【Vol.31】『いなごの日』 ハリウッド
映画の都といえばハリウッド。華やかな舞台で活躍する日を夢見て、全米から多くの若者が集まる。では、憧れを生み出す街の正体とは、一体どんなものだろうか? その特異性をブラックユーモアとともに描いたのが本書だ。舞台は1930年代のハリウッド。主人公の絵描きの目に映るハリウッドの夢の陰…
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- AMERICAN BOOKS カリフォルニアを巡る物語
映画の都といえばハリウッド。華やかな舞台で活躍する日を夢見て、全米から多くの若者が集まる。では、憧れを生み出す街の正体とは、一体どんなものだろうか? その特異性をブラックユーモアとともに描いたのが本書だ。舞台は1930年代のハリウッド。主人公の絵描きの目に映るハリウッドの夢の陰で生きる人々の姿を描いている。本書は『いなごの日』に3編を加えた新訳。この機会に手に取ってみては!?
ハリウッドといえば映画の都として知られている。1923年にはハリウッドサインが立てられ、すでに映画の中心地として君臨していた。’30年代に書かれた本書を読むと、映画の都に全米から人々が群がる様子がよくわかる。主人公のトッド・ハケットは東部の美術学校を卒業後、ハリウッドで美術関係の仕事をしながら、“燃えるロサンゼルス”という絵を制作中である。冒頭、トッドはセットを練り歩く騎兵と歩兵を眺めてから、撮影所を出て、バインストリートを歩く。行き交う人々はスポーツウエアやヨット帽を身につけた、いわば「仮装者たち」。それに混じって、この雰囲気に溶けこめない人たちもいて、彼らのことをトッドは「カリフォルニアへ死にに来た」のだと考えている。いわばアメリカンドリームから取り残された人々だ。
トッドは続いて自宅のあるピニオン・キャニオンを登りはじめる。これはハリウッドサインがあるビーチウッド・キャニオンがモデルだ。’20年代に開発され、様々な様式を取り入れた住宅が立つ地域である。メキシコの牧場家、サモアの小屋、地中海の邸宅など、映画のセットのような雑多な取り合わせにも、トッドは辛辣な目を向け、「真に醜いものほど悲しいものはない」(P14)とまで言う。そう、ハリウッドは住人も住居も模倣ばかり。この時代から仮想現実な世界だったのだ。本書はこの世界とその住人たちを笑うブラックなユーモアにあふれている。
トッドは同じアパートに住む、フェイ・グリーナーという美しい女優の卵に恋をしている。自分をどう見せるかを常に意識している女性なので、トッドは「彼女と一緒に過ごすのは、素人っぽく馬鹿馬鹿しい劇の最中に舞台裏にいるようなもの」(P100)だと考える。彼女の父ハリーは昔NYで成功しかけたコメディアンで、今でも夢が忘れられず、やはり"ハリー・グリーナー"を演技し続けている。この2人をはじめとして、ハリウッドの住人は日常でも演技する者ばかり。彼らの芝居がかった行動がまた笑える。
このフェイにホーマー・シンプソンという求愛者が現れる。中西部出身の実直な男で、トッドから見れば「カリフォルニアへ死にに来た」者の1人だ。現在は静養中で、ある程度の金を持っているので、フェイは彼をいいように利用する。一方、フェイが本気で付き合っているのはアール・シュープというハンサムなカウボーイ。彼の友人である女たらしのメキシコ人も絡んで、様々な騒動が繰り広げられる。ホーマーは憐れにもフェイに虐待され、トッドの恋心は報われず、最後はハリウッド中心部に押し寄せた人々の暴動へ……。トッドの“燃えるロサンゼルス”の絵とも重なり、この虚構の世界が崩れていくビジョンが展開される。
僕自身、20代に読んで、強烈な印象を受けた作品。今回、柴田元幸氏の新訳で再読できたのはありがたかった。広くおすすめしたい名作にして名訳である。
『いなごの日/クール・ミリオン―ナサニエル・ウエスト傑作選―』
ナサニエル・ウエスト 著 柴田元幸 訳 新潮社 750円
雑誌『Safari』8月号 P213掲載