【白石黄良々】飛躍のきっかけとなった試合が競技人生を左右するものに!
ドーハ世界陸上の4×100mリレーの銅メダリストとして脚光を浴び、日本を代表するスプリンターとなった白石黄良々。トップ選手としての重圧と戦い、成長するきっかけになったレースに対する思いを語ってくれた。
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- アスリートの分岐点! vol.36
KIRARA SHIRAISHI
TURNING POINT
2019年10月5日
第17回世界陸上競技選手権大会
男子4×100mリレー決勝
ゴールの見えない日々!?
世界陸上競技選手権ドーハ大会の4×100mリレーで第2走者を務め、アジア新記録となる37秒43のタイムで銅メダル獲得メンバーとなった白石黄良々。陸上競技は中学校時代にはじめ、大東文化大学では陸上競技部の主将を務めた。しかし、学生時代は全国優勝がなく、ほぼ無名に近い選手だった。
そんな白石が全国区で脚光を浴びはじめたのは、社会人となった2019年のこと。4月に開催された出雲陸上と織田記念陸上の男子100mに出場し、2週連続で優勝。そこから注目を浴び、9月の世界陸上競技選手権ドーハ大会における4×100mリレーの日本代表候補に選出された。前哨戦となった7月のIAAFダイヤモンドリーグロンドングランプリで2位入賞に貢献したことで、世界陸上のリレーメンバーの切符を掴み取った。
「社会人になってすぐ、テレビで見ていた大きな舞台で走ることができ、そこでメダルを取ることもできました。そこからまわりからの反応も大きく変わり、自分の中で“世界が変わったな”という感覚がありました。その意味で、やはり世界陸上が大きな分岐点ですね」
37秒43という数年前の大会であれば優勝を狙えるタイムで走っても3位というハイレベルな戦いとなったが、自分の役割を果たせたという手応えもあった。
「僕が走った第2走者というポジションは、リレー競技でいえば“エース区間”。疾走区間が長く、遅れをとることなくコーナーワークがうまい第3走者にどうつなぐかが重要になるので、どの国も本当に早くて強い選手をあててきます。そこでしっかり走りきって、第3走者にバトンをスムースに渡すというふたつの仕事を完璧にこなさなくてはならない。世界大会という大舞台も相まって、“ここでミスしたら日本に帰れないぞ”という気持ちで自分にプレッシャーをかけて走りました。第3走者の桐生(祥秀)選手は世界でもトップクラスのコーナーワークの技術をもっている選手で、アンカーのサニブラウン(アブデルハキーム)選手も個人種目で決勝に残るレベルの実力の持ち主。第1走者の多田(修平)選手からのバトンを受け、そんな2人にしっかりつなげていい流れを作ることを意識していました。いいリードを取りながらつなげたので、後の2人も気持ちよく走ってくれたのではないかと思っています」
ドーハ世界陸上銅メダリストとなり、自分を取り巻く環境が大きく変わった。その変化とどう向き合ってきたのだろう。
「選手として注目してもらえるようになったことは、やはり自分にとって大きな変化でした。試合の後に記者やファンの方が応援に来てくれたりするようになり、メディアに露出する機会も増えました。過去にテレビで見ていたような選手の1人に自分もなったんだなって実感もして。だからこそ、発言ひとつひとつに責任を持たなくてはならないと思うようになりましたし、それまでも配慮していましたが、プライベートにもよりいっそう気を使うようになりました」
パフォーマンスの面でも、自分との向き合い方が大きく変わったという。
「トップ選手はこんなにいろいろなものを背負って戦い、毎年結果を残さなくてはならないんだということを、身をもって知りました。そうした環境に対する意識が、焦りに変わってしまった時期もありましたね。トレーニング量を増やしてしまったりしたことも。それまであまりケガをしたことはなかったのですが、それが原因でケガをしてしまい、競技から長期離脱することを余儀なくされたり……。今、陸上競技の短距離はレベルが非常に高く、入れ替わりも激しくなっています。そこで埋もれないようにするためには、やはり試合に出て、結果を出すことだけでしか自分の価値を証明することはできない。そう思い込みすぎてしまい、今思えば、よくないほうにプレッシャーが働いてしまっていたのだと思います」
その後、2020年の12月に左アキレス腱を痛め、2021年の年明けに手術。4月にはハムストリングの肉離れなどもあり、ケガによってなかなか試合に出られない、悔しいシーズンが続いた。
「ケガの完治に3年かかってしまいましたが、そこを乗り越えて思いきり走れるようになりました。その期間にできていなかったことを積み上げていくのは、大変な作業。でも、重圧で失敗した経験があるからこそ、自分にフォーカスして競技に取り組めるようになった。今は来年のパリ五輪に向けて、1年かけてひとつひとつ積み上げているところです」
陸上選手
白石黄良々
KIRARA SHIRAISHI
1996年、鹿児島県生まれ。陸上競技部の主将を務めた大東文化大学4年生での実業団・学生対抗陸上競技大会男子100mで3位入賞。セレスポ陸上競技部に入社した2019年に男子4×100mリレーの日本代表に選出。同年10月のドーハ世界陸上決勝で銅メダル獲得。
TAMURA'S NEW WORK
ポルシェスタジオ銀座
「メインビジュアルは、6月に富士スピードウェイで開催された24時間耐久レースのピットで、その緊迫感や匂いを感じさせていただいて描きました。エキシビション開催期間のうち9月16日(土)~18日(月・祝)は、僕も会場でお待ちしています」@porschestudioginza
クルマの作品だけを描く新しい挑戦
耐久レースに挑む〈ポルシェ〉のピットクルーの緊迫感ある作業風景を、田村の真骨頂である躍動的な画風で描いた作品だ。これは、東京、銀座にある〈ポルシェ〉の都市型コンセプトストア“ポルシェスタジオ銀座”で、9月16日(土)〜24日(日)に開催される特別なエキシビションのために描き下ろした作品。
「〈ポルシェ〉スポーツカー生誕75周年を記念し、10月22日(日)に富士スピードウェイで“ザ・フェスト”というオーナー向けの大きなイベントが開催されます。そのイベントに先駆けて、〈ポルシェ〉を描いた僕の作品を集めたアートエキシビションを開催することになったんです」
このほかにも歴代のラリーカーなど、様々な〈ポルシェ〉作品を描き下ろした。
「クルマの作品だけの展覧会は、はじめてです。アートを通して〈ポルシェ〉の魅力を伝えてみたいという思いで描きました。それと同時に新しいことにチャレンジする姿勢も、見ていただいた方に伝われば本当に嬉しいです」
アーティスト
田村 大
DAI TAMURA
1983年、東京都生まれ。2016年にアリゾナで開催された似顔絵の世界大会であるISCAカリカチュア世界大会で、総合優勝。アスリートを描いた作品がSNSで注目を集め、現在のフォロワーは10万人以上。その中にはNBA選手も名を連ねる。Instagram:@dai.tamura
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illustration : Dai Tamura text : Takumi Endo photo by AFLO