サーフ界に新風を送ったローキーなレジェンド! ジェイ・ブラザー
カリフォルニアとハワイ、両方の海で育ったジェイ・ブラザー。ジョエル・チューダーをフィーチャーしたサーフフィルムを制作し、業界から大きな注目を浴びた’90年代のレジェンドだ。その一方、常に自身の好奇心の赴くまま、自由にキャリアを積んできた。いまやレジェンドの言葉を若手へと継承する、サーフ界の知られざるキーパーソンでもある。そんな彼の半生を紹介しよう。
今月のサーファー
ジェイ・ブラザー
[JBROTHER]
オレンジカウンティとLAの中間に位置する街、ロングビーチ。南カリフォルニアで最大の港、ポート・オブ・ロサンゼルスを中心に栄えたこの街と、ハワイのマウイ島という2つの場所で育ったのが、今回紹介するジェイだ。もともとジェイの幼少期は、水と触れ合うことが当たり前の生活。スイマーの父親に頻繁にビーチへ連れ出され、水泳をスタートさせたのはわずか2歳のとき。成長とともにボディボードで遊ぶようになり、気づけば抱えるものがサーフボードに替わっていたのだそう。
高校ではじめたのも、いうまでもなく水の中で楽しめるスポーツ、ウォーターポロ。カリフォルニアではメジャーなこの競技に、ジェイは思いのほか熱中。大会に参加するほどの腕前に。優秀な選手として注目された彼は、スポーツ推薦でマリブにあるペッパーダインカレッジに進学。実はこれが、彼をサーファーとして成長させる転機となる。というのも、残念なことに彼が入学後しばらくしてウォーターポロ部が突然廃部に。部活動がなくなり放課後の時間を持てあました彼は、カレッジ周辺のビーチでサーフィンすることが日課となったのだ。
「幸い、大学周辺に多くのスポットがあったので常に良質な波を楽しむことができたんだ」
再びサーフィンの魅力に取り憑かれたジェイは、マンハッタンビーチでライフガードの仕事を開始。勤務時間の前後に目の前の海に入って波乗りを惜しみなく楽しんでいた。また時間があるときはサーフィンの専門誌を熟読し、自宅に戻るとサーフムービーを鑑賞。波乗りに関わるありとあらゆる情報を収集した。
一気にここまでサーフィンにのめりこんだのは、波の加速感や無重力感の虜になってしまったことに加え、幼少期から水と親しんでいた経験があったからだと語る。
「水泳のスキルがサーフィンを本格的にやるにあたり、とても助けてくれたよ! 泳ぎを習得すると水中でなにも考えずに自然とカラダが動くんだ。サーフィンでも同じで、水に慣れているといざというとき身動きがとれる。だから波をとらえるときや、危険を回避するときも、カラダが勝手に動いてくれたんだ」
伝説的フィルム『アドリフト』は今でも“モラスク”などで扱われている。インスタ(@jbrotherdotcom)でも彼の写真や作品をチェック可能
自身がシェイプしたボードのブランド名は大好きなバットマンにちなみ、〈ザ・バット〉と命名
すっかりサーフィンがライフスタイルそのものと化したジェイ。カリフォルニアとマウイの2拠点を行き来しつつ、良質な波を追いかけ自由に移動する毎日。スケジュールに余裕があれば、同じスポットに車中泊して気軽にサーフキャンプも楽しむ。と、いつの間にか自分自身のフローに逆らわない、穏やかな生活が定着していった。そんな自由な生活を送る中で’90年代前半に誕生したのが、のちに大きな話題を呼ぶサーフフィルム『アドリフト』と『ロンガー』。友人だったジョエル・チューダーをフィーチャーしたこれらの作品は、波乗りを愛する者であれば耳にしたことのあるタイトルだ。
「でも、計画して制作したんじゃないんだ。カレッジに通っていた頃、偶然カメラマンのアシスタントをしていて、そのとき手に入れたビデオカメラで友人を撮りはじめたのがきっかけだよ」
と、照れ臭そうに答えてくれたジェイ。とはいえ、’90年代前半までのサーフムービーは、ショートボードの派手なトリックに合わせて軽快なパンクが流れているようなものが主流。そんなカルチャーに嫌気がさしていたジェイが、アートフィルムのような作品を制作し、話題を呼んだのは偶然ではないだろう。『アドリフト』はジョエルの夢を綴った作品、『ロンガー』はジョエルのライディングや視点を介した自叙伝のような作品で、業界に大きな衝撃と新しい風を送った。以降、彼のようなストーリー性が高くアート色の濃いサーフムービーが続々と登場。トーマス・キャンベルなどがその好例といえるだろう。
そもそものきっかけとなったジョエルとの出会いは遥か昔。サーフボードのトレードショーでのことだったそう。それから数年後、オアフで開かれた大会で偶然ジョエルと再会を果たす。それから徐々に交流を深め、気がつけば一緒に波乗りする仲へと発展。ジョエルの優雅なライディングはジェイをすっかり魅了し、気がつけば自然発生的に彼を撮影していた、というのがのちに伝説となる2つのサーフフィルムの誕生背景だったという。
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その後、NYのエージェントからのオファーで広告フォトグラファーとなったジェイ。〈ナイキ〉や〈ジョニーウォーカー〉など、多くの広告写真を手掛け、過密スケジュールをこなした。売れっ子として活躍していたが、現在はあえてスローペースをキープ。友人のプロジェクトなどを手伝いつつ、自身のボードをシェイプして心の充足を大切にしているという。
そもそもボードを作るきっかけとなったのは、伝説のシェイパーであるドナルド・タカヤマの影響。ある日、シェイプルームで彼の作業を見学していたところ、ドナルドから自分のボードを作ってみることを提案されたそう。ドナルドが他界後にその提案を思い出し、彼から譲り受けたブランクスを使ってボードを削ったのがはじまり。直接手ほどきはなかったが、ドナルドの作業を思い出しながらシェイプするのだそう。
日々の生活もストレスフリーそのもの。毎朝波チェックを行い、波があれば海へ。自宅では野菜やフルーツがたっぷり入ったスムージーを作ったり、プラントベースの食事を作るのも日課。夢は、“毎日を楽しく感謝して生きること”。すでにその夢を叶えている気もするが、大きな夢を人生のゴールとしてがむしゃらに生きるのではなく、新鮮な気持ちで毎日を充実させることに意味があるのだという。そういう生活をしている中で降りてきたインスピレーションこそが人生のミッションだというのが彼の考え。なににも執着せず、常に最適な選択を繰り返すという、ある意味“流れまかせ”の生き方は、波に身をまかせる真のサーファーだからこそ、行きついた境地なのかもしれない。
収集癖のあるジェイは、レコードコレクションも充実。友人が来るとDJとしての腕を発揮
マウイでも育ったジェイにとってアロハシャツは自らのルーツを語るアイテム。ヴィンテージを含め50枚ほどのコレクションが!
●ホームポイントはココ!
サーフライダービーチ[SURFRIDER BEACH]マリブピアの南西に位置する世界的に有名なポイント。ピアのすぐそばはファーストポイント、その隣がセカンド、奥がサードとなる。ロングボードが主流に思われがちだが、日によってはミッドレングスやショートも楽しめる。
雑誌『Safari』9月号 P178~179掲載
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photo : sanctuary text : Momo Takahashi(Volition & Hope)