スーパーボウルでのラマーのパフォーマンスは、黒人の社会的な地位向上に貢献したという見方が日米でされています。非常に巧妙な演出だったと。コンプトンというスラム街の出身であることをオブラートに包まず表現し、狂言回しのアンクル・サム役をサミュエル・L・ジャクソンが務めました。彼が演じたのは「黒人側の妥協を象徴する存在」とされていますが、これはちょっと薄い読み方。そう単純ではありません。
かつて黒人たちはブラックパワーを語ることを許されず、白人が望む黒人を演じる人しか評価されませんでした。オバマの頃までに少しずつ歩み寄り、序列そのものをなくす方向性が生まれた。ところが、トランプ前後に怒れる白人の巻き返しが起きる。その作用・反作用としてギャングも先鋭化します。それからBLM運動。白人警官の暴力も問題だけど、ゲットーには警察を跳ね返す犯罪力がある。その治安の悪さたるや凄まじく、成功した黒人家庭が子育てしたいとは思いません。そして取り残された人だけが永遠に住み続ける。中産階級の黒人が出現しても、資産がコミュニティに還元されないんですね。その絶望から、ギャングスタラップの攻撃性が増すのです。
カラーギャングによる攻撃的なラップが出てきたのは'80年代半ば。スーパーボウルでセリーナ・ウィリアムズが披露したステップも、実はギャングが敵に勝ったときにするものです。また「ラバと土地」の話も出てきます。これはいわゆる“破られた約束”のこと。奴隷解放の際に連邦政府が支援を約束したのですが、南部諸州の反対で反故になった。そこから長い時間をかけて公民権を勝ち取ったわけですが、反対勢力が金持ちと組み、トランプに至っています。
ラマーのショーは、その対立が険しくなっていることを物語ります。彼の才能を感じるのは、それをトランプの前で、全米で最も視聴される番組でやったこと。いろいろな問題をうまく示唆しました。アンクル・サムのサミュエルは﹁やりすぎると危ない﹂と諭す。まるで白人に媚びを売るアンクル・トムです。彼が訴えるのは、誰が大統領になっても、歴史と向き合いたくない部分がアメリカ社会にあるということ。その演技が本当に素晴らしく、たしなめつつも喋り方が次第に変わり、最後には完全に黒人奴隷の言葉遣いになる。要所でピリッとした演技を見せ、一般社会との橋渡しをしました。
いろいろな意味で、クラフトマンシップの高いショーでした。メッセージを維持しつつ、ゲットーらしさも出し、放送禁止用語を抜いて番組を切らせなかった。アンクル・サムは本来のアメリカの姿。ラマーはスラムの現実をラップしているように見えて、実は現在の社会状況や政府、金持ちを風刺した。スターでありながら、最後までやりきったのはすごい。
ギャングのファッションやライフスタイルは、オンラインのメディアと相性がいい。男たちは麻薬で稼いで金ピカ、女の子たちは水着のような卑猥な格好。変な話、治安が悪いほど見せものになる。外からは極端に歪んだ像が見え、その偏見を逆手に取ってまた歌にする。黒人の地位は上がらず、一方でスターは消耗品のようにどんどん出てくる。ラマーのように全米に認められる人も出るけど、そもそも消耗率が高すぎます。2パックもビギーも殺されてしまいましたから。
ラマーは無視できない存在になったからこそ、この先が挑戦です。彼の言葉が普遍性を維持する限り、同じ境遇にない人にも説得力をもつ。でも形骸化しやすい表現形式なので、蔑視を含みながら愛でられる感じに陥る可能性はあります。本物でい続けるという以上、そこに生まれる必然的なアンバランスをどう解決していくのか。本当に際どい線を走っていて、だからこその格好よさが若い人の心を掴んでいるともいえますね。
教えてくれたのは
[モーリー・ロバートソン]
Morley Robertson
1963年、NY生まれ。東京大学とハーバード大学に現役合格。現在はタレント、国際ジャーナリスト、音楽家など幅広く活動中。最新著作『日本、ヤバい。「いいね」と「コスパ」を捨てる新しい生き方のススメ』(文藝春秋)発売中。
?(判定不能)/100
影を落とすことのないふたつの矢印が彼と僕
“アメリカ偉人伝”の記事をもっと読みたい人はコチラ!
photo by AFLO