【原 修太】日本代表の扉を開いた劇的な3ポイント!
カラダを張ったディフェンスや、激しいコンタクトに負けないプレイを持ち味とする千葉ジェッツの原 修太。“千葉が生んだフィジカルファイター”が、日本代表まで駆け上がる活躍の分岐点となった1戦について語る。
- SERIES:
- アスリートの分岐点! vol.38
SHUTA HARA
TURNING POINT
2023年1月22日
Bリーグ 2022-23 B1リーグ戦 第19節
VS 信州ブレイブウォリアーズ
強靭なフィジカルを生かしたハードなディフェンスや力強いドライブで、千葉ジェッツの勝利に貢献している原 修太。チームがB1東地区優勝を果たした昨シーズンはレギュラーシーズン59試合に出場し、“レギュラーシーズンベストファイブ”と“ベストディフェンダー賞”に選出。その活躍が高く評価されたことで8月のW杯メンバーに招集され、全5試合に出場し、活躍した。
そんな原が分岐点として語ってくれた試合は、まさにその目覚ましい活躍を見せた2022-2023年シーズンの1月22日にアウェイで行われた、信州ブレイブウォリアーズ戦。第1戦を89-70で勝利した千葉ジェッツは、大黒柱のギャビン・エドワーズが出場停止処分となった状態でこの第2戦に臨んだ。試合は序盤から接戦が続くが、第2クォーターを37-39で折り返す展開になる。その後、同点で迎えた第4クォーターの終盤に2点のビハインドを背負うことになったが、残り11秒のところで原が値千金の逆転3ポイントを決めた。これが決勝点となり、千葉ジェッツが71-70の接戦を制した。この勝利によってチームは14連勝を飾り、原はエースの富樫勇樹の20得点に次ぐ16得点をマークする活躍を見せた。
「それまでもディフェンスなどの見えない部分での貢献はあったと思いますが、自分の力でチームを勝たせたのはこの試合がはじめてでした。残り数秒のところで決めた3ポイントシュートでチームを逆転させたという経験は、やはり自分にとっても大きな出来事でした。対戦相手の信州も本当に非常にいいプレイをした試合でしたので、僕と富樫が3ポイントを何本か決めることができなかったら勝てる試合ではなかったと思います」
この試合を経て同シーズンはキャリアハイの結果を残したが、好調の理由をどう自己分析しているのだろうか。
「このシーズンからヘッドコーチが代わり、チャレンジになるシーズンだと思っていました。前ヘッドコーチから厳しく指導していただいた部分を引き出していくことができたからこそ、様々な賞をいただけるような結果を残せたんだと思っています。バスケのシステムもそれまでのインサイドを攻めるプレイから大きく変わり、スイッチディフェンス(マッチアップする選手を動きの中で入れ替えるディフェンス手法)などで僕自身に責任をもたせてもらえるような局面が増えたことも、プラスに働いたと思います」
信州ブレイブウォリアーズ戦の決勝点となった3ポイントも、選手個人の判断を生かすシステムが功を奏したようだ。
「ジョン・パトリックさんがヘッドコーチになってから、チャンスがあるならシュートを打て、みんなで思いきりよくシュートを打っていこうということはずっといわれています。あの試合で僕が決めたシーンでも、本来は富樫にシュートを打たせるフォーメーションだったけど、富樫も流れの中で僕に判断を委ねてくれたんだと思います。まあ、もしかしたら富樫はもう1回、俺に戻せよって思っていたかもしれませんが(笑)。打てると判断してから、躊躇なくシュートを打つことができました。やっぱり最後は選手1人1人の自分が決めてやるという強い気持ちや、俺が勝たせるという気持ちっていうのが大きいのかなって思います」
8月のW杯に日本代表として出場していた原は、大会後に両足首の手術を受けることを発表。9月初旬に手術を受けたばかりで、10月に開幕したBリーグでの復帰はこれからになる。
「昨シーズンは、本当に怪我人が多い中で、自分を含めてみんなが痛みを抱えながら、やれる限りのことをやってきました。シーズン中に手術をするという選択もありましたが、やはりバスケをやっている以上、日本代表に入れるチャンスがあるならやれるところまでやりたいということでチームのGMやヘッドコーチにも伝えていました。それで日本代表に落ちたら、手術をさせてくださいという僕の気持ちを理解してくれたチームのおかげでずっとプレイすることができ、日本代表としても戦うことができました」
今回の手術は、原にとって「ポジティブなものでしかない」という。
「痛みとは半年以上ずっとつきあいながらプレイしてきましたが、手術をして万全になればさらにレベルアップした自分を見せることができるんじゃないかって思っています。大事になってくるのは、シーズン終盤。全員が同じ方向を向いて走っていけば、終盤に素晴らしいチームとプレイできると思っています」
バスケットボール選手
原 修太
SHUTA HARA
1993年、千葉県生まれ。小学校3年生でバスケットをはじめ、国士舘大学を経て、2015年に地元の千葉ジェッツに加入。2018年に国指定の難病の潰瘍性大腸炎と診断されて治療を行い、2カ月に1回、点滴を受けながら復帰。FIBAワールドカップ2023で日本代表に初招集。
TAMURA’S NEW WORK
ポルシェ
この作品が展示された個展は、国内最大の〈ポルシェ〉ディーラーであるEBI GROUPによって、〈ポルシェ〉スポーツカー生誕75周年を記念して開催された。隈取りと炎を融合したモチーフは、走行した際にも映えることを意識して、フロントだけでなく車体側面とルーフにも描かれている。
夢を“叶えてもらった”作品
ポルシェ911の車体を、歌舞伎の隈取りをテーマにしたラッピングアートで彩った作品。これは“ポルシェスタジオ銀座”で9月に開催された田村の個展のために制作した作品のひとつだ。
「個展の目玉となる作品として描かせていただきました。〈ポルシェ〉のフロントを顔に見立て、日本文化の象徴である歌舞伎の世界観を取り入れているのですが、同時に自分のシグネチャーになりつつある炎も取り入れています」
このクルマは、10月22日に富士スピードウェイにて開催されたイベントで、実際にサーキットを走行。動くものにアートを描くという夢が、叶った作品だという。
「この作品は、僕が描いたイラストをプリントにする方や車体に施す方、あるいは企画を通してくれた方など、多くの人たちの力があったからこそ実現できたもの。夢というものは自分が叶えているというより、叶えてもらっているものなんだという思いが、より強くなりました」
アーティスト
田村 大
DAI TAMURA
1983年、東京都生まれ。2016年にアリゾナで開催された似顔絵の世界大会であるISCAカリカチュア世界大会で、総合優勝。アスリートを描いた作品がSNSで注目を集め、現在のフォロワーは10万人以上。その中にはNBA選手も名を連ねる。Instagram:@dai.tamura
アスリートに関するオススメ記事はコチラ!
◆アスリートとファッション
◆美女アスリートとデニム
雑誌『Safari』12月号 P254~256掲載
“アスリートの分岐点”の記事をもっと読みたい人はコチラ!
●『Safari Online』のTikTokがスタート!
こちらからアクセスしてみて!
illustration : Dai Tamura text : Takumi Endo photo by AFLO