ミスター・ライオンズ【栗山 巧】を育てるきっかけとなった初安打! 2000安打の1本めがプロ意識を開花させた!
プロ野球人生20年めを迎え、通算2000安打を達成した埼玉西武ライオンズの栗山巧。球団史上初の偉大な記録に向かい歩みはじめた1軍デビュー戦の記憶から、チームを支えるベテランの野球愛が垣間見える。
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- アスリートの分岐点! vol.13
TAKUMI KURIYAMA
TURNING POINT2004年9月24日
パシフィック・リーグ
VS 大阪近鉄バファローズ
西武ライオンズ一筋20年で安打を積み重ね、通算2000安打の偉業を成し遂げた栗山巧。球団の屋台骨を支えるミスター・ライオンズが、野球人生の分岐点として語った試合は、その偉業につながるはじめの一歩となった1軍デビュー戦。それは、2004年レギュラーシーズン最終戦の近鉄バファローズ戦だ。スタメン9番レフトで一軍初出場を果たした栗山は、7回で迎えた第3打席で記念すべきプロ入り初安打を放った。
「当時は、高卒で入団して3年め。プロ入りして2年ないし3年はしっかり2軍で鍛えてから1軍に上がりたい気持ちがある一方、自分は本当に1軍に上がれる選手なのか、それともこのまま2軍で終わる選手なのかという不安にかられていた時期でもありました。そんな状況で1軍デビューを果たし、打者として仕事をしたという意味で、プロ野球人生においてはまさしく大きなターニングポイント。あのとき、2軍のマネージャーから「栗山、最終戦で1軍に合流するぞ」って通達されたときのことは今でもよく覚えていますね。よしやってやるぞという闘志あふれる思いと、1軍に呼ばれるとこういう気持ちになるのかという感動も同時に押し寄せてきて。試合の細かいディテールというより、その心の動きのようなものがむしろ鮮明に残っています」
初打席は二ゴロ、2打席めは三振でまわってきた3打席め。相手チームの左腕・小池秀郎が投じたスライダーを、若干泳がされながらもライト前に運んだ。試合後に「1本打って感動していてはダメ」というコメントを残したことが話題だったが、どんな心境だったのだろうか。
「実は自分が語ったことをあまり覚えていないのですが、今思うと生意気なこといっていますね(笑)。やっとここまで来られたんだという感覚もあり、1本打ったんだからこの勢いで次の一本も行くぞという思いもあり、めちゃめちゃ前向きでエネルギッシュな時期だったんですね。ただ、そのときすでに同期の中村剛也は1軍で2本もホームランを打っていて、刺激を受けていました。自分は当時から打撃をアピールしていた選手なので、打席に立ったら結果を出したかった。とにかく無我夢中で、必死でしたね」
記念すべき1軍デビュー戦から結果を出し続け、節目となるプロ20年めに通算2000安打の金字塔に挑むことになった。はたして、どんなモチベーションでここまで走り続けてきたのだろうか。
「試合がはじまるまでの準備の段階では、いつか2000本を打てる選手になりたいという気持ちを強く意識することで、やりたくないと思うようなキツい練習と向き合ってきました。そして、いざゲームがはじまったら、勝つか負けるかという目の前の勝負のことだけを考える。その切り替えでここまでやってきたという感覚です。でも、入団当初は1軍に呼ばれる選手になること以外、考える余裕はなかったですね。やっぱり1軍デビュー戦で、1本めを打ってからですね。2000安打を打てるバッターになりたいという気持ちが芽生えたのは」
それが仕事とはいえ、プロ野球という勝負事の世界に20年間も身を置き、打席に立つたびに結果を残し続けることは決して簡単なことではないのでは!?
「それこそ、この初ヒットを打ったときのような若いときは勢いがあるからテンションでやれちゃうところがある。でも、やはりその時期を越えてきたときに、これは大変やなと思うことは多々出てきます。プロ野球は、キャリアを積み重ねていけばいくほど、様々なデータが蓄積されていく世界。それを使って対戦相手が防御策を取ってくるので、ずっと同じことをやっていても結果を出せなくなるのが常です。だから、自分自身が進化も変化もし続けていかなくてはならない。それをずっと考え続けてきたから、今まで飽きずにやってこられたのかもしれませんね」
ベテランになれば対戦相手の警戒も強くなり、まわりからの期待も高くなる。プレッシャーにどう対処しているのか。
「どうすれば自分が理想とするプレイに近づけるのかを考え、技術を磨くことに集中する。それを突きつめることで、プレッシャーを撥ね除けるというより、遠ざけるという感覚です。今、思い描いている理想のプレイは、きれいなセンター前を打つこと。観客のみなさんがオオッてなってくれて、プロの選手にも褒められるんですよ、美しいセンターライナーは。それをパチンと打ちたい。やっぱり打球が一番きれいなんですよね。そこをこれからも積み重ねていきたいです」
野球選手
栗山 巧
TAKUMI KURIYAMA
1983年、兵庫県生まれ。1998年、育英高等学校入学。2年生時には夏の甲子園に出場し、4強入りを果たす。2001年西武ライオンズに4巡め指名を受け入団。2008年にリーグ最多の167安打を放ち、日本一に貢献。今期6月に史上52人めの通算2000試合出場も達成。
TAMURA'S NEW WORK[スペース・プレイヤーズ]このファンアートは、ポストカードとして『スペース・プレイヤーズ』の鑑賞者限定でプレゼントされた(一部劇場除く。数量限定のためなくなり次第終了)。映画の見どころであるバーチャルバトルシーンを、躍動感あるタッチで描いた
「一枚の絵がきっかけになった作品」
今回、田村が手掛けたのは、映画『スペース・プレイヤーズ』の公開に合わせて描き下ろしたファンアート。NBA選手のレブロン・ジェームズがヴァーチャル世界に飛び込み、ワーナー・ブラザースの歴代のキャラとともにeスポーツバトルを繰り広げる話題映画だ。
「この映画は、’90年代にマイケル・ジョーダンが出演した『スペース・ジャム』のリブート作品。一昨年くらいに製作の噂を聞いてSNSにイメージイラストを掲載していたのですが、それを映画会社の方が見てくださっていて。当時バスケ関連の絵を描きまくっていたのですが、一枚の絵がきっかけに映画のお仕事にお声がけいただけるなんて。好きなものをがむしゃらに描いていてよかったです」
描いたのは本作に登場する人気キャラ。
「2Dの場合もありますが、それを同じ世界観の中で描写しました。映画鑑賞前は好奇心を刺激し、見た後は体験を共有できる作品になれたら嬉しいですね」
アーティスト
田村 大
DAI TAMURA
1983年、東京都生まれ。2016年にアリゾナで開催された似顔絵の世界大会、ISCAカリカチュア世界大会で総合優勝。アスリートを描いた作品がSNSで注目を集め、現在のフォロワーは10万人以上。その中にはNBA選手も名を連ねる。海外での圧倒的な知名度を誇る。Instagram:@dai.tamura
雑誌『Safari』11月号 P238~240掲載
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illustration : Dai Tamura text : Takumi Endo photo by AFLO