25年シーズンから新たな監督に就任したのが藤川球児である。彼は私と同じ高知商業出身の後輩なので、何かと気になる存在ではあるが、引退してからはコーチ業を含めた指導者の経験がなく、選手起用を含めた采配は未知数だ。
「1年目のルーキー監督なんだから大目に見ようや」という人もいるかもしれないが、阪神ファンは「それは許さない」という、我慢強さに欠けている人が多い。シーズン序盤から連敗が続くようだと「何してんのや」と不満のボルテージが徐々に上がってくるし、それが最高潮に達すると「いい加減にせい!」と、怒りが爆発してしまうのである。
そのことは1999年から3年間、阪神の監督を務めたノムさんとて例外ではなかったし、真弓明信(09~11年)、和田豊(12~15年)、金本知憲(16~18年)、矢野耀大(19~22年)と歴代の阪神監督も同様だった。
藤川は監督就任時の記者会見でボロクソに言われるかもしれないということについては、「叱咤激励して野球界を盛り上げてほしいし、きれいに見守ってほしいとは全く思わない」と言い切っていたが、実際に勝負が始まった時にそう言い続けられるかは気になるところだ。しかし、おなじ高知商出身の先輩である私としては、高知県人の「いごっそう(「快男児」「進歩主義」「頑固で気骨のある男」などを意味する土佐弁)魂」でもってイケイケで思い切りよく行ってほしいと思っている。
監督、指導者としての経験が乏しかったという点で言えば、最近では22年から3年間、監督として中日を率いて3年連続最下位という屈辱のまま退任した立浪和義の名前が挙げられる。現役時代は、「ミスタードラゴンズ」と賞賛され、満を持して中日の監督に就任し、名古屋はもちろん、全国の中日ファンは「きっと優勝に導いてくれるに違いない」とその手腕に期待した。
しかし、1年目、2年目を終えても結果が出せないままだった。主力選手をトレードに出し、将来有望な選手をドラフトで獲得するも、チーム成績が上昇することはなく、勝負の3年目も、開幕直後こそ一時は首位に立ったものの、夏場に入るとそれまでと同じ定位置に戻ってしまった。立浪が監督として失敗した理由を考えていくと、指導者としての経験があまりにもなさ過ぎたことが大きいと思う。
例えばコーチとして現場復帰していれば、他の監督の采配が間近で見られるし、成功、失敗についてもつぶさに観察することができる。テレビやラジオの解説者としてグラウンドを見ているのと、ベンチからグラウンドを見るのとでは景色が全く違う。それに若い選手と一緒に汗をかくことで、新たな発見をすることもできるし、自身がそれまで培ってきた野球理論を磨いていくこともできるだろう。
その点で藤川は立浪前監督と同じスタート地点ではあるのだが、藤川監督にとってそのことが吉と出るのか、凶と出るのか、このあたりは注目していきたい。
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※この記事は『昭和な野球がオモロい!』から一部抜粋して構成しております。