『ビッグ・サーの南軍将軍』 ビッグ・サー
海岸沿いの小さな街、ビッグ・サー。この地に居を構えた芸術家は数知れない。その中のひとりが、今回紹介する“詩聖”リチャード・ブローティガンだ。そして、その街を舞台にしたのが本作となる。彼の描き出す世界は儚く幻想的。物語を包みこむどこか希薄な空気が、冷気を含んだ北カリフォルニアの雰囲気と絶妙にマッチする。当時の西海岸に思いを馳せてトリップ感を味わう。そんな読書体験はいかが!?
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- AMERICAN BOOKS カリフォルニアを巡る物語
“あの頃のアメリカ”を代表する
比類なき群像劇であり時代劇!
著者のリチャード・ブローティガンは、1967年に全米で刊行され、200万部を超える大ベストセラーとなった『アメリカの鱒釣り』で知られる“詩聖”だ。この散文には詩人らしい叙情的な描写が要所で認められるが、それに比べると本作『ビッグ・サーの南軍将軍』は同時期に書かれている作品にもかかわらず、どこか怠惰で刹那的だ。
物語の舞台となるのはビッグ・サーの街。“偉大なる南”が語源ともされるこの街は、SFから約150マイル南下した太平洋沿岸の地域だ。そんな’60年代の西海岸の最果てで、自称“南軍将軍の末裔”であるリー・メロンと、その親友であり観察者でもある語り手の“わたし”を中心とした狂逸の日々が続いていく。教科書には決して載らないが当時の確かな西海岸の記録であることは間違いない。
そして“わたし”の言葉の端々から察するに、歯抜けのリー・メロンは不潔でアンフェア。そのうえ、自己中心的で頑固だ。家賃を払えなくなったり、スーザンという娘を妊娠させたりとダメ男っぷりも見事に発揮する。それでもなお、誰にも真似できない彼の言動は、どこかペーソスがあふれている。そして、ごくごく稀にだが、「波が玉子みたいに北アメリカの大鉄板に当たって砕けるのを見るのが好きだ」と、気の効いた台詞を放つあたりも、どうにも嫌いになりきれない存在だ。喩えるなら、西海岸のフーテンの寅とでも呼べばいいのだろうか。まぁ、さすがに寅さんは、屁をひりながら会話をすることはないだろうけど……。
彼らは切り立った崖に侘び寂びのある小屋を作り、やかましい池の蛙を黙らすためにワニを放つ。その暮らしは貧しく即物的だ。本文にはこうある。「この地上の万物の霊長にとっては、他に道はないのさ。じぶんたちの面倒はじぶんたちで見ないといけない」
自給自足なんてヌルいもんじゃない。常に酒とタバコを求め、盗みも働く。それは生きるため、というよりも楽しく生きるため。ものすごく好意的にいえば彼らの尊厳を保つ私戦なのかもしれない。
物語の後半は、これも’60年代当時の西海岸を語るうえで不可欠なマリファナが牽引していく。マリファナによるトリップが次々とパラレルな短い物語を生み、ときにそれが交差する。脆く危うく複雑な世界に入れば入るほど、“これはなにに対しての文章なのだろう? “どれが一体、真実なのだろう?”と、読み手を軽い混乱に導くのだが、それこそがブローティガン作品の真骨頂ともいえる。
彼は終章を「一羽の鷗が私たちの頭上を飛んでいた」という一文ではじめる。しかし、それは無限の広がりを持ち、様々な結末を提示してゆく。クライマックスを語ってしまうのは野暮だが、どの結末も悪くない。無限の広がりを見せてくれる。そしてそれこそが彼ら、ブローティガンとリー・メロンが渇望した“自由”そのものなのかもしれない。
●『ビッグ・サーの南軍将軍』
リチャード・ブローティガン著 藤本和子訳 河出書房新社 780円
雑誌『Safari』4月号 P247掲載