【坂本勇人】無心で打ったストレートがトップチームへの扉を開いた! 大記録への第1歩、代打出場での初安打!
31歳10カ月という史上2番めの若さで、歴代53人めとなる通算2000本安打を達成した巨人の坂本勇人。高卒で入団し、2年めから1軍全試合に出場を果たした彼の輝かしい実績は、ターニングポイントとなった一打からはじまった。
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- アスリートの分岐点! vol.3
HAYATO SAKAMOTO
TURNING POINT2007年9月6日
セントラル・リーグ
VS 中日ドラゴンズ
坂本勇人がプロ野球選手としての分岐点として記憶している“その瞬間”。それは、18歳で入団したばかりのルーキーイヤーに突然訪れた。2007年シーズン終盤の9月6日に、ナゴヤドームで行われた中日ドラゴンズ戦。1対1の同点で迎えた延長12回の2死満塁。新人でなくとも恐ろしくプレッシャーがかかる場面で、代打としてバッターボックスに立つことになったのだ。対戦した投手は、落合監督時代の黄金期を左の中継ぎとして支えた高橋聡文。力強いストレートが売りの速球派で、奪三振率も高いピッチャーとして鳴らしていた。
「この打席に立つまでは、150kmを超える速球を投げるピッチャーと対戦したことがありませんでした。目の当たりにした球の速さに衝撃を受けながらバッターボックスに立っていたことを、今でも覚えていますね。頭の中は真っ白だったので、どう打とうかということまで考えていなかった。ただ、直球を思い切り振ることだけを意識していました」
坂本は、カウント2-2から投げられた144㎞の球を見事に捉え、プロ初安打の快音をナゴヤドームに響かせた。打球は詰まりながらも二遊間を越えて2人の走者が生還し、1安打2打点を記録。これが勝ち越し打となった。5時間15分にも及んだ中日との天王山となるゲームに、値千金の一打で決着をつけたのだ。
「当時は高校生からプロ入りして、まだ数カ月間しかたっていない頃。だから1軍は、ものすごく遠い存在でした。毎日2軍で練習しながら、上はどういう世界なんだろうという感覚でしたね。そんな中、この試合のようなプレッシャーのかかる場面で初安打を打つことができた。手応えまではいきませんが、頑張れば1軍で活躍することができる。この世界でやっていける。そう思えるようになり、意識がガラッと変わりましたね」
坂本は、この初安打を放ったのち、初年度は2軍で過ごすことに。しかし、その翌年から1軍に昇格し、全試合に出場。3年めには3割台の打率をマークし、3年連続のリーグ優勝と7年ぶりの日本一にも貢献する活躍をみせる。そして2000本安打達成に向けての記録を積み重ねていく。
「プロ初安打を打ったあと一度、2軍には落ちましたが、逆にモチベーションは上がりました。自分もそうでしたが、特に高卒で入団した選手は、どうすれば1軍に上がれるのかが全くわからないことが多い。そんな感覚で漠然と練習していても、当然結果を出すことはできません。しかし、トップの打席に立ったことで、一流というものを肌で感じ、このレベルのピッチャーを打てるようにならなきゃいけないという感覚を持つことができた。練習に対する取り組み方も、“やらされている練習”から、これはなんのためにやることなのかと“自分で考える練習”になっていきました。まわりの偉大な先輩たちは、みんなそうやって練習をしていましたから」
2軍で過ごした初年度は、それとはまた違うモチベーションもあったという。
「高校時代も入団当初も、僕は無名に近い存在でした。高校時代からもっと有名な選手はたくさんいましたから。そういう人たちを追い越したいという気持ちも強く持っていました。田中将大もその1人ですね。彼は駒大苫小牧にいたので、八戸学院光星時代は練習試合でよく対戦していました。田中は当時から投げている球がすごくて。こういうヤツがプロにはゴロゴロいるんだろうな、だからこういう球を打てるようにならなければ絶対プロになれない。そう思いながら、日々練習をしていましたね」
そんな田中との対戦経験から、2軍でのアドバンテージを得られたようだ。
「彼が投げる球のイメージでプロ入りしたので、2軍のピッチャーの球にも動じずに対応することができました。田中のほうがすごい球を投げているなと思うこともあった。それくらい彼は優れたピッチャーなんです。そのレベルの投球を高校時代に体感できたことは、自分にとっての強みになりました」
分岐点となった初安打から積み重ねてきたヒットで、大記録を達成した坂本。だが、その余韻に浸ることなく、新たな闘志をすでに燃やしている。
「日本シリーズで対戦したソフトバンクに対し、2年連続でいいところなしでした。巨人打線は速い球を打てないと語る評論家もいました。自分も含めチームのみんなが、かなり悔しい思いをしています。当然、結果は真摯に受け止めたうえで、それを絶対に見返す。そしてやり返す。今はそのモチベーションしかありませんね」
野球選手
坂本勇人
HAYATO SAKAMOTO
1988年、兵庫県生まれ。八戸学院光星から、2006年に高校生ドラフト1位で巨人軍に入団。2014年に、阿部慎之助に代わる新主将に任命。2016年にはセントラル・リーグの遊撃手としては史上初となる首位打者を獲得。また、同年、2017年、2019年とゴールデングラブ賞を獲得。
TAMURA'S NEW WORK[千葉ジェッツふなばし]躍動感あふれる富樫選手のイラスト
「劇的な得点が思い浮かぶ作品」
Bリーグ1部で首位を争う〈千葉ジェッツふなばし〉のビジュアルを手掛けることになった田村大。新京成電鉄の“ジェッツトレイン”の車内広告に加え、北習志野駅と船橋日大前駅も、彼の作品がジャックしているビッグプロジェクトだ。
「千葉ジェッツふなばしは、過去に一度お声がけをいただいたことがあるチームで。NBAと仕事をするという僕の夢が実現したら、絶対に最初にお仕事をしたいと思っていました。それが、今回のような形で実現できて本当に光栄です」
全選手を描いたが、本人にも会えた富樫勇樹の作品は思い入れもひとしおだ。
「富樫選手は、カラダは小さいけれど得点力が非常に高い選手。その武器は、高さのあるジャンプシュート。これで何度も試合を決定づける得点を決めています。彼が演出した名場面を思い浮かべながら楽しめる。そんな作品を目指しました」
アーティスト
田村 大
DAI TAMURA
1983年、東京都生まれ。2016年にアリゾナで開催された似顔絵の世界大会、ISCAカリカチュア世界大会で総合優勝。アスリートを描いた作品がSNSで注目を集め、現在のフォロワーは10万人以上。その中にはNBA選手も名を連ねる。海外での圧倒的な知名度を誇る。Instagram:@dai.tamura
雑誌『Safari』2月号 P174~176掲載
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illustration : Dai Tamura text : Takumi Endo photo by Hochi Shimbun, AFLO