【まとめ】ツメアト映画~エポックメイキングとなった名作たち~
『Safari Online』の人気連載”ツメアト映画”をひとまとめ! この機会にどうぞご覧ください!
『マトリックス』編
話のざっくりした大枠は、救世主として覚醒したハッカーのネオ(キアヌ・リーヴス)が、コンピュータ・プログラミングに支配された世界=サイバースペースで、人類存続をかけた戦いに挑む――というもの。
ジャンルとしては、1980年代に流行したSFの派生形である“サイバーパンク”の延長にある。主に電脳空間や高度ネットワーク、サイボーグなどをモチーフとし、お先真っ暗な近未来の荒廃を描きながら、社会システム批判を全体の輪郭とした作風。
たしかに『マトリックス』は、サイバーパンクの代表的な作品群から露骨に影響を受けている。ウィリアム・ギブスンの小説『ニューロマンサー』をはじめ、フィリップ・K・ディックの小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』を原作とする映画『ブレードランナー』(1982年)や、大友克洋の『AKIRA』(映画版は1988年)、士郎正宗のマンガ『攻殻機動隊』(押井守監督が1995年に映画化)など……。ぶっちゃけ「総まとめ」みたいな内容だ。
ほかにも『マトリックス』は様々な「引用」の混合物として知られる。例えばネオや、ヒロインのトリニティ(キャリー=アン・モス)らがぶっ放す二丁拳銃は、香港ノワールの金字塔『男たちの挽歌』(1986年)でジョン・ウー監督が発明したスタイルのパクリ……失礼、オマージュである。さらに『ドラゴンボール』からの影響も甚大で、シリーズ第2作『マトリックス リローテッド』、第3作『マトリックス レボリューションズ』(共に2003年)と回を重ねるたびに、どんどん良く似た(時折そっくりな)バトルシーンが登場するようになったのも有名。
こういう日本のマンガ&アニメや香港アクションといった娯楽系だけでなく、例えば『不思議の国のアリス』の作家で数学者でもあるルイス・キャロルの"マトリクス暗号"や、思想家ジャン・ボードリヤールの著作『シミュラークルとシミュレーション』なども混ぜこんでおり、結果として"もはやオリジナル"な領域に到達しているのだ。
とりわけ決定的に新しかったのは、我々が体感している日常こそが、実は仮想現実だった……という基本設定。ヴァーチャル・リアリティと現実世界を等価なものとして扱うフィクションなど今では珍しくないが、当時は画期的。この感覚はインターネット時代――常にスマホなどの電子機器が脳と接続され、身体性と機械性を融合させながら生活する“21世紀的”な世界像の先取りだったと言えるのだ。
また映像革命の点においては、なんといっても“バレットタイム”と呼ばれるマシンガン撮影が凄かった。ネオがイナバウアーを連想させる“えびぞり”で弾丸をよけるシーンはパロディを無数に生み、あの北野武監督だって『監督・ばんざい!』(2007年)でギャグに使ったほど。
ちなみに北野武は、ウィリアム・ギブスンの短編小説『記憶屋ジョニー』を映画化したロバート・ロンゴ監督の『JM』(1995年)で、キアヌ・リーヴスと共演している。この『JM』は『マトリックス』の前哨戦みたいな映画であり、もはや誰も覚えていないと思うが、ぜひチェックしてみてほしい。
『マトリックス』
製作年/1999年 監督・脚本/ラリー&アンディ・ウォシャウスキー 出演/キアヌ・リーブス、ローレンス・フィッシュバーン、キャリー=アン・モス、ヒューゴ・ウィーヴィング
『レザボア・ドックス』『パルプ・フィクション』編
『レザボア・ドッグス』(1991年)
例えばダイナーでの与太話のあと、黒いスーツに身を包んだ6人のギャングたち(+2人)が歩いてくる鮮烈なオープニングシーン。この露骨なパロディだけでも、『スウィンガーズ』(1996年/監督:ダグ・リーマン)といった初期のフォロワーから、今年4月に劇場版が公開されたテレビ東京系の深夜ドラマシリーズ『バイプレイヤーズ』(2017年~2021年/メイン監督:松居大悟)まで、枚挙にいとまがない。
『レザボア・ドッグス』(1991年)
またそのシーンで流れていた楽曲、ジョージ・ベイカー・セレクションの『リトル・グリーン・バッグ』は、キリンビール“本麒麟”のCMでもおなじみ。また密室メインで銃撃戦が展開し、三つ巴で拳銃を突きつけ合うシーンが登場したら、その映画は確実に“レザボアの子供”である。
そして『レザボア・ドッグス』と双璧の影響力を持つタランティーノ作品が、1994年の第2作『パルプ・フィクション』だ。
『パルプ・フィクション』(1994年)
これ以降、「時制をシャッフルしながら饒舌な与太話を交えて笑いと暴力を描く」という作風をなぞった映画の数は計り知れない。オープニング使用曲のディック・デイル&デルトーンズの『ミザルー』は、リュック・ベッソン製作の『TAXi』シリーズ(1998年~2018年)のテーマ曲にそのままスライド。
『パルプ・フィクション』(1994年)
有名なジョン・トラボルタ&ユマ・サーマンのダンスシーン(曲はチャック・ベリーの『ユー・ネバー・キャン・テル』)は、つい最近も『パーム・スプリングス』(2020年/監督:マックス・バーバコウ)に類似場面が登場していた。『レザボア・ドッグス』も『パルプ・フィクション』も、まるで気合の入ったタトゥーのように消えない現代映画史のツメアトである。
『パルプ・フィクション』撮影時のクエンティン・タランティーノ監督
しかしなぜ、タランティーノの映画はこれほどカジュアルに真似されるのか。パクリたくなるほどかっこいいから、という単純な理由も当然あるが、ほかならぬタランティーノ自身が“パクリ”という態度を肯定的に広めた張本人だから、との点も見逃せない。
『レザボア・ドッグス』が登場したとき、ほとんどのシーンに“元ネタ”が存在することが映画マニアの間で話題になった。例えば先述した「三つ巴で拳銃を突きつけ合うシーン」などは、チョウ・ユンファ主演の香港ノワール映画『友は風の彼方に』(1987年/監督:リンゴ・ラム)のパクリだ。近い時期でいうと、小沢健二の『ラブリー』のイントロがベティ・ライトの『クリーン・アップ・ウーマン』にそっくりなんだけど……みたいなノリである。
しかしタランティーノはそこで誤魔化すのではなく、むしろ自分から喧伝した。俺はフカサク(深作欣二監督)やサニー千葉(千葉真一)やジョン・ウーが大好きなんだよ!と“元ネタ”のすべてを嬉しそうにバラしていったのだ。“映画愛”の熱烈な表明として。
パクリという言葉は少々品がないので、よく世間ではオマージュと言い換えられたりもするが、若かりしのタランティーノは「偉大なアーティストは『盗む』もんだ。オマージュを捧げたりはしない」(英『エンパイア』誌1994年11月号)と豪語していたので身も蓋もない。だが彼のパクリは深い愛情とリスペクトを前提とした引用であり、“サンプリング”という言い方が最もふさわしいのではないかと思う。
言うならば、タランティーノはDJのような発想で映画を組み立てている。そして彼の場合はつなぎ方――ネタとネタの組み合わせ(編集)が抜群にクールなのだ。例えば先述した『パルプ・フィクション』のダンスシーンも、ジョン・トラボルタ主演のディスコ映画『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977年/監督:ジョン・バダム)をベースに、アート映画の金字塔『8 1/2』(1963年/監督:フェデリコ・フェリーニ)のワンシーンを模倣したものだ。そこにチャック・ベリーのグッド・オールド・ロックンロールを乗っけるなんて、「もはやオリジナル」としか言いようがない。
『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977年)
こんな芸当が可能になったのは、おそらくタランティーノが映画学校のようなアカデミアではなく、レンタルビデオ店(カリフォルニアのマンハッタンビーチにあった“ビデオ・アーカイブス”)でバイトしながら映画を大量摂取したからではないか。独学の人だからこそ、既成の文脈に囚われない、“俺基準”で好きなものを自由につないでいく凄腕DJとしての映画監督が登場したわけだ。
『キル・ビル』(2003年)
『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007年)
その後も『キル・ビル』(2003年)や『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007年)など、ありとあらゆるジャンルの“元ネタ”を膨大な知識量をもとにつないでいく、そのセンスは唯一無二だ。彼はかねてから「長編映画を10本撮ったら引退する」と公言しているが(現在、2019年の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』で9本め)、30年選手となった今も絶対王者として君臨し、観客席やビデオルームといったフロアを沸かせているのである。
『レザボア・ドッグス』
製作年/1991年 監督・脚本/クエンティン・タランティーノ 出演/ハーベイ・カイテル、ティム・ロス、マイケル・マドセン、スティーブ・ブシェミ
『パルプ・フィクション』
製作年/1994年 原案・監督・脚本/クエンティン・タランティーノ 出演/ジョン・トラボルタ、サミュエル・L・ジャクソン、ユマ・サーマン、ブルース・ウィリス
『羊たちの沈黙』編
コロナ禍を受けつつ米ロサンゼルスで催された、第93回アカデミー賞授賞式(日本時間:2021年4月26日)。その主演男優賞に輝いたのは、なんと83歳になったハンニバル・レクター博士だった!
そう、サー・アンソニー・ホプキンス(1937年生まれ ※サーはナイトの称号)。対象作は舞台劇の映画化である『ファーザー』(2020年/監督:フロリアン・ゼレール)。授賞式の当日、彼は故郷の英ウェールズに居て会場には欠席していたが、認知症のため現実と幻覚の区別がつかないお父さん役で神すぎる名芝居を披露し、史上最高齢での主演男優賞を獲得したのだ。
そんな名優ホプキンスがオスカーを手にしたのは29年ぶり。前にアカデミー賞主演男優賞を受賞したのは、ご存じ、狂気の人喰い博士を演じた『羊たちの沈黙』(1991年/監督:ジョナサン・デミ)である。
オーバー40の映画ファンならみんな大好き、『羊たちの沈黙』は第64回(1992年度)アカデミー賞で主要5部門を獲得。“ホラー映画”のカテゴリーに属するもので作品賞に輝いたのは史上初であり、いまだにこの1本だけだ。
当時、インディーズ出身の知る人ぞ知る監督だった40代のジョナサン・デミが、監督賞で自分の名前を呼ばれた時(プレゼンターはケヴィン・コスナー!)、「いやもう、まさか僕が受賞できるとは……マジでびっくりしました。身分不相応な栄誉をいただいて恐縮です!」(※筆者超訳)みたいなスピーチを初々しく放っていたのが懐かしく想い出される。
ジョナサン・デミ監督
そんなデミ監督も、『フィラデルフィア』(1993年)や『レイチェルの結婚』(2008年)などの傑作を遺し、2017年に73歳で逝去してしまった。
さて、無数のフォロワーを世界中に生んだ『羊たちの沈黙』のエポックメイキングなツメアトは、少なく見積もっても以下の3点がある。
①知的な連続殺人鬼が活躍するサイコスリラーを確立
②“プロファイリング”を一般認知に拡大
③タフな女性FBI捜査官というヒロイン像の画期
まず①から。高名な精神科医であり、リトアニア貴族の血統を引き、IQは160とも200とも噂されるハンニバル・レクター博士。この堂々たる超インテリの超エリートが、稀代の猟奇殺人鬼であり、人間の臓器をペロリと食べる異常なグルマン(特に脳みそが大好物)だという設定はとにかく衝撃だった。博士はアートにも造形が深く、自ら殺害した監視員の変死体を美的に装飾して独房に“展示”してしまう!
もちろん“ハンニバル・ザ・カニバル”(人喰いハンニバル)とダジャレ的な異名を取る博士のキャラクター自体は、原作者のトマス・ハリスが創作したものだ(最初は1981年刊行の小説『レッド・ドラゴン』で登場)。しかしそれを魅力的な人気キャラクターにまで高めたのは映画『羊たちの沈黙』のアンソニー・ホプキンスである。
それまでの映画で登場していたシリアルキラーはいかにも怪物然としたキモい男ばかりだったが、ホプキンスの優雅で知的で気品漂う佇まいは変態犯人像に新しい説得力を付与した。ある種“神”のごとき高踏的な立ち位置で、凡庸な体制側や一般大衆を翻弄する殺人鬼。
それがまもなく『セブン』(1995年/監督:デヴィッド・フィンチャー)や『コピーキャット』(1995年/監督:ジョン・アミエル)などへと派生し、『踊る大捜査線 THE MOVIE』(1998年/監督:本広克行)では小泉今日子がレクター博士の女性版的な犯人像を演じていた。
②と③に関しては、ジョディ・フォスター扮するFBI捜査官の訓練生クラリス・スターリングという、これまた秀逸なヒロイン像にまつわる要素。筆者はテレビ朝日系の超ロングランシリーズ『科捜研の女』(1999年~)の沢口靖子を見るたび、これだって元ネタは『羊たちの沈黙』のクラリスだよなあ……との思いが頭をよぎるのだ。
そう、『羊たちの沈黙』の大ヒットがきっかけで、日本のお茶の間のご年配層にまで何となく広まったのが“プロファイリング”という言葉である。
プロファイリングとは行動科学や犯罪心理学の見地から、過去のデータと犯罪パターンを照らし合わせて犯人を推論していく捜査法。日本では検死官とごっちゃになっているという指摘もよく見られるが(例えばテレビ朝日系『臨場』の内野聖陽は検死官)、見習いFBIのクラリスは上司の指令により、バッファロー・ビルという凶悪な猟奇殺人犯の捜査のため、精神病院に収容されているレクター博士にプロファイリングの協力を乞いに出向く。いま思うと「それってパワハラでは?」と訴えられてもおかしくないほど危険な任務だ。
ジョディ・フォスター
このクラリス役を、レイプ問題に批判の刃を入れた『告発の行方』(1988年/監督:ジョナサン・カプラン)でもアカデミー賞主演女優賞を受賞し、当時からフェミニストとして知られていたジョディ・フォスターが演じたのも大きい。現在の彼女は写真家の女性と同性結婚しているが、その硬質な存在感があってこそ、#MeToo以降も『羊たちの沈黙』は歴史的なマスターピースとしての支持が高いのだろう。
アンソニー・ホプキンス
一方、アンソニー・ホプキンスにとってレクター博士はあまりにも当たり役となったため、「渥美清といえば寅さん」ばりの呪縛に絡め取られたことも事実だ。かなり間が空いた続編『ハンニバル』(2001年/監督:リドリー・スコット)と『レッド・ドラゴン』(2002年/監督:ブレット・ラトナー)でもレクター博士を演じているが、役柄の固定イメージから逃れるための葛藤はあったのかもしれない。
その意味でも『ファーザー』でのオスカー受賞は本当に拍手! ちなみに実際のホプキンス自身は人喰いどころかベジタリアンだっていうのも笑える。
『羊たちの沈黙』
製作年/1991年 原作/トマス・ハリス 監督/ジョナサン・デミ 脚本/テッド・タリー 出演/ジョディ・フォスター、アンソニー・ホプキンス、スコット・グレン 世界興収/2億7200万ドル
『ターミネーター2』編
映画に限らず、エンタテイメント作品にはシリーズの第1作を超えんばかりの出来ばえを示し、「どっちが偉大か」の論争になる続編というものがしばしば存在する。
例えば『エイリアン』(1979年/監督:リドリー・スコット)に対しての『エイリアン2』(1986年/監督:ジェームズ・キャメロン)。あるいは史上唯一、正編・続編ともにアカデミー賞作品賞を受賞した『ゴッドファーザー』(1972年/監督:フランシス・フォード・コッポラ)と『ゴッドファーザーPARTⅡ』(1974年/監督:フランシス・フォード・コッポラ)。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985年/監督:ロバート・ゼメキス)も、"2015年の未来像"を鮮やかに描き出した『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』(1989年/監督:ロバート・ゼメキス)のほうにスポットが当たる機会が多くなってきた。
アニメだと、とことんハードボイルドな『ルパン三世』の第1シリーズ(1971年~1972年/音楽:山下毅雄)と、コミカルさを加味した第2シリーズ(1977年~1980年/音楽:大野雄二)では好みや思い入れの深さが分かれるだろう。
テレビドラマだと『3年B組金八先生』。第1シリーズ(1979年~1980年)以上に、不良少年・加藤(直江喜一)の姿が胸を打つ名編“腐ったミカンの方程式”を生んだ第2シリーズ(1980年~1981年)のほうが伝説として語られることが多い。
中年殺しのタイトルばかり並べてしまったが、そんな“凄いパート2”の最たる代表格として挙げられるのが略称『T2』こと『ターミネーター2』(1991年/監督:ジェームズ・キャメロン)ではないか。若き日のキャメロン監督が低予算で創出した『ターミネーター』(1984年)はもちろん偉大なオリジナルだが、時代に残したツメアトの度合いでは、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)のアトラクション『ターミネーター2:3-D』にも発展した、このメガヒット大作のほうが深いかもしれない。
主題歌はガンズ・アンド・ローゼズの『ユー・クッド・ビー・マイン』。この“俺たちの懐メロ”が勇ましく鳴り響く『T2』には“1991年”という時代感があふれまくっている。
例えば、ティモシー・シャラメ主演の『HOT SUMMER NIGHTS/ホット・サマー・ナイツ』(2018年/監督:イライジャ・バイナム)の舞台となるのは1991年夏のアメリカなのだが、この年の象徴として劇中に配されているアイテムが、発売されたばかりのゲーム『ストリートファイターⅡ』と、ドライヴインシアターで上映中の『T2』なのだ。当時、青春もしくは思春期を過ごした世代にとっては「それな!」と叫びたくなる的確なチョイスである。
映画史のうえでエポックだったのはCGだ。悪役の新型ターミネーター“T-1000”(ロバート・パトリック)が液体金属という何にでも変身可能なボディの設定で、これを開発途上の段階から抜け出しつつあったコンピューターグラフィックで見事にヴィジュアル化した。本作でアカデミー賞視覚効果賞を受賞したVFXスーパーバイザーのデニス・ミューレンは、続けて『ジュラシック・パーク』(1993年/監督:スティーヴン・スピルバーグ)の恐竜群を手掛け、この2作は“VFX革命”の起点としてよく位置づけられる。
筆者もリアルタイム公開当時、T-1000がスライムのように自由自在に変化し、ボコボコに破壊されてもすぐ蘇生する映像に「うおぉ!」と声を出して驚いたものだが、もちろんコレらは今の目で観ると非常にのどかなもの。
今回、この原稿を書くに当たり、アマゾンプライム・ビデオで久々に再見したのだが、むしろ「ほぼアナログの特撮じゃん!」ってことに驚愕し、感動した。
最近のエンタメ大作がテクノロジーの発達と共に「あとはCGで何とかなるべ」とばかり、だらしない万能主義に陥っているのに対し、VFX黎明期の『T2』はCG自体も瑞々しく、全体が人力の仕事で支えられている。隣で一緒に観ていたバスケ好きの小学3年生の息子も137分がっつり魅入っており、笑顔で「5点満点で5点」をつけてくれた(ちなみにパート1は未見)。Z世代より若い今の子供が観ても、やはり文句なしに面白いのである。
ジャンルでいうと“タイムトラベルSFアクション”になるが、ノリは頭脳派というより筋肉系で、ストーリーは極めて単純である。冒頭シーンは2029年の未来。人類は1997年の核戦争で一度壊滅しているのだが、その悲惨な歴史を変えるため、核戦争が起こる原因が生じる直前の時期――1994年から95年のロサンゼルス(並びにメキシコ)が本筋の舞台となる。この基本設定を理解しつつ、ほかは以下の3点だけ、おさえておけば概ねだいじょうぶだ。
●パート1でヒロイン、サラ・コナー(リンダ・ハミルトン)の敵だったターミネーター“T-800”(アーノルド・シュワルツェネッガー)は、今回は味方である。
●なぜならサラの息子ジョン(エドワード・ファーロング)が、かつてのサラと自分を守るために、2029年の未来からT-800のプログラムを書き換えて1994年の過去に送ったから。
●で、今回の敵は新型ターミネーターのT-1000となる。シュワちゃん演じるT-800は旧型ターミネーターのため、スペック自体は敵のほうが遙かに高い。だからめっちゃヤバい。
この明快な構成の本編を楽しみながら、うちの息子は「鬼ごっこみたい」とふと呟いたのだが、まさに正解だ。ほぼ不死身のT-1000がしつこい鬼となり、ひたすらサラ&ジョン&シュワちゃんを追いかけるだけと言って過言ではない内容である。
そんな中、血も涙も心も備わっていなかったT-800のAI(人工知能)がだんだん人間の感情を学習していく展開もポイント。そして涙なくしては観られない切ないラストへと至る。
これで美しく完結したはずだったのだが、しかし本作『T2』の興行がケタ外れの大成功を収めたせいで、シュワちゃんのキメ台詞「アイル・ビー・バック!」と共に、どうでもいい余計な続編群が積み重ねられていくことになる……。
『ターミネーター3』(2003年/監督:ジョナサン・モストウ)以降のシリーズ作もヒマならそれなりに楽しめると思うが、『T2』の“1991年の輝き”は第1作と共に別格として、永遠に愛し続けたい。ちなみに『とんねるずのみなさんのおかげです』で当時放送されたパロディコント『タカミネーター2』もなかなか良い出来だったのを、原稿書きながら想い出した。
『ターミネーター2』
製作年/1991年 製作・監督・脚本/ジェームズ・キャメロン 出演/アーノルド・シュワルツェネッガー、リンダ・ハミルトン、エドワード・ファーロング、ロバート・パトリック
世界興収/5億2088万ドル
『スピード』編
これは”万人におすすめできる娯楽映画”の究極ではなかろうか。個々の”好み”という問題を差し挟む余地のない、シンプルな米西海岸ノンストップ・アクション映画の完成形。それが1994年の大ヒット作『スピード』(監督:ヤン・デ・ボン)である。
“全米で6月10日からロードショー公開されるやサマー・シーズンのトップを走る大ヒットになり、6週間で興収1億ドル突破。『ダイ・ハード』を超えた傑作と絶賛され、映画史に新しい次元を開いたハイパー・テンス(超緊張)・アクションと評されている今年最大の話題作だ。日本では正月映画の大本命として、『クリフハンガー』をしのぐ興行が期待されている”
以上は公開当時の劇場パンフレットからの引用(丸写し)である。文中にもあるように、日本では1994年12月3日から正月映画として公開された。興収はみごと45億円を記録。前年(1993年末~)の正月映画の目玉だった『クリフハンガー』(監督:レニー・ハーリン)の40億円を実際に越えたのである。
主演のキアヌ・リーヴス(撮影当時29歳)は『マイ・プライベート・アイダホ』(1991年/監督:ガス・ヴァン・サント)などで青春スターとしての地位は築いていたが、本作では危険なスタントを自分でこなし、アクションスターとして大ブレイク。世間一般にまで知名度が行き渡り、『マトリックス』(1999年/監督:ラリー&アンディ・ウォシャウスキー)のネオ役起用の決め手にもなっていく。
ストーリーは簡単かつ完璧だ。誰でも理解ができ、お堅い博士や官僚さえも痺れる構成に設計されたものである。
メインとなる登場人物は3人。まずは救世主たるヒーローが、ロサンゼルス市警のSWAT隊員であるジャック(キアヌ・リーヴス)。事件に巻き込まれる形で主人公の右腕となるヒロインが、アニー(サンドラ・ブロック)。やっかいな敵――ゲームのようにテロを仕掛けていく犯人が爆弾魔の狂ったおっさん(デニス・ホッパー)。
そして主なパートは3つ。
●エレベーター(序盤30分)
●バス(メインの1時間)
●地下鉄(ダメ押し30分)
作劇は、ハリウッド流儀の脚本術の基本である“三幕構成”(設定⇒対立⇒解決など)に則ったものだが、しかし実際は“三段重ね”の印象。ハイテンション×3で、結果的に“見せ場”を3つ串刺しにした全編クライマックス状態となった。
とりわけ伝説的なノンストップぶりを見せつけたのが、カリフォルニアの晴れた空の下で繰り広げられるバスの攻防パートである。L.A.のベニス・ビーチ発となるサンカモニカ・ライン2525番の路線バスに、犯人が仕掛けた精巧な爆弾――“時速80km(50マイル)以下になるとバス大爆発”という恐ろしい状況のなか、たまたま乗客として乗り合わせていただけの、スピード違反で免停中の女子がハンドルを握る。そして爆走するバスに途中で乗り込んだSWAT隊員ジャックは何とか爆弾を解体しようとする。
そんな中、「おい、もう高速道路が終わるぞ!」とか「道路が途中でなくなってるんだけど!」など、本気で死にそうな絶叫ジェットコースターのごときハラハラドキドキの展開が続く。危機一髪のギリギリセーフ連打で緊張感を持続させる手法だが、あざとくない。“手に汗握る”演出のいちばんベーシックな教科書がここにある。
監督のヤン・デ・ボン(1943年生まれ)は本作がデビューとなるが、『ダイ・ハード』(1988年/監督:ジョン・マクティアナン)や『ブラック・レイン』(1989年/監督:リドリー・スコット)、『氷の微笑』(1992年/監督:ポール・バーホーベン)などの撮影監督を務めてきた現場経験充分のベテランであり、第一作にして凄腕職人の安定感がある。
ちなみに“走行速度が80km以下で爆発”という設定など、本作は海外で人気の高い1975年の日本映画『新幹線大爆破』(監督:佐藤純彌)を露骨にパクった……失礼、全面的にヒントにしたというのが定説になっている。もっとも『スピード』の脚本を書いたグレアム・ヨストによると、もともと巨匠・黒澤明が監督する予定だった『暴走機関車』(1985年/監督:アンドレイ・コンチャロフスキー)の原案をヒントにしたらしいのだが、しかし『新幹線大爆破』自体が『暴走機関車』の難航した企画から派生したものだという因果関係がある(佐藤純彌監督はB班監督を務める予定だった)。
どちらにせよ”元ネタは日本製”という事実に変わりはなく、そこから『スピード』は無駄を削いでとことんソリッドにチューンナップした――これが作品達成の重要なポイントである。
その『新幹線大爆破』では犯人役を高倉健が演じるという渋味と重みがあったのだが、本作ではデニス・ホッパーという破天荒な鬼才がアタマのおかしい怪演を見せるところに、カラッとしたアメリカ映画らしさがあると言うべきか。
当時のホッパーは長年のドラッグ中毒による奇行と低迷から抜け出し、まさかのアカデミー賞助演男優賞ノミネートを果たした『勝利への旅立ち』(1986年/監督:デヴィッド・アンスポー)をはじめ、『ブルーベルベット』(1986年/監督:デヴィッド・リンチ)や『トゥルー・ロマンス』(1993年/監督:トニー・スコット)などで大復活したばかり。監督作も続けて発表していた時期で、まさに絶好調。もちろん凜々しい短髪姿で、のちに”スピードモデル”と呼ばれるGショックのDW-5600をつけた若きキアヌ・リーヴスや、当時は山口智子と比較する声も多かったサンドラ・ブロックも瑞々しく最高だ。
さて、大ヒット作の通例として、本作も1997年、同じヤン・デ・ボン監督により続編『スピード2』が作られた。今度はサンドラ・ブロック扮するアニーが主人公となったが、前作の中で彼女はジャックと恋愛関係に発展したのに、「異常な状況で生まれたロマンスは長続きしない」というジンクスのもと、すでに破局。アニーには警官のアレックス(ジェイソン・パトリック)という新しいカレシが出来ている。
だが実のところ、この設定はキアヌ・リーヴスがほかの仕事を優先して降板したのが原因である。出来もまんまと凡庸に終わり、年間を代表する駄作を選ぶ“逆アカデミー賞”の祭典、ゴールデンラズベリー賞(通称ラジー賞)の“最低続編賞”に選出されてしまった。当時はがっかり感ハンパない続編だったが、しかしいま穏やかな心で見返してみると、暇つぶしとしては悪くない。小室哲哉によるテーマ曲リミックス『SPEED TK RE-MIX』も懐かしい。思えば当時は伊秩弘将プロデュースのダンスアイドルグループ“SPEED”の全盛期でもあった。
この『スピード』という映画はあまりに完成されすぎていたため、一発屋ならぬ一番星の孤立した輝きを放ち、以降の“系譜”を形成することはなかったように思う。ただし90sが生んだニュークラシックとして、後続に様々な影響を与えているのは間違いない。例えばマーベルの新作『シャン・チー/テン・リングスの伝説』(2021年/監督:デスティン・ダニエル・クレットン)におけるバスのアクションシーンは、明らかに『スピード』と『ポリス・ストーリー/香港国際警察』(1985年/監督&主演:ジャッキー・チェン)の複合オマージュであった。
『スピード』
製作年/1994年 監督/ヤン・デ・ボン 脚本/グレアム・ヨスト 出演/キアヌ・リーヴス、デニス・ホッパー、サンドラ・ブロック、ジェフ・ダニエルズ
世界興収/1億2124万8145ドル
『タクシードライバー』編
もし映画史上の“問題作ランキング”を作成するなら、21世紀部門でトップに立つのは『ジョーカー』(2019年/監督:トッド・フィリップス)ではなかろうか。おそらくは現在、多感な中学生や高校生が「この映画に心から感動しました」と学校で発言したら、親と一緒に職員室に呼ばれるくらいの勢いがある。
本作で名優ホアキン・フェニックス(アカデミー賞主演男優賞を受賞)が演じた、悪の権化ジョーカーに覚醒していく道化師の青年アーサー・フレックは、格差社会の分断や闇を表象する究極のアンチヒーローである。そもそも先行の『ダークナイト』(2008年/監督:クリストファー・ノーラン)で今は亡きヒース・レジャーがジョーカーを爆演してから、映画に触発された模倣犯たちの事件が多発していたのだが(2012年、コロラド州の映画館で起きた“オーロラ銃乱射事件”など)、『ジョーカー』公開後はついに日本でも、無差別襲撃事件が発生した。
もちろん現実に負の影響を与えるほどの問題作は、同時に相応のパワーを備えた傑作でもある。ただし『ジョーカー』(並びに『ダークナイト』)の場合、“持たざる者”を反社会的な動乱へと突き動かす煽動性が極めて強い側面がある――というのは、実社会に刻まれた暗黒の事実からも認めざるを得ないところだろう。
そしてこの『ジョーカー』の最大の元ネタになったのが、カンヌ国際映画祭パルム・ドール(最高賞)も受賞した1976年の名作、マーティン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演の『タクシードライバー』である。
本作でデ・ニーロが演じる主人公トラヴィス・ビックルは、大都会NYの夜を徘徊する孤独なタクシー運転手だ。彼はヴェトナム戦争からの帰還兵で精神を激しく病んでおり、不眠症に悩まされている。当然カネもコネもなく、ドブネズミの巣のようなボロアパートに住んでいる。社会の底辺で蠢きながら憤怒と鬱屈を溜めに溜めて、やがてとんでもない形でブチ切れる驚愕の展開などが、まさにアーサー・フレック=ジョーカーと共通する。『ジョーカー』の舞台となる架空の都市ゴッサム・シティは、治安が悪かった頃のNYがモデルだ。そして『ジョーカー』には、社会に阻害された青年アーサーをコケにする芸能人役としてデ・ニーロが登場するのである!
しかし正直なところ、『タクシードライバー』がヤバい映画であることは間違いないのだが、筆者は長らく邪悪な問題作というより、単に“かっこいい映画”と認識していた。変だな、と思って久々に本作を観返してみると、確かにトラヴィスという男は盛大に狂っている。「ああ、花の匂いでムカムカする。胃が痛い。俺はガンなのか。死ぬ前にせめて人並みの暮らしがしたい」とヤツアタリのような呪詛的日記を書き、せっかくナンパした女性(シビル・シェパード)を最初のデートで行きつけのポルノ映画館に誘い、速攻でフラれる。ますます「この世は堕落し、汚れきっている!」と間違った正義感を募らせ、ついには闇のルートで手に入れた4挺の拳銃を体にベルトを巻いて仕込み、モヒカン刈りで街頭演説の現場に出向いて大統領候補を暗殺しようとする――。
だがやはり、こういう露骨な危険人物をつい“かっこいい”と思わせてしまう力が、『タクシードライバー』という映画にはあるのだ。それはヴィジュアルが大きい。トラヴィスが着用している軍用フィールドジャケット、“M-65”のセカンドタイプがめっちゃ素敵なのだ。しかも気合いの入れたモヒカン頭&サングラスと合わせたコーデが痺れるほどキマっているのである。
実際、この映画のトラヴィスの影響で"M-65"のジャケットタイプはファッションアイテムとして瞬く間に広まっていき、45年経った現在でも色んなブランドがレプリカ品を発売し続けている(ちなみに"M-65"のコートタイプが通称"モッズコート"と呼ばれるものである)。実は1973年の『セルピコ』(監督:シドニー・ルメット)でもNY市警の麻薬課刑事を演じたアル・パチーノが同じ"M-65"のセカンドタイプを着ており、そちらも結構有名なのだが、同アイテムをアイコニックなレベルにまで高めた映画のキャラクターは、やはりデ・ニーロのトラヴィスに尽きるのではないかと思う。
ちなみに細かいことを言うと、“M-65”は寒冷地用。トラヴィスはヴェトナム帰りなので、熱帯用の“ジャングルファティーグ”を着ていたほうが自然ではないかとも思えるのだが、生地の厚さなど防寒性を考えると、“M-65”でないと特に冬のNYの夜などは厳しいからだろうと筆者は解釈&納得している。
“解釈”という問題でいうと、当時13歳のジョディ・フォスターが演じた少女娼婦アイリス(役柄の設定は12歳!)を裏社会から救い出そうとする後半の展開は、トラヴィスの妄想だとする説も多い。筆者もそのほうが腑に落ちるのだが、そこは観る人それぞれの視点と気持ちに任せられている、ということだろう。
『タクシードライバー』の人気は日本でも高く、例えば塚本晋也監督の『バレット・バレエ』(1999年)や、武正晴監督の『銃』(2018年)などに、映画作家同士のバトンリレーのような良質の“映画的影響”を見ることができる。だが一方、『ジョーカー』同様に模倣犯の事件も生み、当時25歳のジョン・ヒンクリー・ジュニアという米国の青年が、『タクシードライバー』のジョディ・フォスターにガチで恋してストーキングを行い、1981年3月30日、ロナルド・レーガン大統領の暗殺未遂という怪事件を起こした。くれぐれも現実で真似するのはファッション程度で留めておきたい。
『タクシードライバー』
監督/マーティン・スコセッシ 脚本/ポール・シュレイダー 出演/ロバート・デ・ニーロ、ジョディ・フォスター、アルバート・ブルックス、ハーベイ・カイテル、シビル・シェパード
世界興収/2857万902ドル(Box Office Mojo調べ)
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