【細貝 萌】プロでやれると実感した天皇杯連覇!
高校卒業後、6年間にわたって浦和レッズで存在感を放ち、海外に挑戦した細貝 萌。現在はザスパクサツ群馬で戦う経験豊富なボランチが、プロとしての戦える自信を得るきっかけとなったカップ戦に対する思いを語る。
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- アスリートの分岐点! vol.37
HAJIME HOSOGAI
TURNING POINT
2007年1月1日
第86回天皇杯決勝
VSガンバ大阪
新たな課題が浮き彫りに!?
ドイツ1部ブンデスリーガの最前線でプレイした5シーズンを含めた8シーズンに及ぶ海外挑戦を経て、地元クラブのザスパクサツ群馬に凱旋。闘志あふれるベテランボランチとして、存在感を放っている細貝 萌。そんな細貝が18年間のプロ生活における分岐点として語ってくれたのは、2007年1月1日に国立競技場で行われた天皇杯決勝。
細貝が所属していた浦和レッズはガンバ大阪と対戦し、1-0で勝利。何度もピンチを迎えながらも切り抜け、終了間際の永井雄一郎の決勝ゴールという劇的な展開で試合を決めた。浦和はこの天皇杯で、リーグ戦での出場機会が少なかった選手を起用。その1人が、プロ2年めの細貝だった。
「高校を卒業して2年めのシーズンでのスタメン出場でしたが、天皇杯はその前の年の決勝にも当時の監督のギド(ブッフバルト)にスタメンで使ってもらって優勝を経験させてもらったので、非常に思い出深い大会です。リーグ戦になかなか出られない中で起用してもらったわけですが、この年の天皇杯は1年めとは違い、自分の価値を少なからず証明できた試合だったのかなと思っています。当時の浦和レッズは日本代表クラスやオリンピック代表クラスの選手がほとんど。1年めはそういった素晴らしい先輩たちに天皇杯を獲らせてもらって、一発勝負のトーナメントで勝つ喜びや達成感を感じさせてもらいました。しかし、まわりからしたら若干まぐれじゃないですけど、“細貝はたまたま通用したのではないか”という思いが少なからずあったと思います。でも、2年めに関しては、自分の存在価値を多くの人に知ってもらえたという手応えのようなものがありました。監督やチーム内の選手からも“あいつは若いけど試合に出れば意外にやれるんだな”ということは証明できたのかなと。プロ1年めで天皇杯優勝を経験してから2年めのシーズンは、リーグ戦にほぼ出られていなかった。そこからのカップ戦ということで、特別な思いもありました」
Jリーグにおけるトップ選手とのマッチアップも、貴重な経験になったという。
「当時のガンバにはマグノ・アウベスという前シーズン得点王のブラジル人FWがいました。当時のJリーグで一番点を獲っている選手と90分間、ほぼマッチアップしている感じでした。なんとかやれたっていう感覚があるわけではなく、逆に簡単にやられてしまったこともあった。でも、あの当時の自分にとっては、それを感じることができてよかったと思っています。自分がやれたというシーンより、彼にスピードでもっていかれてついていけなかった場面が記憶には残っていますね。うまくタイミングをずらされてシュートまでもっていかれたりとか。僕はディフェンスなので、そういったことはやっぱり覚えています。こういう選手がヨーロッパに行ったらたくさんいるんだなということも、間近に感じることができましたしね」
その後、浦和レッズのレギュラーに定着。2011年からは活躍の場を海外に移し、ドイツ、トルコ、タイで9シーズンプレイ。2021年9月から故郷である群馬県のザスパクサツ群馬に戦いの場を選んだのは、どんな思いからなのか。
「2005年に浦和レッズに入団するまで、ずっと群馬でサッカーをしてきたので、恩返しをしたいという思いがありました。以前からフットサル施設を作ったり、ザスパクサツ群馬のホームゲームでイベントを開催したりしてきたのには、そうした思いがあったからです。移籍前にはいくつかのオファーもいただいていたのですが、年齢を考えるとここで群馬に帰らないともしかしたら群馬でプレイすることができないかもしれない。やっぱり最後は群馬でサッカーをしたいという決断をして戻ってきたという感じです。加入はシーズン中盤でしたが、コンディションを調整して終盤戦に加わり、残留をギリギリのところで決めた数試合にはピッチに立てました」
ピッチにはどんな思いで立つのだろう。
「今でも自分ではやれると思っていますが、運動量でいえば若いほうが当然、動けます。自分はサッカー選手としてあとどれだけ続けられるのかというところで考えれば、2年かもしれないし、1年かもしれない。でも、だからこそ自分自身がサッカーを楽しんでやっていきたい。そうじゃないと、引退したときに自分自身が絶対に後悔するなって思って。サッカーが楽しくなかったでは終わりたくない。そう強く思っています」
サッカー選手
細貝 萌
HAJIME HOSOGAI
1986年、群馬県生まれ。前橋育英高校卒業後、2005年に浦和レッズに入団し、ボランチとしてレギュラーに定着。2011年に渡独し、アウグスブルク、レバークーゼン、ヘルタベルリンなどでプレイ。2010年に日本代表に初選出され、国際Aマッチ出場30試合、1得点。
TAMURA'S NEW WORK
信玄公祭り
「この作品は、冨永 愛さんが信玄公役を演じている姿や衣装を着ているビジュアル資料がない状態から、描いています。ですので、表情や仕草といった部分は、限られた資料写真からイメージを膨らませながらリアルな表現になるように描いたのもひとつの挑戦でした」
女性が演じる信玄公を描く挑戦
モデルで女優の冨永 愛が演じる武田信玄公を、田村 大らしい迫力あるタッチで描いた作品。これは、山梨県が10月27~29日に開催する県内最大級の祭り“信玄公祭り”のために描き下ろしたものだ。
「今年の“信玄公祭り”は第50回となる節目で、女性が信玄公役を務めるのは、はじめて。そのメインビジュアルを描く大役を、任せていただきました。冨永 愛さんが武田信玄公を演じるということで、女性らしい曲線を用いながら猛々しい印象を与えなくてはならないという課題が、ひとつの挑戦になりました」
描写的にも挑戦があったという。
「今回は、武田信玄が乗馬している姿を描きましたが、身体の動きでは勇ましさを表現できなかったため、目の表情で強さを伝えることを意識しました。今回の“信玄公祭り”は女性の初起用ということで様々な期待が高まる中でのお祭りになると思いますが、それに応えられるような作品になっていてほしいです」
アーティスト
田村 大
DAI TAMURA
1983年、東京都生まれ。2016年にアリゾナで開催された似顔絵の世界大会であるISCAカリカチュア世界大会で、総合優勝。アスリートを描いた作品がSNSで注目を集め、現在のフォロワーは10万人以上。その中にはNBA選手も名を連ねる。Instagram:@dai.tamura
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illustration : Dai Tamura text : Takumi Endo photo by AFLO