〈A.ランゲ&ゾーネ〉ランゲ1 “A.LANGE & SÖHNE LANGE 1”
1989年、民衆の手によってベルリンの壁が崩壊。旧東ドイツに位置し、休眠を余儀なくされていた 〈A.ランゲ&ゾーネ〉も、翌年に再興を果たす。 新生ランゲの第1号機こそがランゲ1。 誕生から25年を経た今も、その魅力は色褪せない。
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初代の外観そのままに、2015年に搭載する機械を刷新。 アウトサイドデイトが瞬転式になるなど、高機能に進化させた。
❶オフセットダイヤル
時分針をオフセットし、空きスペースにアウトサイズデイト、パワーリザーブ計、スモールセコンドを配置。すべての表示が重ならな い優れた視認性をダイヤルに与えると同時に、ひと目でわかるアイコニックな外観とした。
❷幾何学的レイアウト
オフセットダイヤル、アウトサイズデイト、 スモールセコンドは、各中心点を結ぶと二等辺三角形となるように配置。パワーリザーブ計を含む、すべての配置は黄金比にも倣い、 幾何学的に美しいデザインを創出している。
❸ムーブメントの4分の3プレート
ムーブメントの3/4を覆う巨大なプレートを用い、耐久性を高めているのは創業時からの伝統。さらにテンプのウケにはハンドエングレービングを施しているのも、同様である。すべてのパーツには手仕上げが施されている。
冷戦の終結とともに再興を果たした〈A .ランゲ&ゾーネ〉が、最初のコレクションを発表したのは、1994年のことだった。その中でも最も強烈なインパクトを与えたのが、ランゲ1。
時分針を左にオフセットした特徴的なダイヤルの意匠は、すべての表示が重ならず、視認性を高めるための工夫。そのダイヤルの右上にあるアウトサイズデイトは、創業者にまつわるデジタル時計が規範だ。
ブランド再興に尽力した4代目ウォルター・ランゲは、精度と耐久性、視認性を重要視した創業者の遺志を継ぎ、アイコニックで美しい傑作を、見事に作り上げた。
右:創業者のフェルディナント・アドルフ・ランゲ(Ferdinand Adolph Lange)。15歳で後の宮廷時計師ヨハン・フリートリッヒ・グートケスに師事。5年間の修業の後、フランスなどで修業を積み、1841年に帰国。エ ルツ山地の困窮を知り、1845年に同地に工房を開き時計産業を興す 左:4代目のウォルター・ランゲ(Walter Lange)。アドルフの曾孫であり、東西冷戦で休眠していたブランドを見事再興に導いた第2の創業者でもある。アドルフ時代と同じ、ザクセン時計製作技術を受け継ぐ。2017年1月17日逝去
ドイツ・ザクセン州の州都ドレスデンにあるゼンパー歌劇場は、ワー グナーも指揮者を務めた名門。その舞台の上には5分単位で時を知らせるデジタル時計が設置されている。その製作者は、 旧ザクセン公国の宮廷時計師であったヨハン・フリートリッヒ・グートケス。〈A. ランゲ&ゾーネ〉の創業者フェルディナ ント・アドルフ・ランゲは、15 歳からグートケスの下で修業をし、歌劇場が完成し た翌年には彼の娘と結婚して工房の共同経営者にもなった。宮廷時計師としての将来が約束されていたアドルフ・ランゲが、 1845年に自身の工房を開いたのはドレスデンではなく、エルツ山地の小さな村だった。当時、貧困にあえいでいたエルツ地方に、時計産業を興すことで救済しようと考えたのだ。
宮廷時計師の流れを汲み、またフランスでも修業をしてイギリスとドイツで最先端の製作技術を学んだアドルフの時計は、世界的に高く評価され、山地に経済的な繁栄をもたらした。その技術は息子や孫にも受け継がれ、発展を続けていく。
そんな〈A.ランゲ&ゾーネ〉に 1948年、時代の影が落ちる。東西冷戦である。エルツ山地は東側に位置し、工房は国営化。 4代目ウォルター・ランゲは西ドイ ツに脱出し、ブランドは長い休眠を余儀なくされた。そして1989年にベルリンの壁が崩壊すると、ウォルターはエルツ山地に戻り、翌年に会社を再興。
その4年後にランゲ1を含む4モデルを発表し、ブランド復活を強烈に印象づけた。そのどれもが創業者が海外での修業時代 に記した〝旅の手帳〞からアイデアが引用され、ザクセン式時計製作が今に継承されている。ランゲ1 は、その名のとおり新生ランゲ 1号機にふさわしい、象徴的なオフセットダイヤルが与えられた。 ひと目でそれとわかる特徴的な外観は、 視認性を重視した創業者の遺志を継ぐ。
1994年に誕生した初代ランゲ1のスケッチ。各表示の配置が、幾何学的に計算されていることが線で示されている。右上にあるアウトサイズデイトは、5分時計がモチーフ。その窓のフレームも、黄金比に基づいている
1994年の初コレクション発表の様子
前述のように、ウォルター・ランゲが会社を再興したのは1990年のことだった。そしてランゲ1の誕生は1994年。わずか4年で今に続く傑作を作り上げたことになる。それを可能としたのは、当時LMHグループの総帥だったギュンター・ブリュームラインの協力があったから。彼は傘下に収める〈IWC〉と〈ジャガー・ルクルト〉の製造設備をウォルターに提供。二人三脚で、新生ランゲのコレクションを作り上げた。その際ブランドの新たな“顔”が必要だと考えた2人は創業者が重要視した視認性を追求。いっさいの表示が重ならずに見やすく、かつアイコニックなランゲ1のデザインを生み出した。
当時、極めて斬新といわれたオフセットダイヤルは視認性という機能に基づきデザインされたがゆえに、25年色褪せない普遍の美を宿すに至った。同時に洋銀製4分の3プレートやハンドエングレービングしたテンプ受け、軸受けのルビーをリングに収めてビス留めするゴールドシャトンといったザクセン式の時計製作を復活させ、ムーブメントにも美が与えられた。
以降ランゲ1は、ブランドの顔としてバリエーションを増やしてゆく。2000年には、複雑機構のトゥールビヨンが誕生。その後も、ムーンフェイズやワールドタイマー“ランゲ1・タイムゾーン”のリリースが続く。そして2010年、シリーズ初の自動巻きモデル“ランゲ1・デイマティック”が登場。既存の手巻きと見た目も区別するため、ダイヤルは左右を反転したレイアウトが採用された。
さらに2012年には、その自動巻きにトゥールビヨンと永久カレンダーとを統合し、技術力の高さを見せつけた。初代から受け継ぐ手巻きも、2015年に新型ムーブメントへと進化。これらほぼすべてが専用設計のムーブメントであることがランゲの誇りだ。
●1994年:ランゲ1初登場
新生ランゲのファーストモデルのひとつとして登場。登場時からムーブメ ントは美しく仕上げられていたが、ソリッドな裏蓋で隠されていた。72時間=3日間のパワーリザーブは、その後多くの他社が追随。創業者による〝旅の手帳〞と一緒に写るのは、2015年発売の現行モデルだ。
今年、誕生25周年を迎えたランゲ1は、全10作の記念限定モデルをリリース。どれもシルバーのダイヤルにブルーの針とインデックスとを組み合わせた、特別仕様だ。これは、初代ランゲ1にブルースチールの針を採用したモデルがあったことに由来する。
レギュラーコレクションも、ブランドの顔だけあってバリエーションが豊か。特徴的なオフセットダイヤルに、各モデル専用設計の精巧なムーブメントが潜んでいる。その機械も外装も、入念な手仕上げが隅々までに施され、美しさと上質さとを極めている。
ケースを2.5mm拡大。各表示の位置も整え直し、それに合わせた専用ムーブメントを搭載する。大型化で視認性は、より高い。
レトログラード式曜日表示が備わる自動巻きモデル。センターローターを採用しながら、ケースは10.4mm厚と薄く仕立てた。
リング式の月表示は、6時位置の閏年表示窓で指し示す仕掛け。停止機構付きトゥールビヨンは、秒単位の針合わせが可能。
ランゲ1“25th アニバーサリー”
25周年記念モデル第1弾は、エングレービング入りの裏蓋がついた特別仕様。シルバー×ブルーの控えめなカラートーンでまとめた。ストラップもブルーに。
高品質の証は“2度組み”にあり
それぞれほぼ専用の自社製ムーブメントを搭載する〈A.ランゲ&ゾーネ〉の腕時計。そのどれもが高精度で見やすく、壊れにくく、かつ美しい。新生ランゲが、再興後すぐに高く評価された理由だ。その高品質を支えるのが、全ムーブメントの2度組み。一度組み立てて調整した後、すべてばらし仕上げを施して組み直すことで、初期不良は格段に軽減される。トゥールビヨンや永久カレンダーのような複雑機構を2度組みする例は他社にもあるが、全ムーブメントで行なっているのは時計界全体でも極めてレア。精度と品質を高める手間と時間を“ランゲ”は惜しまない。
●A.ランゲ&ゾーネ
TEL:03-4461-8080
雑誌『Safari』12月号P304-307掲載