時に慎重に、時に大胆に。信念を持って前進しているように思えるが、本人は「僕はもっとざっくりした人間」と言って笑う。俳優の道を歩きはじめてから20年、綾野剛は様々な作品の代弁者となってきた。そんな彼の新作『花腐し(はなくたし)』(11月10日劇場公開)は、1人の映画監督の物語。綾野演じるピンク映画の監督・栩谷(くたに)が梅雨のある日、男と出会い、それぞれの過去にまつわる対話を重ねていく。その中でやがて、2人が同じ女性を愛していた事実が浮かび上がり……。湿り気を帯びながらも、どこか乾いた手触りもある不可思議な作品世界に、綾野剛は何を見出したのか。俳優としてのこれまで、そしてこれからについても聞く。
──まずは、『花腐し』への出演を決めた理由から聞かせてください。
何よりもまず、荒井(晴彦)監督の作品に参加したいという想いがありました。荒井さんは数々の名作の脚本を書かれていますが、それは台本でも、シナリオでもなく、脚本と呼ぶべきもの。その作家性感度や思慮の深さに惹かれていました。ものすごく密度の濃い内容であるにもかかわらず、脚本には余分なものが一切ない。言い方を変えれば、全くサービスがない。それでいて、ご本人はとてもチャーミングで温かく、そのギャップにもやられました。栩谷という役を僕に託してくださったお気持ちに、自分が持っている現在のすべてを、この作品に投下できたらと思いました。
──栩谷を綾野さんに託した理由は聞きましたか?
聞いていません。監督が「綾野くんに」とおっしゃってくださったことがすべてです。僕はただ期待に応えたい思いで、栩谷に向き合うのみでした。僕たち役者は仕事を選ぶ側ではなく、選んでいただく側なので。理由を聞いたらプレッシャーにもなるかもしれないですしね(笑)。
──では向き合うにあたり、栩谷をどう捉えましたか?
表層的な印象で言えば、感情表現を極力抑え、無愛想。でも、そういった表層的な印象こそが、彼を生きる上ですごく重要な姿勢でした。気持ちをそのまま表現できる人ばかりではありません。示すことが不得意ではあるけれど、心の中はちゃんと動いている。そんな彼をどう表現すべきか考えたとき、伊関(柄本佑)が居て、祥子(さとうほなみ)が居ると思えたのです。彼らとの関係性の中で栩谷という人が少しづつ見えてきたら、それで十分だと思えました。作品によっては役の感情を全面に表現することもありますが、栩谷はそうではありませんでした。
──役の感情が結果的に透けて見えてくるような役を、綾野さんは好んで演じてきた印象もあります。
感情をむき出しにする役の方が体感や刺激が常にありますから、演じる上での体感や安心感はあります。ですが役を生きる上では必ずしも表現しようとする気概が役の生を壊しかねない。ですから栩谷に寄り添うことを大切にしました。彼という存在の証明は、伊関や祥子に委ねていたとも言えます。
──栩谷、伊関、祥子は奇縁で結ばれた3人ですが、彼らの関係をどう捉えましたか?
栩谷にとって、2人は合わせ鏡のような存在です。会話をし、対話を経て体温が混ざり合うことで互いの存在を証明し合っている。他者がいて初めて自身の存在を認知する。映画や物語や虚構の中ではなく、その外側で。それぞれが求めていたものは"生きている"という証だけで繋がっていた様に思います。
──栩谷は映画監督で、伊関は脚本家志望で、祥子は女優。映画作りについて語っている作品でもありますね。
荒井監督の映画に対する愛と愛憎なのかもしれません。あらゆる事への始まりと終わり、そして送ると迎える。レクイエムを込めた映画なのだと思います。魅力というものは瞬間で、刹那なんです。時代と共に流動的に変化していきます。それでも創作し届けたい世界がある。その熱量が映画を生んでいると感じています。花腐しも、数々の映画も。一度はコロナで歩みを止められてしまったからこそ、自ら歩みを止めない。その胆力の尊さを、この映画、現場から改めて教わりました。
──綾野さん自身は頭の中を行動に移せていますか?
表現を諦めない。それを繰り返しています。"身体が動かなくなるまでやる"ではないのです。"心が動くからやる"のです。映画でも、テレビでも、配信でも、舞台でも。そういった意味では、常に作品に学ばせてもらっています。
──いろいろな作品に出演なさっているのと同時に、求めるものが明確な印象もあります。
自分としては、求められることに応えたい。役と監督が繋いでくれた可能性と、役が自分を呼んでくれた親和性を真摯に信じるのです。その役や作品が初めて出会う扉を一緒に開いていく。常に「扉を開くことを恐れるな」ということは自分に課してもいます。僕自身に求めるものがあったというよりは、求めてくださり作品と向き合っている方々と出会わせてもらっています。
──ご自分で見るのは、どんな映画が好きですか?
作り手の熱量が伝わってくる作品、もっと言えば、引き摺り込んでくる作品です。ジャンルだけで決める事はありません。もう予告から熱量電波が凄いものはジャンルレスで必ず観ます。作品の熱量ってどこか同じ地平線で繋がっているといいますか。例えば、栩谷と『最後まで行く』の矢崎って、物理的にも創造上でも共存できるんです。住む世界は同じで、描かれる物語の当事者になっているか、いないかだけです。世界のどこを切り取り届けるか次第なんです。ひだの数も、見せる角度も、切り取り方は無限にあります。更に機材もよくなり、技術を魅力的に使う選択肢が増えている中…失礼しました。問いの答えとは全然違いますね。
──いえ、常に役者として作品に触れているからこその考え方なのかなと。役者であることを忘れた状態で、映画を楽しむことはありますか?
どこかでその世界に入って観てしまうと思います。アクション映画を見ると、筋肉痛になったりするので。フラットに見られるものは、スポーツです。いわゆる虚構じゃないものですね。映画はどこまでもフィクションですが、ボクシングや格闘技、野球、サッカーから駅伝まで“本当”を吸収し、虚構の世界に持ち帰るのが僕のやり方かもしれません。
──根っからの役者さん……。
いや、もっとざっくりですよ。例えば、『非常宣言』を見たときは、「照明が凄いな」とか、「これ、どんな撮り方をしたのだろう?」などです。それって役者じゃなくてもそういった楽しみ方をする人はたくさんいると思います。僕らの『花腐し』だって、素晴らしい雨降らしの技術に気づいてくださる人はいるでしょうし、ファッションに目が行く人もいるかもしれない。ヴィンセント・ギャロの映画衣装についていまだに熱くなれたり。だから僕は「ストーリーを楽しんでください」という言い方をしません。
──刺さるポイントは人それぞれということですね。
はい。作品はひとつでも、その見方の数だけ面白味と触れ方がある事で作品は育っていきます。
──ちなみに、最近は何から“本当”を吸収しましたか?
駅伝です。今シーズンですので。それこそ近年、撮り方がとてつもないんです。感情も、事象もしっかり届いてきます。そういったものを何とか現場に活かせたらと思いつつ果てしないですね。"本当"は凄い。まだまだここからです。
──やはり、結局はフィクションへの愛ゆえですね。
はい。色々な角度から世界を見つめて、見つけていきたいですね。
『花腐し』11月10日公開
原作/松浦寿輝『花腐し』(講談社文庫) 監督・脚本/荒井晴彦 脚本/中野太 出演/綾野 剛、柄本 佑、さとうほなみ、吉岡睦雄、川瀬陽太、MINAMO、Nia、マキタスポーツ、山崎ハコ、赤座美代子/奥田瑛二 配給/東映ビデオ
2023年/日本/上映時間137分
interview:Hikaru Watanabe hair&make-up:Mayu Ishimura styling:Hiromi Shintani
©2023「花腐し」製作委員会