【ホイットニー・ヒューストン】不世出の歌姫が後世に遺した大きな希望とは?
全米シングルチャート14週連続No.1の記録をもつ「オールウェイズ・ラヴ・ユー」をはじめ、数々の名曲を生んだ歌姫、ホイットニー・ヒューストン。2012年に48歳で亡くなったが、その短い人生で彼女が遺したものはなにか。モーリー流の視点で見ていこう。
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- アメリカ偉人伝! vol.8
1988年5月5日、ロンドンのウェンブリー・アリーナのステージに立つホイットニー。前年にリリースした2枚めのアルバム『ホイットニーⅡ~すてきなSomebody』が大ヒットし、世界的な人気を確立した時期だった
ご存知の方も多いと思いますが、彼女の後半生は本当に大変でしたよね。絵に描いたような“まわりの餌食になった人”でしょう。ただ、“私の屍を越えていけ”というくらい、後の世のために多大な貢献をしたと思います。
彼女の母親はゴスペルシンガーで、ずっとバックヴォーカルだった人。メインになれなかったことで、娘に自分のすべてを伝えようとしました。厳しく躾けて、とことん才能を磨いたんですね。黒人の音楽を白人に聴かせるために必要ということで、カトリックの全寮制の学校に入れ、白人らしい上品さを身につけさせました。でもその母親は教会の牧師と不倫していたし、父親は父親でホイットニーとは腹違いの兄弟がたくさんいた。この父親は娘に対して巨額の賠償請求訴訟を起こし、それが彼女の精神的な不安定さの決め手になったようです。夫のボビー・ブラウンは全くダメ。仕事もなくブラブラしていた腹違いの兄弟たちは、みんなボディガードなどでついてくる。会計士は勝手にヨットや高級車を買う。あらゆる人にたかられていたんです。
ホイットニーはスターダムを上っていく中で、見た目ばかり評価され、シンガーとしての真価が認められないという悩みもあったようです。そんなに悩む必要はないんだけど、他人の評価、チャートの順位みたいなものが、自尊心と紐づけられてしまったのでしょうね。トップでいないと落ちた気になるというか。本人はずっと歌ひと筋だったので、うまくいかなくなったときの指針もありませんでした。黒人のコミュニティ内の話であれば、暴力や薬物も“よくあること”で済むかもしれない。でも白人に見られているから、上品にふるまわなきゃというプレッシャーがありました。一方、ソウル・トレインの授賞式では黒人からブーイングが起きる。“白すぎる”とね。彼女はゴスペルから離れてブレークしたわけですが、人種を超えた“アメリカン”なんだと主張するのは、そう簡単ではありませんでした。
気の毒な面が多い彼女ですが、歌はもちろん素晴らしい。あのスーパーボウルでの歴史的なハーフタイムショー。若い黒人たちが、彼女の歌を聴いて“これが本当のアメリカだ!”と叫んでいました。人々に希望を与え、ある意味でオバマの時代を先取りしたような感じ。これからのアメリカはこうなんだという希望ですよね。また、映画『ボディガード』でのキスシーンは、白人と黒人のそうした描写が市民権を得たという意味で、ハリウッドでも大きなことでした。
人種の壁は本当に根深いもので、そう簡単には清算できません。そうした絶望に対して、黒人たちがホイットニーに希望を見た。自分ではあまり聴かないけど、彼女のやってくれたことはすごいと。でも彼女が世界に受け入れられるためには、パーフェクトな人を演じ続ける必要がありました。それと本来の自分を取り戻したいという思いで葛藤した。私生活で苦しみながら、最大級のパフォーマンスを見せ、すべてを薬で紛らわせる。それがオーガニックなホイットニーだったんです。
彼女の歌で本当に世界が変わりました。でも政治の権力に似て、うまく降りるタイミングを見つけないといけなかった。ピークでいたいという願望を捨て、変わっていくべきでした。とはいえ、人種を卒業したスターだといわれてしまうと、そこに居続けたいと思うもの。等身大というものがなくなってしまった。そういう意味で、ビヨンセあたりはいい線いっているのかもしれません。もちろん全米に愛されなきゃいけなかったホイットニーとは立場が違う。でも、もしビヨンセが壁を超えた最初の人だったら、今のように成功できたかわかりません。アメリカの複雑な状況があり、それをぶち抜くことがいかに大変で異常なことだったか。多大な犠牲を払ったホイットニーがいたから、今があるのだと思います。
1992年公開の映画『ボディガード』にて、ケビン・コスナーとの共演で映画初主演。サウンドトラックは全世界で4200万枚を売り上げる大ヒットとなった
1994年、アパルトヘイト廃止後の南アフリカではじめてコンサートをしたのがホイットニーだった。大統領のネルソン・マンデラとの1枚
1992年、R&Bシンガーのボビー・ブラウンと結婚。人気絶頂のホイットニーに対して、ボビーの人気はすでに下り坂に差しかかっていたこともあり、少しずつ溝が深まっていった。2006年に離婚したが、14年間をともに過ごした
ホイットニーの幼少期から、薬物中毒との壮絶な闘い、そして死までを追ったドキュメンタリー映画『ホイットニー:本当の自分でいさせて』がネットフリックスで視聴可能(日本語字幕あり)。重い内容だが、興味のある方は是非。
世界を魅了したディーバの美声がスクリーンに蘇る!
美しく力強い歌声で世界を魅了した歌姫と、彼女を支えた名プロデューサー、クライヴ・デイヴィスの物語を映画化。脚本に大ヒット映画『ボヘミアン・ラプソディ』のアンソニー・マクカーテンを迎えた期待作だ。
『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』
監督:ケイシー・レモンズ
出演:ナオミ・アッキー、スタンリー・トゥッチ
12月23日よりTOHOシネマズ日比谷ほかにて全国公開
教えてくれたのは
[モーリー・ロバートソン]
Morley Robertson
1963年、NY生まれ。日米双方の教育を受け、東京大学とハーバード大学に現役合格。現在はタレント、国際ジャーナリスト、音楽家として幅広く活動している。日本テレビの情報番組『スッキリ』の毎週木曜日にレギュラー出演中。
8/100
『平家物語』のような悲痛さを感じてしまう
「結末を知っていると無理かなあ。映像で最高のパフォーマンスを観ても、この後なあ……と思ってしまう。琵琶法師が弾き語る『平家物語』のつもりで見るといいかも!?」
前回の“アメリカ偉人伝は”
◆【マリリン・モンロー】世界を魅了したセックスシンボルの光と影とは!?
雑誌『Safari』2月号 P176~177掲載
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text : Kunihiko Nonaka(OUTSIDERS Inc.)
photo by AFLO