえ聴かない人はいない。それが彼の恐ろしさです。マイケルについて見誤りがちなのは、黒人音楽のルーツにこだわって、細かく分析してしまうこと。それをやると本当のすごさはわかりません。読者のみなさんには、是非マイケルの視点で想像してほしいですね。
時代の音楽が移り変わっていく中で、マイケルにはなにが見えていたのか。彼の表現を内側から理解してみると、フワッと時代が変わっていくような、奇跡の技を達成していることがわかります。エンターテイメントとしての奇跡的な完成度は、まさに革命です。代償として数々の奇行があるわけだけど、そのギリギリのすごみを味わいたい。曲はヨシ、奇行はダメというふうに仕分けてしまうのは、もったいないと思います。誰でも同じだけど、それぞれの時代を生きてきたすべてが、その人のキャリア。だからマイケルも、毒を含めて味わうのが正解です。
当時のアメリカで、どのようにしてマイケルがヒットしたか。鍵になるのはサバーブ(郊外)です。成功した白人は、街から離れて郊外に移住します。そして『フットルース』的な白人社会が形成される。裕福な黒人が家を買おうと思っても、まず銀行でローンが組めません。都市と郊外には、超えられない壁があったわけです。そんな時代に、マイケルは電波の力で壁をぶち抜いた。郊外の若者がデートに出かけるときのカーラジオ、あるいは金曜夜の体育館のダンスで、彼の曲がかかる。音楽ですら白人と黒人が明確に区別されていた時代です。彼はそこに乱入し、あらゆる人に影響を及ぼした。これは個人的な意見だけど、公民権運動と同じくらい世の中を変えたと思います。
僕が『スッキリ』で披露した“モーリーダンス”が話題になりましたが、実はアレ、別のお仕事で仲よくなったダンサーの先生にレッスンを受けていて、そのスピンアウトなんです。その先生に「これがマイケルよ」と踊ってもらったことがあるのですが、まず重心の置き方が独特。自分でもやってみたけど、まあ無理です。先生のお手本でメカニズムがわかると、彼のすごさが理解できて、とても新鮮でした。とはいえ、彼のダンスはバレエのように超人的なものではなく、ストリートダンスのように身近なもの。すごくはあるのだけど、理解しやすくもあって、最初の数段は誰にでも上れます。そういうダンスだからこそ、万人を感動させることができたのかなと思いますね。
話題の宝庫!
友人だったブルック・シールズとの写真は、1984年にNYの自然史博物館で撮影されたもの。マイケルは彼女に求婚したという噂もある
マイケルが主演・原案・製作総指揮を務めたミュージカル映画『ムーンウォーカー』。日本や欧州では劇場公開されたが、アメリカでは予算の問題で公開されず、後にビデオソフトとして発売された
ハーフタイムショーは語り種!
圧倒的な迫力で観衆を魅了した、1993年のNFL スーパーボウル・ハーフタイムショー。以降、豪華なハーフタイムショーが恒例になった
マイケルのサウンドに大きな影響を与えたのがマーヴィン・ゲイ。真偽は不明だが、特に「Got to Give It Up」という曲は、マイケルが構成を参考にし、彼の転換点になったという説もある。気になる方はユーチューブで視聴可能だ。
プレスリーの娘で元妻のリサ・マリーが死去!
今年1月、エルヴィス・プレスリーの娘で、マイケルの元妻であるリサ・マリー・プレスリーが亡くなった。自宅での心臓発作だったという。わずか2年間という短い結婚生活だったが、マイケルの命日には「彼を救いたかった」と語っていた。
教えてくれたのは
[モーリー・ロバートソン]
Morley Robertson
1963年、NY生まれ。日米双方の教育を受け、東京大学とハーバード大学に現役合格。現在はタレント、国際ジャーナリスト、音楽家として幅広く活動している。日本テレビの情報番組『スッキリ』の毎週木曜日にレギュラー出演中。
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尊敬の念が強すぎて拝むだけで満足!?
「彼になれるといわれたら、たぶん“なる”と答えます。でも、なにかヤバいものを感じるので、やっぱり遠くから拝んでいたいかな。彼のスネから下なら、なってみたい!?」
前回の“アメリカ偉人伝は”
◆【スティーヴン・スピルバーグ】世界的巨匠が作品世界に込めた“ある視点”とは!?
雑誌『Safari』4月号 P234~235掲載
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text : Kunihiko Nonaka(OUTSIDERS Inc.)
photo by AFLO