『さむけ』× LA
人気作家ロス・マクドナルドによる私立探偵“リュウ・アーチャー”シリーズ。LAを舞台に活躍するハードボイルド探偵小説だが、その中で今も根強い人気を誇るのが本作品だ。ハードボイルドとミステリーの要素が絶妙なバランスで配分されていて、読みごたえも読後感も抜群。複雑に絡まる過去の事件をアーチャーが紐解いたとき、そこに現れる恐るべき秘密とは? 西海岸のハードボイルドものが好きな人は絶対に読み逃せない作品だ!
最後に明らかになる衝撃の真実とは!?
「世界は複雑です。その複雑な世界のなかで、いちばん複雑なものが人間の心です」
本作品を最も端的に表現しているのが、主人公の私立探偵リュウ・アーチャーが序盤で依頼人のアレックスに放つ、このセリフではないだろうか。これに対してアレックスは、「ぼくには大して慰めになりません」と応じるが、「慰めを与えるのはわたしの仕事じゃないんでね」と、アーチャーは、ハードボイルド調にいなす。
作者ロス・マクドナルドが描くリュウ・アーチャーは、サム・スペード(作者はダシール・ハメット)、フィリップ・マーロウ(作者はレイモンド・チャンドラー)と並び、西海岸を舞台に活躍するハードボイルド探偵の御三家の1人に数え上げられる人気キャラクターで、サンセット・ブルバードに事務所を構えているという設定だ。そして、このタフな探偵はいたずらにドアを蹴破ったりしない。本作に限ってはリボルバーも構えないし正当防衛以外の拳もふるわない。ハードボイルドにありがちな不遜な雰囲気をいっさい感じさせないのだ。女性あしらいがうまいのは基本スペックとしても、自身の物言いや他人の心の機微に慎重で、話術と理でヒントを得るタイプの追跡者とカテゴライズしてもいいかもしれない。
肝心の物語は、“新婚旅行の初日に失踪した新妻ドリーを探してほしい”、とアレックスがアーチャーに依頼することから起こる。ドリーの身柄はほどなく発見されるのだが、それからが本番だ。登場人物の過去や来歴が、彼らの言動に複雑かつ重層に相関していく。そのねじれを、読者はアーチャーとともにほどいていく。
作品のよし悪しは別にして、アメリカのハードボイルド・ミステリーの多くは、ハードボイルドの要素が強いものと、ミステリーの割合が高いもの、どちらかに分類されがちだが、本作は“黄金比”と表現できるほど見事に両立している。
また、舞台の一部には大学が登場するため次のような会話もスパイスとして効いてくる。「レフティ・ゴドーを待っているんです。彼はピッチャーでしてね」「ピッチャー・イン・ザ・ライ?」「彼はバーボンのほうが好きだそうです」
詩の引用やほかの文学作品や名画へのオマージュを盛りこみ、韻を踏むような兼ね合いを展開する。駄洒落と言ってしまえばそこまでなのかもしれないが、ときにゼノンのパラドックスを潜ませるあたりのウィットの効いた遊び心も満載だ。同時に“サーフハウス”“亡霊号”(ルヴナン)という名の帆船、そんなパシフィック・ポイントへ誘うワードも頻出する。
アーチャーと思考をリンクさせながらページを手繰ってゆくと最後は、喪失や虚無にあふれた名文で幕引きが訪れる。全体にちりばめられている盲点を突く嘘、いびつな欲、そして日常に紛れこんだ狂気、すなわち“さむけ”を数え切れないほど見つけることができるだろう。このところ続く熱帯夜にふさわしい一冊だ。