『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』 × サンフランシスコ
ちょうど50年前に発表されたSFの金字塔。映画『ブレードランナー』の原作ではあるが、物語は映画よりもかなり内省的で哲学的だ。バウンティ・ハンターのリック・デッカードの恐ろしく長く、示唆に富んだ1日は、読者に「自分はオリジナルか、そしてアイデンティティはどこにあるのか」と多くのものを突きつけてくる。核戦争後の地球の描写は、さもありなん。生命に対して異常なまでに執着する世界はそう遠くないのかもしれない。
人間らしさとはなんなのか考えさせる傑作
昨年、続編が公開され話題になった『ブレードランナー2049』の原点。そのキャッチコピーが、本作を最もポピュラーに彩るのだが、映画シリーズがSFアクションに分別されるなら、こちらの小説はSFヒューマンドラマに分類しても大きな齟齬はない。
もっとも、ヒューマンといっても物語を動かすのは人間よりもアンドロイドだ。舞台は最終世界大戦後、放射能灰に汚染され廃墟と化し、不安と鬱屈が覆う地球だ。生き残った人類の中には異星に安住の地を求め、移り住んだものも多い。
危険な労働の多くはアンドロイドが担うのだが、不法に逃亡してきたアンドロイドを処理するのが、主人公のバウンティ・ハンター、リック・デッカードだ。
彼らアンドロイドの中には自身を人間だと信じている個体も多い。思考や意見を持つ。食事もセックスもする。しかし、唯一、感情移入だけができない。そこをリックは「フォークト=カンプフ検査法」というテストで識別し、アンドロイドと判明すればレーザー銃で処分していく。荒廃した地球では電気羊に代表される人工のペットではなく、本物の動物を飼うことが最高のステイタスだ。リックは稼いだ賞金で牝の黒山羊を購入する一方で、オペラ歌手のアンドロイドを処分したことで迷いも生じる。「おれにはわからない。あれだけの才能が、どうしてわれわれの社会の障害になるわけがある? だが、問題は才能じゃない、と自分にいいきかせた。アンドロイドだってことが問題なんだ」
著者のフィリップ・K・ディックは作品の中で、しばしばアイデンティティについて触れる。リックの迷いもそこにある。人格があり、性欲がある。そしてアンドロイドは基本的に自衛以外では人間に脅威を与えない。だからこそ、アンドロイドの存在そのものが人間のアイデンティティをゆっくりと確実に蝕んでいく。
行間からはそのリスクが滲むが、一方でリックとは違うフェーズで懊悩を抱きながらこの世界を生き抜いているJ・R・イジドアは、アンドロイドたちと積極的に関わり友好関係を築こうと歩みよる。その差異は読者になにを問うのだろうか。
訳者あとがきで、ディックの「あなたがどんな姿をしていようと、あなたがどこの星で生まれようと、そんなことは関係ない」という談話が収録されている。レイシズムが世界的な問題である今、彼のこのセリフはもう一度、考えるべきではないだろうか。
余談だが、映画『ブレードランナー』の舞台モデルは来年、2019年11月のロサンゼルスだ。冒頭から幻想的で機械的、蠱惑的なビジュアルがあふれるが、本作を読了後、監督のリドリー・スコットと原作著者フィリップ・K・ディックの世界観、SF世界の2019年のロスと現実の2019年のロス、それぞれを改めて比較するのも、読者だけに許された特権のひとつだろう。
●『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』
フィリップ・K・ディック著 浅倉久志 訳 740円
雑誌『Safari』12月号 P271掲載