そしてふたつ目のツメアトはIMAX革命である。『ダークナイト』はクリストファー・ノーランが初めてIMAX撮影を行った映画で、全編152分のうち、約30分を70㎜フィルムのIMAXカメラで撮影した。このIMAXとはそもそも何かと言うと、大判の70㎜フィルムを横にして使用することで、従来の35㎜フィルムの8倍もの情報量と高画質を実現したフォーマットのことだ。かつての『西部開拓史』(1962年/監督:ヘンリー・ハサウェイ、ジョン・フォードほか)や『不思議な世界の物語』(1962年/監督:ジョージ・パル、ヘンリー・レヴィン)といった、70㎜フィルムを使ったワイドスクリーンの上映システム“シネラマ”方式を現代に甦らせたような手法。『オッペンハイマー』では長さが11マイル(約17km)、重さが600ポンド(約272kg)ある巨大なフィルムリールの公開映像も話題を呼んだ。もはや「デカけりゃデカいほど偉い」の世界である。
実はある時期まで、IMAXよりも新時代の大型映画の形として注目を集めていたのは3D映画だった。『ダークナイト』の翌年に『アバター』(2009年/監督:ジェームズ・キャメロン)が公開され、そこから数年、映画界にはデジタル3Dブームが訪れた。IMAX用のデカいフィルムは扱いづらいうえにコストが莫大に掛かるため、往年のシネラマと同様、一般に普及するのはなかなか難しかったのである。実際、ノーランが『ダークナイト』で導入するまで劇映画ではほとんど使われていなかった。ところが2010年代に入ってデジタルのIMAXカメラが開発され、3Dブームはどこへやら、MCUをはじめハリウッド大型映画の最先端はIMAXの方へ一気に流れた。その波がトム・クルーズ主演の『トップガン マーヴェリック』(2022年/監督:ジョセフ・コシンスキー)や『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』(2023年/監督:クリストファー・マッカリー)にまで繋がっているわけである。
もちろんノーラン自身は、いまもデジタルではなくフィルムでの撮影を貫いている。『ダークナイト』は視覚効果も極力CGに頼らず、ほぼ全編をシカゴでロケーション撮影したが、その流儀を変えることはない。普通ならVFXてんこ盛りでしょ!という作り方になるはずの『インセプション』(2010年)や『インターステラー』(2014年)といったSF大作も、わざわざ実景での撮影に執着し、人力の工夫によるアナログな“特撮”にこだわっている。『TENET テネット』(2020年)の“逆行アクション”などは、実際にキャストやスタントマンを後ろ向きに走らせたりした!
さて、これまではノーラン監督の破格の偉業について触れてきたが、『ダークナイト』のツメアトの三つ目は俳優ヒース・レジャーである。オーストラリア出身の彼は『ブロークバック・マウンテン』(2005年/監督:アン・リー)で演じた秘めたる同性愛に苦悩するワイオミングの男性役でアカデミー主演男優賞にノミネートを果たし、続いての大役となった『ダークナイト』のジョーカー役で、まるで悪魔に取り憑かれたような怪演にして名演――壮絶な一世一代の爆演を見せた。だが役柄のあまりの重圧のせいか、撮影中は不眠に悩まされていたらしい。そして作品の完成を待たず、2008年1月22日にマンハッタンの自宅で遺体が発見された。享年28歳。死去から約一年経った翌年2月、第81回アカデミー賞で助演男優賞を受賞した。
その11年後、『ジョーカー』でジョーカー役を演じたホアキン・フェニックス(アカデミー主演男優賞を受賞)は、作品が金獅子賞を獲得したヴェネチア国際映画祭などで「前任者の演技はあえて参考にしなかった」という主旨の発言をした。それはおそらく、ヒース・レジャーのジョーカーは誰も超えられぬ奇跡であり、自分はまったく別のツメアトを残すしかないことをよく理解していたからだろう。
『ダークナイト』
製作年/2008年 原案・製作・監督・脚本/クリストファー・ノーラン 脚本/ジョナサン・ノーラン 出演/クリスチャン・ベール、ヒース・レジャー、アーロン・エッカート、マイケル・ケイン、マギー・ギレンホール、ゲイリー・オルドマン、モーガン・フリーマン
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