【田中大貴】はじめてうれし泣きした試合がキャリアのターニングポイント! 尊敬する先輩と掴んだ悲願の優勝トロフィー!
Bリーグ発足時から、アルバルク東京の主力選手として活躍してきた田中大貴。日本のバスケの未来を担うキープレイヤーの足跡には、尊敬する人物とともに戦った一戦が、ターニングポイントとして今も刻み込まれる。
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- アスリートの分岐点! vol.7
DAIKI TANAKA
TURNING POINT2012年11月25日
第64回全日本大学
バスケットボール選手権大会
VS 青山学院大学
日本最高峰のシューティングガードとして、日本のバスケ界を牽引している田中大貴。Bリーグ屈指の常勝チームであるアルバルク東京の中心選手として、2018年と2019年に2連覇を達成。数々の栄冠を掴んできた田中だが、名門・東海大学時代はあと一歩のところでタイトルを逃していた時代があった。1年生から主力で活躍していたが日本一は獲得できず、シルバーコレクターに甘んじていた。そんな彼がひとつの分岐点として記憶している試合は、悲願の日本一を掴み取った一戦。3年生で迎えた全日本大学選手権の決勝で、青山学院大学と対戦した頂上決戦だ。
「青山学院大学と決勝で対戦するのは、2年連続のこと。相手は3連覇を狙っていて、そのシーズンも勢いに乗っていた。だから、前評判も相手が優勢という見方をされていました。そんな対戦相手を破り、ずっと手が届いていなかった日本一を獲得することができたんです。プロになった今でも、この試合ほど嬉しかった勝利はありません。試合が終わった瞬間、気づいたら泣いていました。小学校の頃からバスケで悔しくて泣いたことはたくさんあったのですが、嬉しくて泣いたのは、人生でこの試合だけですね」
試合は、田中の得点などによって7対0と東海大学がリードする立ち上がりに。第1クォーターは15対14に迫られ、第2クォーターで逆転されてしまったが、後半に田中が躍動。3ポイントシュートなどを決めて驚異的な追い上げをみせ、71対57でフィニッシュ。14点差をつけ、チームは悲願の優勝トロフィーを手にした。東海大学が全国優勝したのは、実に6年ぶりのことだった。優勝候補の青学相手に多くの得点を決められたことで自信を得られたと語る田中。だが、勝利の原動力となったものはほかにもあった。
「この試合では、当時4年生でキャプテンを務めていた狩野祐介さんという先輩に対し、特別な思いがありました。狩野さんは気分に左右されることが全くない選手。練習や、試合前の準備といったすべてにおいて、365日全く変わらない態度で取り組んでいました。多くを語らず、背中で見せるタイプの先輩で、本当に心から尊敬できる選手だったんです。しかし、そんな狩野さんでも、ずっとタイトルを獲得できていなかった。高校時代に在籍した福岡第一高校で、引退の年にウインターカップ決勝まで上り詰めました。でも、惨敗した経験があったんです。そして、東海大学でも日本一にあと一歩で届かず、この年、最後のシーズンを迎えていました。そんな狩野さんにここで日本一を達成してほしい。僕だけでなく、チームの全員がそう思っていました。自分ではなく誰かのために頑張ろう。選手としてそんな思いを抱いたのは、これがはじめてのことでした」
優勝候補の青学を上回ることができたのは、もちろんチームに力があったからだ。しかし、そこに“誰かのために”という気持ちが加わったことがさらに大きな力を生んだ。田中は、そう回想する。
「それまで自分が自己中心的な選手だったというわけではないのですが、狩野さんと一緒に戦う中で、この人のために勝ちたいという思いが自然と生まれてきたんです。そんな狩野さんも、試合終了とともに号泣していました。そんな姿を見たら、自然と涙が止まらなくなってしまって(笑)。狩野さんとは、特に普段からよく話したり、行動をともにしていたわけではなかったのですが、バスケットに取り組む姿勢から、本当にいろいろなことを学びました。狩野さんと出会うまでは、僕自身気持ちに波があって、その浮き沈みにプレイが影響されることもありました。気持ちのあり方も含め、自分を変えてくれた先輩でもあります。大学時代に狩野さんに出会えたことも、バスケ人生における大きなターニングポイントになっています」
そんな田中は、2019年に日本代表としてW杯に出場したが、1次ラウンド5戦全敗。予選敗退という苦杯を喫し、世界との差を、身をもって知った。
「もっと若いうちに世界を知りたかったという思いもあります。でも、W杯を経験してから、日本のバスケを世界レベルに成長させるスピードをもっと早くしなくてはならない。そう考え日々の練習や試合に取り組んでいます。これからの日本バスケのためにも、僕の世代が大きな大会で結果を残し、道筋を作っていかないと。もしオリンピックが開催されることになったら、その気持ちを持って戦いたい。そして、それが日本のバスケの分岐点になることを強く望んでいます」
バスケットボール選手
田中大貴
DAIKI TANAKA
1991年、長崎県生まれ。バスケの名門・長崎西高校から東海大学に進学。2年連続でインカレMVPを獲得し、3年時に日本代表に選出。アジアカップ準優勝に貢献。2014年にアルバルク東京入団。2018年にチームをリーグ優勝に導く。2019年にW杯日本代表選出。
TAMURA'S NEW WORK[AIR FORCE 1 DARUMA × DAI TAMURA]“エアフォース1 ダルマ”の復刻に合わせて企画されたこのデジタル絵馬は、〈ナイキ〉とスニーカーショップ〈アトモス〉とのトリプルコラボで実現したもの。作品のテーマとして掲げたのは“躍動感”。スニーカーの上を舞うように描かれた赤いモチーフは、よく見るとスポーツをしている人のシルエットになっている
「スニーカーに願掛けできる作品」
今回の作品は、いつもと毛色が違う。描いたモチーフは、〈ナイキ〉の“エアフォース1 ダルマ”の復刻モデルだ。
「激動の1年を経て迎えた2021年元日。なにか縁起のいいことができないかということで、ダルマをモチーフにしたモデルが復刻されました。この発売に合わせ、ダウンロードして願いを書き込めるデジタル絵馬を制作することになったんです。NBAでは選手がスニーカーのソールに大切な言葉を書き込むことがあるのですが、この作品も白いソールに夢や願いを書けるようにしました」
アスリート作品が有名な田村だが、実はスニーカーを描くのも好きだという。
「静物も躍動的に描きたいという思いがずっとあり、今回その夢が形になりました。いつかはスニーカー自体のグラフィックをデザインするのが夢。そのためにも、もっと自分を磨いていきたいですね」
アーティスト
田村 大
DAI TAMURA
1983年、東京都生まれ。2016年にアリゾナで開催された似顔絵の世界大会、ISCAカリカチュア世界大会で総合優勝。アスリートを描いた作品がSNSで注目を集め、現在のフォロワーは10万人以上。その中にはNBA選手も名を連ねる。海外での圧倒的な知名度を誇る。Instagram:@dai.tamura
雑誌『Safari』5月号 P206~208掲載
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illustration : Dai Tamura text : Takumi Endo photo by AFLO