【アンディ・ウォーホル】ポップアートの奇才はなにを企み、なにを夢見たか!?
ポップアートの旗手として、誰もがその姿や作品を思い浮かべることができるアンディ・ウォーホル。とはいえ、彼がいったいどんな人物だったのか、いまいちピンとこない人も多いのでは? そんなアーティストの実像を、モーリー流の視点で読み解くと、どうなる!?
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- アメリカ偉人伝! vol.4
ニューヨークのユダヤ博物館にて、「20世紀のユダヤ人10の肖像」というシルクスクリーン・プリントのシリーズの前で撮影されたウォーホル。1980年、52歳の頃
ウォーホルについて語るなら、まず彼が育ったピッツバーグの街からはじめるのがいいと思います。こぢんまりとした炭鉱の街で、険しい山中の盆地にあります。硫黄のようなコークスの臭いがずっと漂っている。その街に、チェコスロバキアから移住してきた一家に生まれたのがウォーホルです。この時代、東欧から大量に移民が来て、極貧の中で辛抱強く働きました。粗末な住居で、栄養失調になるほど食べ物が買えない。そんな困窮した生活をしていたんです。
ウォーホルの場合、それが大事な初期条件。有名なキャンベル缶の絵がありますが、幼いときに食べ物に困り、そういうスープを薄めて食べた。あの缶詰が希望であり、贅沢だったんです。それに加えて、8歳のときに脊髄の病気になりました。副作用で皮膚が荒れ、光に過敏になって視力が低下し、髪の色も薄くなった。それで1年間、学校に行けなくなりました。その間、溺愛する母がいろいろな雑誌を与え、彼のスターへの憧れ、執着心に繋がります。ウォーホルは著名になって以降が語られることが多いですが、実はその根源が原体験として蓄積されていたんです。
アートを学んだウォーホルはピッツバーグから抜け出し、ニューヨークに飛んであちこち営業しまくりました。そのうちに大手誌に採用され、瞬く間に上流階級が読むお洒落な雑誌に寵愛されます。彼はイラストにダメ出しされると、翌日には完璧なものを持ってきたそうです。理想的な下請けとして業界に適応し、頭を下げて営業した。この前提があると、彼のイメージも違ってくるはずです。
彼はキャンベル缶の頃から、広告代理店的にセンセーショナルにやっていくと決意しました。あえて「誰にでもできる」といって挑発し、興味本位のスターやセレブが集まるようになる。でもそういいながら、実は誰も真似できないところに自分を置いていました。
彼の独特な色使いは、光に対する視覚過敏が関係していたという説もあります。実際に努力もしていたし、感覚的な自分らしさを極めていた。ところが、どうしても世間は表面的なところに驚き、呆れ、騒ぐ。ウォーホルはそこに薪をくべるんです。薪をくべるごとに、彼固有の名人芸を研ぎ澄ませていく。だから誰かが真似をしても、まったく価値をもたなかったんです。
そのマジックはなにかと考えると、やはり極貧の経験が大きい。彼にとって大量生産、その象徴たるスーパーマーケットは、貧困を解決する福音でした。彼の作品は資本主義へのアイロニーであると同時に、本当に真っ直ぐなアメリカンドリームでもあるわけです。そう考えると、見え方が全然違うはず。スターを夢見る地下アイドルやユーチューバーのマエストロ版といえるかもしれません。
表面的に見れば、ウォーホルは見世物小屋的なやり方や商売人の側面が印象に残りますが、今回僕も認識を新たにした部分があります。貧困などの様々な不具合を最大限に利用した、いわばアメリカンドリームだったと。また、やはりセンスがよくて、しかも下請けの仕事を納期どおりに納めていた。それがずっと彼の下地にあったと思うんです。
彼は限定的なメディアの中で注目を浴び、競争相手のいない状態を作ることに成功しました。同じことをインスタでできるかというと、もはやなにをやっても難しいと思うんですよ。今の時代、話題になるための敷居は低くなった。でも、特別ななにかを感じさせる人の絶対数は、昔とそれほど変わらない気がします。それを考えると、やっぱりウォーホルはすごい。彼は「こうなるんじゃないか」と見通して、いくつか大当たりさせています。その都度、状況に合わせて戦術を動的に変えている気がしますね。有名になったキャンベル缶をシリーズ化するのではなく、うまく変えている。そこに優れたセンスとプロデュース力を感じます。
ブルック・シールズのアニバーサリーパーティで、キース・ヘリングと写真に収まるウォーホル。2人は良好な関係だった
1985年、マンハッタンのギャラリーにて、共同制作した絵の前でポーズをとるジャン=ミシェル・バスキアとウォーホル。親子ほども年が違うが、2人は深い交友関係にあり、合同展なども開催していた
1965年の撮影。女優・モデルで、“ファクトリー”のミューズだったイーディ・セジウィックと、エンタメ界のプロモーターであったチャック・ウェイン。ウォーホルは美男美女を周囲に集めるのを好んだ
ウォーホルについて詳しく知りたい方は、YouTubeで視聴可能な『BBC ModernMasters』という番組が詳しい(日本語字幕なし)。また、ネットフリックスでは『アンディ・ウォーホル・ダイヤリーズ』というドキュメンタリーが公開されている。
「アンディ・ウォーホル・キョウト / ANDY WARHOL KYOTO」
アンディ・ウォーホル《三つのマリリン》1962年
アンディ・ウォーホル美術館蔵
©The Andy Warhol Foundation for the Visual Arts, Inc. /Artists Rights Society(ARS), New York
イラストレーター時代の作品から最晩年の作品まで、様々な視点からウォーホル作品を紐とく展覧会が開催。「ウォーホルと日本そして京都」と題した章では、ウォーホルが私的に収集した日本にゆかりのある品々も展示される。
●会期:2022年9月17日(土)~2023年2月12日(日)
●会場:京都市京セラ美術館 新館「東山キューブ」
●開館時間:10:00~18:00(入場は閉館の30分前まで)
●休館日:月曜日(ただし、祝日の場合は開館)、12月28日~1月2日
教えてくれたのは
[モーリー・ロバートソン]
Morley Robertson
1963年、NY生まれ。日米双方の教育を受け、東京大学とハーバード大学に現役合格。現在はタレント、国際ジャーナリスト、音楽家として幅広く活動している。日本テレビの情報番組『スッキリ』の毎週木曜日のレギュラー出演でもお馴染み。
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憧れと同時に大いに危険もはらんでいる!
「リスペクト度合いは70点。辛い境遇から本当によくやったと思います。でも、自分のひと言が世界を動かすような承認欲求は、ひと昔前のものですね。現代では危険すぎます」
前回の“アメリカ偉人伝は”
【ジョン・F・ケネディ】第35代アメリカ合衆国大統領の真実の顔とは!?
雑誌『Safari』10月号 P186~187掲載
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text : Kunihiko Nonaka(OUTSIDERS Inc.)
photo by AFLO