波乗りで人と音楽を繋ぐ人情派サーファー
サンフランシスコで生まれ、南カリフォルニアのヴェニスで育ったロニー。エネルギッシュな性格は彼を暴走させたこともあるが、サーフィンが精神安定剤となりその人生を大きく変えた。人生の転機をサーフィンで乗り越え、現在はその教訓をサーフィンを通して若い世代へと継承している。そんな彼の生き様を綴ってみた。
●今月のサーファー
ロニー・キンボール[RONNIE KIMBALL]
ロサンゼルスのヒップなビーチタウン、ヴェニスビーチ。かつては、ミュージシャンや芸術家が多く住むアーティストタウン。今も常に活気に満ちあふれ、独自のカルチャーが根づく場所だ。そんなエリアで生まれ育ったロニーは、社交的でとてもエネルギッシュ。早朝から波チェックはかかさず、波があれば近所の仲間とサーフィンを楽しむ。それ以外の大半の時間は、自宅のビーチハウスにゲストを招き食事をふるまうことが多い毎日だ。ゲストは仕事がらみの音楽関係者から地元の高校生までと幅広い。でもその多くはサーファーもしくはビーチ愛好家。ロニーが波乗りや海を通して繋げたちょっとしたコミュニティだ。
そもそも彼は5歳でサーフィンの虜になり、早朝から日が暮れるまで友達と海で過ごすという青春時代を送っていた。
「波乗りは、誰から教わることもなく近所の人と一緒に海に入っているうちに自然と上達したね」
最初に乗ったのはシングルフィンのファンボード。それから徐々にボードを短くして、ボトムターンやエアートリックなどをキメられるようになるまで、さほど時間はかからなかった。ただ、サーフィンにとにかく夢中の若かりしロニーは、いい波を追いかけ学校をサボることもしばしばだった。それだけでなく、好奇心旺盛な彼はいい波が立つと噂のマリブ近くの米軍基地に忍びこんだこともあった。案の定、警備隊に捕まりその作戦は失敗に終わったそうだが、これに懲りずに禁止エリアやグレーゾーンで波乗りを何度も試みた異端児は、とうとうルール違反で捕まってしまう。それまで重ねてきた違反行為も問題視され、更生のためついにミリタリーへ強制的に入隊。およそ6年もの間、大好きなサーフィンとも離れることに。当時を振り返って、ミリタリーでは人生の基礎を徹底的に叩きこまれたよ、と語る彼だが、それまでやんちゃを繰り返してきた彼にとって、かなりハードな生活であったことは想像に難くない。そんな彼の人生の転機は、軍生活を終え、波乗り仲間とバンド活動していた際に、サウンドエンジニアとしての才能を認められたことだった。
そこからの彼の活躍は目覚ましく、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、パール・ジャム、バッド・レリジョンなど、当時の’90年代オルタナティブロックブームを牽引するバンドとともに活動。しかしその成功の背景には、同じくサーフィンを趣味とするバンドメンバーたちとの水の中での交流があったと語る。
「一緒に波に乗って美味しいご飯を食べるだけで心がオープンになるんだ。この業界は特に気を張らなきゃいけないシーンもあるけど、たまにそれを緩めることも必要なんだと思うよ」
きっと、波乗りを通じ腹を割った関係になることで、クリエイティブな話もスムースに進めることができたのだろう。現在では業界の大物となったロニー。バッド・レリジョンのチーフサウンドエンジニアとして世界ツアーを仕切るほか、コーチェラなどのイベントも管理する。ステージ前後の24時間は寝る暇もないほど忙しいが、海近くでライブがあるときは、寝る時間を惜しんでバンド仲間とサーフィンを楽しむのだとか。スタミナがないとやっていけない仕事だが、体力の限界がきても乗り越えられるのは、日頃からサーフィンで鍛えているからだよ、と笑うロニー。そんな彼、ライブ後の打ち上げでもパーティ番長。そこでも多くの人々を繋げ、業界を活性化させてきた。
「特に駆け出しの新人やスランプを抱えたミュージシャンなどの面倒を見たり、とにかく甲斐性があるハートフルな奴なんだ」と、彼を知る者は語る。
どうしてそこまで親身になれるのか?
「僕が小さい頃、両親に放ったらかしにされていて、まわりに叱ってくれる人がいなかったんだ。食事も自分で準備しないと出てこなかったから小学生から自立せざるを得なくて。だから似た境遇の〝暴れ馬〞には熱くなってついついアドバイスしちゃうんだ」
ロニー自身も過去に自分を見失いかけた経験があるからこそ、道を踏み外しそうな仲間には特別な思いを抱くのだそう。そんな熱い心こそ、彼が慕われる理由ではないだろうか。
ロック業界とサーフ業界のパイプ役を担うロニー。〈ビラボン〉や〈ハーレー〉をはじめ、多くのサーフブランド協賛のイベントには必ずサウンドガイとして指名されるほどの人気ぶりだ。もちろんこの業界も長いので、きらびやかなハリウッドの世界とも交流は深い。でも、常に地に足のついた姿勢であり続けることで信頼を得てきた。その基盤には、彼の中でサーフィンというしっかりとした軸があり続けたからだという。どんなに美味しい話があっても、波乗りで培った状況を観察する力や判断力のおかげで、足を掬われることはなかったのだ。バッド・レリジョンとの強固な関係を20年以上続けているのも、彼の安定したメンタリティがあったからだ、とバンドメンバーは語る。
そんなロニーだが、ワールドツアー中に発見したシークレットスポットがあるアイルランドやポルトガル、メキシコに拠点を作り、世界中に新たなサーフコミュニティも育てている。
「でも、結局ツアーから地元に戻って、思い出話を仲間に聞かせながら一緒に波乗りをする瞬間が最高だね。世界ツアーという非日常的なことを日常的にこなせるのは、黙ってそばにいてくれる彼らのおかげなんだ。僕らの信頼関係は並大抵のものではないよ。偶然が偶然を呼び、ときには時間をかけて築いてきた人間関係なんだ。もちろん恥ずかしい気持ちになったり、悔しい思いもするけれど、そんなアップダウンのある人間関係のドラマこそ、まるでサーフィンのようだなって思うよ。でも、だったらできるだけみんなでファンウェイブを楽しみたい。それが僕の出した結論なんだよね」
ハリウッド・バイ・ザ・シー[HOLLYWOOD BY THE SEA]
静かな海はビーチブレイクでスウェルが来ればヘッドオーバーにも。サイズにもよるが、基本的にロング~ショートまで満遍なく楽しめる。すぐ側には、かつてハリウッドで働く人々の別荘として使われていた立派な邸宅が並ぶ。
最近引っ越したオックスナード(マリブ北西の街)の自宅にあるスタジオには、ヴィンテージの48チャンネルのミキサーを設置
数々のツアーパス。毎年参加しているコーチェラはロック&サーフ業界の懐かしいメンバーに会える1年で最も楽しみなフェス
右はバッド・レリジョン絡みで受賞したエミー賞のトロフィー
波のない日は室内でボクシングに集中。カラダを鍛えている
所有ボードは30本以上だが、最近お気に入りの3本がコレ。右のスコット・アンダーソンのボードは宝物だそう。真ん中は友人から託されたアンドレイニ
ゆるい波なら、友人でもあるロバート・オーガストのロングボードがパーフェクトだという。普段はガレージに収納
雑誌『Safari』8月号 P170~171掲載
“波乗り一代記”の記事をもっと読みたい人はコチラ!
photo : Yoshimasa Miyazaki(Seven Bros. Pictures) text : Momo Takahashi(Volition & Hope)