【マイケル・ジョーダン】バスケを愛しバスケに愛された男の時代性とは!?
引退から20年がたつ現在も、バスケの神様として多くの人々が敬愛し、憧れを抱くマイケル・ジョーダン。バスケ界のみならず、スポーツ全体のアイコンともいえる彼について、スポーツ嫌いを自認するモーリーはいったいどう見ているのか!?
1992年4月、マイアミ・ヒートとの間で行われたプレイオフ・ファーストラウンド最終戦。ジョーダンは56得点の活躍だった。この年でブルズは2連覇。ジョーダン自身も2年連続MVP・得点王となった
ジョーダンが入団したシカゴ(ブルズ)は大都会ですが、小さな村のような一体感がある土地。地元チームへの応援も熱烈です。まるでカリスマ的な政治家のように、ジョーダンの存在が街の人の心に火を灯しました。日本でいえば梶原一騎のタイガーマスク。僕は人生からスポーツを排除したような人間だけど、そんな僕から見ても彼の存在感は大きいです。白人も黒人も関係なく、みんな自分のことのように熱狂しました。
ジョーダンはノースカロライナで育ちましたが、子供の頃から人種差別を感じていて、早く街を離れるためにスポーツに打ちこんだと語っています。また、彼の相棒のスコッティ・ピッペンはアメリカ中南部、アーカンソーの貧困家庭で育ちました。構造的な差別や貧困が存在し、そこにジョーダンのようなスターが出てくる。それが伝統的なアメリカの精神とも合致して、理想的な立身出世の物語になり得ました。
個人の才能とパワーでどこまでもいけるという考えは、アメリカ固有のもの。フェアだけど競争も激しい。それが発展の原動力ではあるのですが、ただアメリカは建国時から奴隷制です。南北戦争で敗れた南部連合の将軍たちは、実は誰も処刑されていません。裁判すらなく、そのまま州知事や議員になった。だから連邦法では奴隷解放を定めながらいろいろなことが州法で禁じられ、差別や貧困も温存されました。’80年代になってさえ、主流メディアは黒人の歴史を報じない。アメリカが大繁栄した時代は、恐ろしいほどの沈黙に覆われていました。
それを打ち破ったのがジョーダンやマイケル・ジャクソンといった黒人の大スターたち。ジョーダンの活躍は、語られない現実を代表する意味をもちました。〈ナイキ〉との契約も、資本に魂を売ったという話ではなく、むしろ黒人でもハイエンドに手が届くという希望になった。ラッパーがゴールドを身につけるのも、そんな意味があります。不利なルールの中で、人一倍の努力と才能でのし上がったというメッセージ。当時はどの世界でも、黒人が政治的な声を上げるリスクは高く、実績で示すよりなかった。ジョーダンは誰もが納得するスポーツでそれを示しました。そしておよそ20年後、シカゴからオバマが登場する。それで状況が変わりました。いまやアメリカの掟である能力主義をフェアに適用すると、かえって白人が不利になりかねない。その反動がトランプですが、支えているのはかつてジョーダンに熱狂した白人層です。
ジョーダンがプロになったばかりの頃、チームメイトがホテルの部屋でどんちゃん騒ぎをしていたそうです。彼は同調圧力に屈せず、誘いを断った。いわゆるドラッグパーティが蔓延していた時代です。新人選手がコカインの過剰摂取で亡くなった事件もありました。ジョーダンはそういうものに巻きこまれず、自分の世界を突き進んだ。それが彼のひとつの特異性です。当時は僕もアメリカ在住だったので、どれだけ薬物が身近だったか知っています。毅然として断るのに、どれだけガッツがいるか。ジョーダンの禁欲的に頂点を目指す意志は、本当にすごい。やはり学ぶべきは、自分を大切にすることですね。ちなみに僕の断り方は、「俺は侍だ」という謎の精神論です。
日本ではスーパースターが生まれにくいといわれますが、大谷翔平のような人も出てきました。でも彼がそのまま日本にいたら、才能を最大限に発揮できたかどうか。しがらみを捨てて渡米したというのは、ジョーダンがノースカロライナから出たのと少し似ている気がします。ずっと地元にいたら、人種差別の壁は超えられなかった。チャンスのある場所で全力を尽くすことを選び、結果として壁を超えました。大谷の場合は差別ではないですが、出る杭を打つ日本の社会は、彼には窮屈だったかもしれません。
憧れの的でもあった!
1993年、突然の引退宣言を経て、MLBに挑戦した。同年のオールスター開催中、通算762本塁打を誇るバリー・ボンズと談笑。ジョーダンは有名人参加のホームランコンテストに参加した
〈ナイキ〉の記者会見でのジョーダンと、棒高跳びの伝説的選手セルゲイ・ブブカ。1992年撮影
ドリームチーム!
1992年のバルセロナ・オリンピックで、米国代表“ドリームチーム”の一員として参戦。ジョーダンやスコッティ・ピッペン、マジック・ジョンソン、ラリー・バード、パトリック・ユーイングなど、まさに夢のメンバーで見事に優勝した
3連覇(スリーピート)達成後の1993年オフ、不慮の事故で父親を亡くしたジョーダンは、突如引退を表明。父との約束だった野球選手を目指すべくMLBの門を叩いた。成績は悪かったが、もう少し時間をかければモノになったと評する関係者も多い。
名作シューズ誕生の裏側を描いた実話ストーリー!
今も絶大な人気を誇る〈ナイキ〉のシューズ“エア ジョーダン”。その誕生までの実話を描いた作品。主演・製作にマット・デイモン、監督・製作にベン・アフレックというコンビにも注目が集まる!
『AIR /エア』
監督:ベン・アフレック 出演:マット・デイモン、ベン・アフレック 配給:ワーナー・ブラザーズ 全国公開中 ©2023Warner Bros. Ent. All Rights Reserved.
教えてくれたのは
[モーリー・ロバートソン]
Morley Robertson
1963年、NY生まれ。日米双方の教育を受け、東京大学とハーバード大学に現役合格。現在はタレント、国際ジャーナリスト、音楽家、DJとして幅広く活動中。膨大な知識と縦横無尽な思考に加え、そのユニークなキャラクターでも人気。
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自分を律する姿勢は誰もが学ぶべき!
「自分にも他人にも厳しく戦い抜き、現在まで自己を律しているのがすごいと思います。アメリカンドリームの頂点に近い人なんじゃないかな。素晴らしいです!」
前回の“アメリカ偉人伝”は
◆【ボブ・ディラン】世界中の人々を魅了し続ける男の実像とは!?
雑誌『Safari』6月号 P242~243掲載
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text : Kunihiko Nonaka(OUTSIDERS Inc.)
photo by AFLO