劇中でウィリアム・ヘイルらが映画館で、タルサで起きた暴動のニュースを観ていることも重要な言及のひとつである。現在では『タルサ人種虐殺』と呼ばれているこの事件は、モリーの姉アナが殺されたのと同じ1921年に、オーセージ郡からほど近い都市タルサで起きた。
当時タルサのグリーンウッドという地区は、比較的裕福な黒人たちが集まり、非常に栄えた界隈になっていた。ところが黒人青年が白人女性に暴行を働いた容疑で逮捕されたことをきっかけに(真相は不明だが冤罪と言われている)抗議する黒人と白人住民が衝突。やがて白人は黒人の虐殺をはじめ、グリーンウッド地区は焼け野原になってしまった。
この事件は、オーセージ族の連続殺人事件と同様に、100年近くの間広く知られることがなく、近年になってようやく「黒人による暴動」ではなく「白人による虐殺」であると認定された。『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』の物語と直接結びつくものではないが、いかに白人が有色人種を見下し、差別や搾取が横行していたかという歴史的背景を示しているのだ。
また映画の終盤、ウィリアム・ヘイルとアーネストの裁判に判決が下され、モリーとアーネスト夫婦の間の溝の深さが露呈した後に、突然ラジオ番組の公開放送のシーンに移り変わる演出に驚いた観客も多いだろう。ラジオ番組は芸達者な俳優たちが次々と役を入れ替えながら(中でも白人からネイティブ・アメリカンまで多様な役を一人で演じ分けているのは人気ミュージシャンのジャック・ホワイト)、オーセージ族殺人事件の関係者のその後を伝えている。そして番組の最後にモリーの死亡記事を読み上げる番組プロデューサー役は、なんとスコセッシ監督その人が演じているのだ。
それまではまったくトーンが異なる場面だが、ラジオ番組の体裁を取っていることには理由がある。先に述べた通り、事件の捜査を命じた後のFBI長官J・エドガー・フーヴァーは、発足したばかりの捜査局の手柄をアピールするためにウィリアム・ヘイルの有罪判決をもって事件の捜査を打ち切った。グランの原作は、そのせいで他の多くの犠牲者のケースが放置されたままになったと指摘している。
そしてフーヴァーは、捜査局がいかに有能な組織であるかを喧伝するために、1931年から煙草のラッキーストライクが提供するラジオ番組と一緒にラジオドラマを共同制作。最初のシリーズのエピソードでオーセージ族殺人事件を扱っているのだ。つまり『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』のラジオドラマのシーンは歴史の再現であり、劇中では大きく扱うことができなかったFBIとフーヴァー長官が事件を歪めた形で宣伝したことへの強烈な皮肉なのである。
さらにフーヴァーは1959年のハリウッド映画『連邦警察』の製作にも関わっている。同作は、いわば前述のラジオ番組の映画バージョンで、ジェームズ・ステュアート演じるFBI捜査官がさまざまな事件を解決していく武勇列伝だった。当時70代になっていたトム・ホワイトは映画でオーセージ事件が扱われると知り、フーヴァーに「すべてを知っているので喜んで情報を提供したい」と手紙を書き送ったが、映画に関与するチャンスは与えられなかったという。
実際『連邦警察』のオーセージ事件のくだりを観ると、ウィリアム・ヘイルと甥のアーネストは犯人として描かれているものの(ただし名前は変えられている)、ホワイト捜査官と部下たちの地道な捜査の成果ではなく、逮捕の決め手はFBIの科学捜査によって書類偽造に使われたタイプライターが特定できたおかげだと改変されている。フーヴァーはFBI(旧捜査局)の近代化に尽力した功績を宣伝するために、またもオーセージ事件を利用したのだ(しかもFBIを改革したカリスマ長官として出演までしている)。
これらの引用や含意のすべては、原作や史実の知識がないままに『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』を一度観ただけでは読み取れないかも知れない。しかし映画を一度観ただけですべてを理解できるなんてことはありえないし、スコセッシは二度、三度の鑑賞に耐えられるように、非常に巧妙に原作にあった情報やメッセージ性を取り込んでいる。観れば観るほどに発見がある映画として、ぜひこの重層的な作品を何度でも味わっていただきたい。(終)
※本記事は4部構成になっております。
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』公開中
製作総指揮・出演/レオナルド・ディカプリオ 原作/デヴィッド・グラン 製作・監督・脚本/マーティン・スコセッシ 脚本/エリック・ロス 出演/ロバート・デ・ニーロ、リリー・グラッドストーン、ジェシー・プレモンス、ジョン・リスゴー、ブレンダン・フレイザー 配給/東和ピクチャーズ
2023年/アメリカ/上映時間206分
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