【ジョン・F・ケネディ】第35代アメリカ合衆国大統領の真実の顔とは!?
43歳の若さで第35代アメリカ合衆国大統領に就任し、そのわずか2年10カ月後に暗殺されてしまったJFKことジョン・F・ケネディ。一触即発のキューバ危機を乗り越え、アメリカ史を変えたとされる男を、モーリーはどう見ている!?
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- アメリカ偉人伝! vol.3
1960年7月に行われた民主党全国大会のために、ロサンゼルスに到着した上院議員時代のケネディ。圧倒的な票を得て、民主党の大統領候補に指名された。大会最終日の演説では「ニューフロンティア精神」を高らかに掲げた
ケネディはひとつの時代ともいわれるアメリカ大統領です。アメリカが最も繁栄し、世界から憧れられていた時代に、その力の頂点に立ちました。亡くなった後もアメリカの理想であり、象徴のような存在であり続けました。ただ、現在ではそうした神格化も薄れつつあります。だから今後、ケネディ暗殺にまつわる秘密も明らかになるかも。たとえばマフィアが絡んでいたとかね。マフィアの力を借りて当選しておきながら、弟のロバートが司法長官になり、マフィアをどんどん解体した。この仕打ちはなんだと。その報復で暗殺されたという説も出てきています。
ケネディ家を語るとき、よくキャメロットという言葉が出てきます。キャメロットとは、中世ヨーロッパで熱烈に愛読された『アーサー王物語』に出てくる王の宮廷です。若き騎士たちが試練を乗り越えて聖杯を探し、乱れた世を救済する騎士道ロマンス。神に選ばれし王の姿をケネディと重ね合わせた。ケネディと大統領選を戦ったニクソンは、「ハーバード出のお坊ちゃんには、君たちの痛みはわからないぞ」と枯れた声で演説しました。でも、当時のメディアや国民はニクソンのようなベテランではなく、キャメロットのように輝くスターを求めた。こうして若々しい大統領が、民主主義の理想を掲げて颯爽と登場したわけです。
キューバ危機というのは、米ソが互いに核実験を繰り返しながら、距離が近づきすぎた結果でした。キューバはフロリダからセスナ機で1時間くらいの距離。そこへ核搭載可能なミサイルをソ連が持ち込んだ。当時のソ連のリーダーはフルシチョフで、何日もやり取りして危機回避に至りました。この過程を描いた『13デイズ』という映画もありますね。ケネディは、ここでさらに果断な対応に出ます。核戦争で勝つというオプションから手を引き、デタント(緊張緩和)まで話を進めました。ホットな争いを冷戦に持ち込んだ。米ソが緊張緩和に向かった直後、ケネディは大学生向けの演説で「ソ連の人々も同じ人間だ」というような話をします。要はデタントとは、'30年代から続くレッド・スケア(赤の恐怖)の考えを変えることでした。社会の意識や空気を変えたのは、アメリカ史における大きな功績といえます。
それともうひとつ。ケネディがまだ上院議員だった頃に、アルジェリアで演説しています。アルジェリアは当時フランスの植民地で、独立運動が激化していました。そんな折にケネディは「フランスは民族自決(独立)を認めるべきだ」と語りかけた。ヨーロッパ的な植民地主義の秩序、その残滓にとどめを刺したわけです。その後の大統領で、そこまでやれた人はいません。ケネディは白人やキリスト教だけの世界観ではなく、ある種の多文化共生を考えていたと思います。
では、もし現代にケネディがいたら、ウクライナ戦争は防げたか。キューバ危機当時のフルシチョフは、なによりも核戦争を恐れていた。ソ連というのは内向きな集団体制で、ケネディが強い態度に出たのは予想外でした。フルシチョフはそれでパニックになり、ずっと酒を飲み続けたという話もあるほど。夜中にモスクワから途切れ途切れの文面が送られてくる。ホワイトハウス側では、ああこれは飲んでいるなと。あるドキュメンタリーで、そんな述懐が出てきます。フルシチョフは自分で仕掛けたくせに、出口を求めていた。ケネディはそれを察して、逃げ道を提供した。そういう見立ても成り立ちます。
対してプーチンは独裁の色合いが強い。彼はできれば帝政ロシアの頃まで領土を戻して、偉大なレガシーとして後世に遺したいと考えている。全く現実的ではありません。そこのところが、今までとは違う。ケネディはホットな状況を冷戦に持ち込んだけれど、プーチンは逆。そうなるとケネディの時代と同じ解決法は成り立ちません。メディアなどでも、この違いを検証する視点が欲しいですよね。
ケネディ36歳のとき、名門出身で24歳のジャクリーンと結婚。披露宴には1300人の出席者が集まった。ジャクリーンはケネディ死去後、'68年に大富豪のアリストテレス・オナシスと再婚して世間を驚かせた。写真に写っている長女のキャロラインは、後に駐日大使として活躍する
1950年代から大統領就任後の'62年5月まで、女優のマリリン・モンローと不倫関係にあったことがわかっている。ほかに何人も関係があった女性の名が挙がっており、現代だったら完全にアウト。どうやらマフィアも絡んでいたよう
ケネディといえば、人々の心に響く名演説で知られている。かつてギネスブックの“最も早口の人”という項目で、1961年に行った演説での“1分間327語”の記録が認定されたこともあるほど。有名な演説はYouTubeで見ることも可能だ。
ケネディならプーチンを止めることができた!?
今年2月、ロシアがウクライナへの軍事侵攻を開始。プーチン大統領は強気の姿勢を崩さず、いまだ先行きは見えていない。“タラレバ”にはなるが、もしキューバ危機で世界を救ったケネディが現代にいたら、プーチンを止めることができていた!?
教えてくれたのは
[モーリー・ロバートソン]
Morley Robertson
1963年、NY生まれ。日米双方の教育を受け、東京大学とハーバード大学に現役合格。現在はタレント、国際ジャーナリスト、音楽家と、様々な顔を持ち、幅広く活動している。日本テレビの情報番組『スッキリ』の毎週木曜日にレギュラー出演中。
45/100
かかっていたであろう重圧は計り知れない!?
「僕が若かったら90点くらいだったかもしれないけど、今となってはあの重圧は避けたいから45点。政治家よりロックスターがいいね。まだ30歳のつもりで頑張るよ!」
前回の“アメリカ偉人伝は”
【イーロン・マスク】壮大すぎる夢追い人は救世主かペテン師か!?
雑誌『Safari』9月号 P168~169掲載
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text : Kunihiko Nonaka(OUTSIDERS Inc.)
photo by AFLO