『町でいちばんの美女』×西海岸
キューバ危機を乗り越え、ベトナム戦争が勃発し、NASAが設立された1960年代のアメリカ。その西海岸を舞台に欲にまみれた、ある意味人間らしくもある、その日暮らしをする感情豊かな人々が次々と登場する。邦題はオブラートに包まれているが原題はなんと『勃起、射精、露出、日常の狂気にまつわる物語』。そのタイトルからおして知るべしの18禁短編集だ。
なのにどうして、その魅力の虜になる
ドイツ生まれのアメリカ人であり、作家/詩人のチャールズ・ブコウスキー。彼のキャリアの中におけるこの短編集『町でいちばんの美女』の位置づけは少し、特殊だ。
LAの大学を中退した後、ニューヨークに移り、いくつかの職を転々としながら創作活動をはじめるも一度、作家への道を断念している。そして郵便局員として働きながら、再び文筆家を志すのだが、転機となったのはLAに戻ってからだ。本作では「あるアンダーグラウンド新聞の誕生と死」のページで『オープンプッシー』という名前で登場するが、これは実在する『オープンシティ』というローカル紙をもじったものだ。
『オープンシティ』紙に寄稿しながら、ブコウスキーは本格的な作家生活をはじめることになる。つまり本作は短編集というベースフォームを持ちながら、彼が西海岸での生活、そこで受けた刺激や、発展した妄想を綴った下積み時代のジャーナルであり、出世作『ブコウスキー・ノート』に繋がる奇譚集としても読める。
ただ、タイトルから安易に西海岸の“陽”を連想してはいけない。満ち足りたハッピーエンドや甘いロマンスを期待している方は遠慮していただこう。
この物語の舞台は洒脱なレストランやブティックでは決してない。ほとんどは売春宿や吹き溜まりとも言えるバーだ。登場人物はサーファーや映画スターではなく、売春婦やポン引き。冒頭の表題作の「町でいちばんの美女」こそ、キャスという美女を蠱惑的に紹介し、浮浪者がうろつく海岸で昼寝をする(強いて言えば比較的)美しい描写があるが、ページを手繰ると後は粗野と俗のオンパレードだ。ブコウスキーに倣って下卑た表現をさせていただけるなら、クソもミソも、エロもグロも存在する。
たとえば登場する検察官はこう問う。「市庁舎の階段でオーラルセックスをするのに反対しますか?」(あるアンダーグラウンド新聞の誕生と死)
フランスの詩人についてブコウスキーは以下のように紹介する。「この男は両刀つかいで、男にも女にもつっこみ、男からも女からもつっこまれていた」(ジェームズ・サーバーについて話した日)
この2節はまだ緩い文だ。引用を躊躇われるような表現は多いのだが、だからこそ、ときおり散見する韻や詩が煌めくのではないか。あるいはそれこそが彼の狙いなのかと勘ぐるのは深読みしすぎか。
いずれにしても、西海岸で地を這うような日々を過ごし、欲望と孤独と正面と向き合ったブコウスキーの言葉。
「アメリカ。あそこは人から生きる力の最後のひと雫までしぼりとるところだ」
これが奇妙な説得力を帯びる。
悪文か傑作か。読み手に判断は委ねられる。ある意味では読者冥利に尽きる作家と言えるかもしれない。行間から酒場のすえた臭いが漂ってきたら、きっと後者であることは間違いないだろう。
●『町でいちばんの美女』
チャールズ・ブコウスキー著 青野 聰訳 新潮文庫 790円
雑誌『Safari』 3月号 P191掲載