【小林祐希】海外移籍を決意させた初の日本代表戦!
海外リーグからJ1に復帰し、今シーズンはタイトル奪取と代表復帰という目標を掲げ、北海道コンサドーレ札幌のMFを担う小林祐希。かつてない悔しさを味わい、高みを目指す原点となった代表デビュー戦について語ってくれた。
- SERIES:
- アスリートの分岐点! vol.31
YUKI KOBAYASHI
TURNING POINT
2016年6月7日
キリンカップサッカー2016
VS ボスニア・ヘルツェゴビナ
自身の無力さを痛感!
オランダ1部を筆頭に海外4カ国でプレイし、昨シーズン途中で加入したヴィッセル神戸ではJ1残留に導く立役者の1人として活躍した小林祐希。「年齢に関係なくできることはある。日本代表を目指して新しいチャレンジをしたい」と静かに闘志を燃やす経験豊富なMFは、今シーズンから北海道コンサドーレ札幌の新戦力としてキャリアを歩みはじめた。
そんな小林が分岐点として語った試合は、2016年6月に行われたキリンカップ決勝戦。ハリルホジッチ監督率いる日本代表がボスニア・ヘルツェゴビナ代表と対戦したこの一戦で、当時24歳だった小林は日本代表としてはじめてピッチに立った。1点を追う展開となった74分にMF宇佐美貴史に代わって入った小林は、左サイドから中央にも攻め込むなど果敢にプレイ。78分に得意の左足でシュートを放ち、87分にはFW浅野拓磨に供給したパスでチャンスを演出し、見せ場を作った。わずか20分弱の出場ながら積極的にボールに絡んで“らしさ”を発揮したようにも見えた。だが、1-2で敗れたこともあって「試合前に強烈な爪痕を残すと宣言しましたが、リスくらいの爪痕しか残せなかった」と悔しさを味わった試合だったという。
「当初、僕は試合に出る予定ではなかったんです。でも、試合としては負けている展開だったので、監督としては普通に負けてもなにも残るものはないと割り切りがあったのかもしれません。いきなり呼ばれて“俺、出るんだ!?”って感じでしたが、ウォームアップはしっかりしていたので左サイドハーフで入って。そこからの展開は、鮮明に覚えています。監督から“左サイドに張ってろ”と指示があったのですが、後半は日本が攻撃的になっていて。内側に少しスペースがあったので、トップ下の選手に寄ってボールを受けて前に運ぶというプレイをやったりしていました。監督からは“サイドで張れ”って怒られて、戻ったりしていましたが(笑)。でも、試合的には押せ押せのムードになっていた。ただ、自分としてはゴールとアシストをしたかったので、できなかったことの悔しさは大きいですね。試合後に本田圭佑さんに“僕、どうでした? 結構、積極的にやったんですけど”って聞いたら、“まだまだ、すべてが足りていない。レベル上げていかないとあかんな”といわれまして。気合が入りましたね」
代表に初招集され、試合前に感じたことも当時の小林にはインパクトを残した。
「当時、僕が所属していたジュビロ磐田はこの年のシーズンにJ1に昇格したチームで、僕自身はJ2でプレイしていた期間が長かったんです。当時の日本代表は、ヨーロッパでプレイしている選手が8割くらいを占めていました。だから、練習でもテンポやスピードが速いし、フィジカル面でも自分とは全く違った。全然足りていないなっていうのを感じながらトレーニングをして、ものすごい刺激を受けましたね。自分も早くヨーロッパでプレイしたいという気持ちが、改めて湧き上がりました」
一方で当時、ジュビロ磐田で小林を後押ししてくれていた名波 浩監督からもらった言葉も特別なものだったという。
「試合後に、名波さんに代表デビューできましたと感謝の気持ちを伝えようと思って電話を見たら、もう先に留守電が入っていて。“小林、お疲れ。今日はメチャクチャよかったな。採点は6.5”というメッセージを残してくれていたんです。それがものすごく嬉しかったし、自信になりましたね。その後、2カ月後くらいにオランダに移籍したのですが、めっちゃくちゃ嬉しくて移籍後もときどきその留守電を聞いていました(笑)」
オランダ1部からはじまった海外でのプレイは7年に及び、北海道コンサドーレ札幌で新たな決意を持って戦っている。海外での経験をどう総括し、今シーズンのピッチに臨んでいるのだろう。
「国や文化が変われば、サッカーも生活スタイルも違います。サッカー選手というよりも人間として様々なものを吸収できたことは自分にとっていい経験になったと思っています。現状を見れば、代表に生き残れなかったことも考えると大成はできていない。ただそれでも、最後まで悔いのないようにやりきってやろうという思いがあります。コンサドーレというチームで、タイトルを取ることが一番の目標。そして、AFCチャンピオンズリーグの出場権を得れば海外とも戦え、その先には代表に戻れる可能性もゼロではない。1%でも可能性がある限り、それに向かって走っていきたいですね」
©2023 CONSADOLE
サッカー選手
小林祐希
YUKI KOBAYASHI
1992年、東京都生まれ。東京ヴェルディ下部組織を経て、2011年トップ昇格。2012年にジュビロ磐田に移籍。2016年にオランダ1部SCヘーレンフェーンに移籍。ベルギーやカタール、韓国のクラブを渡り歩き、ヴィッセル神戸を経て、今期から北海道コンサドーレ札幌に。
TAMURA'S NEW WORK
〈メルセデス・マイバッハ〉&〈ハーレーダビッドソン〉
「イラストとして額装すると、ガレージでしか目にすることができない愛車をいつでも眺められるのが魅力だと思います。〈メルセデス・マイバッハ〉は美しい質感を意識し、〈ハーレーダビッドソン〉は錆などを魅力として描き、素敵に見えるように表現しました」
特別な愛車に出合えた喜びを形に
〈メルセデス・マイバッハ〉初のSUVとして知られる“GLS600”と、その横に描かれた〈ハーレーダビッドソン〉のヴィンテージモデル。前者の車体はラグジュアリーSUVにふさわしいクラス感、そして後者は年代物のバイクにしか出せない存在感を、それぞれ異なるタッチを駆使して描き分けた。
「オーナーの方から、思い入れのある愛車を僕の作風で描いて額装したいというオファーをいただきました。僕の作品は前から見ていただいていて、いつか“特別なとき”に描いてほしいと思ってくださっていたとのこと。それで、この2台の愛車を所有したタイミングで依頼してくださったんです。こうしたオーナーの方に限らず、アスリートのみなさんにも〝いつか僕に描いてほしいと思っていた〟といってくださる方が少しずつ増えてきました。描くことがひとつのステイタスになるアーティストになれたら光栄ですし、そこを目指したいと思っています」
アーティスト
田村 大
DAI TAMURA
1983年、東京都生まれ。2016年にアリゾナで開催された似顔絵の世界大会であるISCAカリカチュア世界大会で、総合優勝。アスリートを描いた作品がSNSで注目を集め、現在のフォロワーは20万人以上。その中にはNBA選手も名を連ねる。海外での圧倒的な知名度を誇る。Instagram:@dai.tamura
アスリートに関するオススメ記事はコチラ!
◆アスリートとファッション
◆美女アスリートとデニム
雑誌『Safari』5月号 P262~264掲載
“アスリートの分岐点”の記事をもっと読みたい人はコチラ!
●『Safari Online』のTikTokがスタート!
こちらからアクセスしてみて!
illustration : Dai Tamura text : Takumi Endo photo by AFLO