【武藤嘉紀】新たな挑戦を求めた海外移籍のスタートラインとなった1発! チームメイトの信頼を掴んだ初スタメン、初ゴール
欧州5大リーグのうち、3リーグで得点を記録した日本人初のサッカー選手、武藤嘉紀。ケガに悩まされながらも海外のトップリーグで結果を残してきたアタッカーの挑戦は、ドイツでのあざやかな初ゴールからはじまった。
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- アスリートの分岐点! vol.14
YOSHINORI MUTO
TURNING POINT
2015年8月29日
ブンデスリーガ
2015‐2016 第3節
VS ハノーファー96
ドイツ、イングランド、スペインという欧州のトップリーグのチームを渡り歩き、ヴィッセル神戸で6年ぶりの日本復帰を果たした武藤嘉紀。自身の分岐点として鮮明に記憶が残っている試合は、海外初挑戦のマインツでの初先発となった、2015年第3節のハノーファー戦。DFの酒井宏樹とMFの清武弘嗣が所属する相手チームに3-0で大勝したこの対戦で、武藤は移籍後初ゴールを含む2得点、1アシストを決め、チームを勝利に導くという鮮烈な先発デビューを果たした。
「ドイツに渡って最初の試合は途中出場で得点は決められず、これが初先発の試合ということで、僕自身、気持ちも気合も入っていました。やっぱり移籍したばかりの日本人選手は、チームの序列的に間違いなく舐められている部分があります。本当にコイツはできるのだろうか、という目で見られている。そういった状況の中で、ブンデスという素晴らしいリーグで初得点し、かつ2点めも決められた。そこで一気に信頼を得て、絶対的なポジションを掴めましたね。これ以上ない結果を出せた試合です」
だからこそ、初得点のシーンは鮮明に覚えている。0-0で迎えた前半15分、武藤はバイタルエリア内で斜めに動きだしながらFWのハイロ・サンペリオからのスルーパスを引き出し、そのまま左足でゴールに流し込んだ。
「ポストに当たってから入ったゴールだったのですが、コースが見えてシュートを打った瞬間からの1、2秒は、頼むから入ってくれ〜って神様に祈りながら、キーパーの横を走り抜けましたね(笑)」
外国人選手として結果を出すことの重要性は、言葉の面でも感じていたという。
「当時、ドイツ語を全く話せなかったので、まずコミュニケーションが取れないんですよ。チームの強化部は、僕を必要としてくださって獲得をしてくれたので、移籍当初から監督たちからの信頼は多少あったと思います。でも、チームメイトはわけが違う。だから、なおさら結果が重要。結果を残せなかったら冷たいのは、どのリーグも同じです。それがこの試合を経て、チーム内の自分への雰囲気がガラリと変わりました。1試合ですべてが決まったな、という印象ありますね。よく話しかけてくれるようになるのもそうですが、試合中に僕のことを見てくれる回数も増えた。ラストのところでパスを出してくれたりもする。海外の選手たちは基本的に貪欲なので、僕がフリーな状態でいたとしても、自分でシュートまで持っていくことが多い。でも、得点を決めるようになると、そういったシーンでもボールがまわってくるようになります。当初、ポジションとしても、どこで使われるのかは正直わかっていなかったのですが、この試合で点を取ったときがFWだったので、そこから定着しましたね」
あざやかな先発デビューを果たしたマインツを経て、プレミアリーグのニューカッスル、スペインのエイバルと渡り歩き、真摯にサッカーと向き合い戦い続けた。6年間にわたる海外での挑戦を、どんなふうに総括しているのか。
「ステップアップしていって、しっかり壁にもぶち当たりました。プレミアではケガもあって1年半も試合に出られず、2年めに関してはほぼベンチ外。あのときは、本当にしんどかったですね。だけど、やっぱりそういうものを求めて海外に行ったんです。自分自身がステップアップをして、より難しい環境で勝負をしたかった。そこで自分ができることをやりきったのは間違いありません。ヨーロッパでもっと活躍し成功したかったですが、自分ができる最大限の努力をしたので後悔はありません。今はなによりも試合にずっと出続けることが重要だということを考え、日本に帰るという選択がベストだという決断をしました」
ヴィッセル神戸でのJリーグ復帰会見では、「ゴールマシンにならなくてはならない」という強い意気込みを語った。
「ヴィッセル神戸はドリームチームだといわれますが、蓋を開けてみて全然そうじゃないということほど恥ずかしいことはありません。サッカーというのは、ネームバリューがあれば勝てるほど甘いものじゃないので。もっと厳しく、結果にこだわっていかなくてはならない。僕が日本に帰ってきたのは、ヴィッセル神戸を常勝軍団にするためでもあるから。日本代表だって、当然諦めたわけではありません。結果を出していけば、自ずとついてくるものだと思っていますから」
サッカー選手
武藤嘉紀
YOSHINORI MUTO
1992年、東京都生まれ。2012年、慶応義塾大学在学中にFC東京の特別強化指定選手に登録。翌年の2013年にはJリーグデビューし、2014年に史上3人めとなる新人でJリーグベストイレブンに選出。6年間の海外挑戦を経て、2021年からヴィッセル神戸に完全移籍。
TAMURA'S NEW WORK[フェンシングエペ日本代表]キャプテンの見延和靖選手が突き上げた拳を中心に、選手たちをひとつの塊として描いた。「イラストだからこそ描ける構図やニュアンスで、写真では表現できない感動を伝えたかった」と田村。このイラストを用いた記念グッズも制作する予定がある
「あのときの感動が甦る作品」
田村の最新作のモチーフは、東京五輪の金メダリスト。日本フェンシング史上初の金メダル獲得という歴史的快挙を成しとげた、男子エペ代表チームの優勝を喜び合う瞬間の1枚だ。
「日本フェンシング協会の新会長に就任した武井 壮さんが以前から仲よくしてくださっていて、直接依頼をいただいたのがきっかけです。金メダル獲得を祝う記念品として、なにか新しいことはできないかと相談され。それなら表彰盾のような当たり前のものではなく、それでいて記憶に残るものとして、勝利の瞬間を描かせていただきました」
作品を描くうえで、チームの“団結”を表現することを意識したという。
「金色に輝く輪を金メダルと日の丸に見立て、そこに向かって選手たちがひとつの塊になっていくようなイメージで、拳の位置や構図を考えました。これを見て、あのときの感動が甦るような作品になってほしい。そんな想いがこもっています」
アーティスト
田村 大
DAI TAMURA
1983年、東京都生まれ。2016年にアリゾナで開催された似顔絵の世界大会、ISCAカリカチュア世界大会で総合優勝。アスリートを描いた作品がSNSで注目を集め、現在のフォロワーは10万人以上。その中にはNBA選手も名を連ねる。海外での圧倒的な知名度を誇る。Instagram:@dai.tamura
雑誌『Safari』12月号 P222~224掲載
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illustration : Dai Tamura text : Takumi Endo