ファッションの源流を紐解く、あのカルチャーの発火点。
Vol.4 夢と希望とジャックパーセル(前編)
毎回ひとつの服を取り上げて、古今東西の社会やカルチャーとどんな風に関わってきたのかを紐解くこの連載。4回目となる今回は、不朽の名作スニーカー“ジャックパーセル”について!
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ヒット映画で見かけたジャックパーセル
1935年に発売された〈コンバース〉の名作スニーカー“ジャックパーセル”。バドミントン選手のパーセル氏が開発に参加したスポーツシューズだが、現在では爽やかで清潔感のある足元を演出するデイリースニーカーとして根強い人気を誇っている。ヒールの“ヒゲ”や、トウの“スマイル”が特徴的で、明るくポジティブな雰囲気を感じる1足だ。
『花束みたいな恋をした』(2021年)/U-NEXTで配信中。(C)2021「花束みたいな恋をした」製作委員会
そのジャックパーセルが、非常に印象的に使われている日本映画がある。2021年公開の『花束みたいな恋をした』だ。コロナ禍の公開だったものの、口コミで評判を呼び、さまざまな論評や考察も行われるヒット作となった。主演は菅田将暉と有村架純。若い世代が観る恋愛映画と思われがちだが、かなり普遍的なテーマを扱っていて、親世代が中高生の娘や息子と観ることもできる作品だ(一応、年齢制限はありません)。
この2人の恋のきっかけになるのが白のジャックパーセル。終電を逃し、始発を待つまでのつもりで入った居酒屋で、まったく同じスニーカーを履いていることに気づく。そのときは「あれ? 偶然だなあ」くらいの感じだったのが、話せば話すほど趣味が合い、あれよあれよという間に恋へと発展していくわけである。しかしなぜジャックパーセル? そこに何か意味があるのでは? と、少し掘り下げてみたくなった。
まんまカート・コバーンな菅田将暉
いまさら考察めいたことを書くのもバツが悪いのだが、このシーンで菅田将暉が着ていたのは緑のカーディガンと、ほどよくウォッシュされたジーンズだった。まんまMTVアンプラグドのカート・コバーンである。ミレニアル世代の主人公にこの格好をさせる意味は、あの頃に青春を過ごしたオッサン・オバサン世代に対する「これはあなたの物語でもあるんですよ」というメッセージと考えることもできる。例のライブは’93年11月だから、脚本の坂元裕二が当時26歳、監督の土井裕泰は29歳だ。
カート・コバーン
そう、カート・コバーンはジャックパーセルを愛用していた。ただしカートのは黒で、菅田将暉が履いていたのは白。黒だとコスプレになってしまうという配慮かもしれないし、ピュアなイメージの白にしたかったのかもしれないが、おそらく真相は別にあると思う(後述します)。ちなみに菅田君の緑のカーディガン、お泊まりしている有村さんが彼シャツならぬ“彼カーデ”として着ているシーンがある。密かな萌えポイントというか、ファミコン世代の隠しキャラ的な要素だろうか。
カートがなぜジャックパーセルを愛用したのかについては、はっきりとはわからない。パンクの元祖ともいうべきラモーンズが同じ〈コンバース〉のオールスターを履いていたから、それに対抗したという説もある。ただ、確かにラモーンズはオールスターをよく履いていたけども、スリッポンのスニーカーを履いている写真もかなり多いし、なんならジャックパーセルっぽいのを履いている写真もあるほどだ。きっとそこにあまり意味はなく、“カートが履いていた”ことに意味があるのだろう。〈ナイキ〉のバッシューだって、マイケル・ジョーダンが履いたからこそ伝説になったのだ。
『アニー・ホール』(1977年)
『アニー・ホール』と『リアリティ・バイツ』
『花束みたいな恋をした』を観終わって、連想する映画がいくつかあった。物語の構造としては、ウディ・アレンの『アニー・ホール』(1977年)が下敷きになっているのは間違いない。『アニー・ホール』では政治、哲学、歴史、宗教、文化の膨大な知識がスタンダップコメディのごとく披露され、NYにおけるユダヤ系知識人の残り香みたいなものを感じることができる。『花束みたいな恋をした』ではそれが膨大なオタク知識に置き換えられるが、そこにシニカルさや論理性は一切なく、単純に好きなものを列挙しているにすぎない。そういう意味では、2人はアレンのようなガチ勢ではなく、むしろ『アニー・ホール』でマクルーハン(メディア論の巨匠)本人に説教されていたエセ文化人に近いかもしれない。
『リアリティ・バイツ』(1994年)
もうひとつ思い出したのが、1994年公開の映画『リアリティ・バイツ』だ。現実社会の厳しさと向き合うX世代の物語で、当時の若者の空気感がよく表現された作品だと思う。ただし時代が時代なので、トレンディドラマ的な俗っぽさが少し鼻につくかも。X世代(ジェネレーションX)を詳しく説明すると長くなるので省略するが、おおむね1965〜80年に生まれた世代を指す。ただしそれはアメリカでのことで、日本では’71〜’74年に生まれた団塊ジュニアや、その後のポスト団塊ジュニア世代がイメージに近い。バブル崩壊後の就職氷河期にぶち当たり、ニートやひきこもりが大量発生。“親のスネかじり”とか“モラトリアム”とか揶揄されたが、当事者にしてみれば、社会の側に入場を拒否された感覚が強かったはずだ。『花束みたいな恋をした』と『リアリティ・バイツ』は、ともにモラトリアムからの脱却を扱っている点で、よく似た作品といえるだろう。
『卒業』(1967年)
『卒業』の白いジャックパーセル
ここからさらに連想を広げると、1967年公開の映画『卒業』が思い浮かぶ。親世代の敷いた路線や思惑から外れ、未来に希望を抱く若者の話だ。いわば古い価値観への反発と、そこからの逸脱がテーマになっていて、この作品がアメリカン・ニューシネマに分類される所以だ。ラヴストーリー仕立てになってはいるが、中身はかなり骨太なのである。ダスティン・ホフマンが花嫁を連れ去るラストシーンが有名だが、そこで彼が履いていたのが白のジャックパーセルだった(めっちゃ汚れているけど)。菅田将暉のジャックパーセルが黒ではなく白だったのは、恐らくこのシーンを意識してのことだろう。
現代の感覚では理解しにくいが、’60年代後半という時代に、いい歳の大人が普段着としてスニーカーを履くというのは、ほとんどあり得ないことだった。もちろんアイビールックに見られるように、足元にスニーカーを合わせる着こなし自体は存在する。’50年代のジェームズ・ディーン、’60年代のスティーブ・マックイーンやジョージ・ハリスン(ビートルズ)など、ジャックパーセルを愛用した有名人も結構多い。ただ、アイビーリーグを卒業したお坊ちゃんは革靴を履くのが普通であって、普段着としてスニーカーを履くという選択肢はまず存在しない。つまり、あのラストシーンが革靴ではなくジャックパーセルだったのは、彼の内面の変化と決意を表していた。それは古い時代・価値観への決別であり、その先に見出した自由と希望である。(後編https://safarilounge.jp/online/culture/detail.php?id=14914に続く)
photo by AFLO