ファッションの源流を紐解く、あのカルチャーの発火点。
#1 ライダース・ジャケットは、なぜロックで不良なのか?【前編】
時代や社会が変わっていく過程において、服の流行は大なり小なりの役割を果たしてきた。とくにカルチャーの生まれる瞬間=発火点には、いろいろと面白いことが起きがちだ。じゃあいっそのこと、服を起点にカルチャーを振り返ってみたら面白いんじゃないの? と、考えたのがこのコラム。毎回ひとつの服を取り上げて、古今東西の社会やカルチャーとどんな風に関わってきたのか、詳しく紐解いていきたい。今回は、硬派な雰囲気が漂う“ライダース・ジャケット”について!
女子の間では鉄板のお洒落アイテムなのに、男子の間ではちょっとトガった人が着る服という認識のライダース・ジャケット。アマプラで観た女性モデル育成リアリティ番組でも、主宰者がモデル候補生に向かって「ライダース・ジャケットさえ着ておけば完璧だったのに」みたいなことを執拗にいっていた。つまり、女子はアレさえ着ていれば大丈夫らしい。ひるがえって男子はというと、着ているだけで“ロックな人”とレッテルを貼られ、触れる者みな傷つけそうなイメージすら漂いがちだ。
もちろんライダースをサラッと着こなせるお洒落な男性もいるし、それに憧れる気持ちもわかる。でもメンズファッションにおけるライダースは、どうしても不良やロックのイメージがつきまといがち。いい歳してそれもどうなのか、とか考えてしまう。そもそもライダースというくらいで、バイク乗りのために生まれた実用服なのに、なぜ不良とかロックとかのイメージがこんなに色濃いのか。
皆さんも「昔の映画で……」とか「ピストルズが着ていて……」といった断片的な知識はあるはず。でも、それらの事象が互いにどう関連して、どんな流れで現在に至るのか、そのへんのところは少し曖昧なのではないだろうか。そこを明らかにすることで、ライダースをお洒落に着こなすためのヒントになるかもしれない(し、ならないかもしれない)。
1950年代のマン島TTレースの様子
無茶なバイクレースから生まれた革ジャケット
まずはライダースの生まれた経緯をおさらいしたい。イギリス本島とアイルランド島の間に、マン島というバイク乗りにとっての聖地みたいな場所がある。大きさは淡路島ほどで、ユネスコの生物圏保護区にも指定される自然豊かな島だ。どういうわけか、そんな牧歌的なところで世界最古のオートバイレースが毎年開催されている。初開催が1907年だから、その歴史は116年にも及ぶ。
このレース、最高速度300㎞オーバーで公道を走るので、民家の壁に激突して死ぬようなケースが頻発する。過酷、というか無謀。2022年には5人が亡くなっていて、これまでに260人以上が命を落としたというからハンパじゃない。まさにリアル版『バリバリ伝説』だ。正直「何でそこまで?」と思うけども、人類にはそういう一面があるのだろう。牧歌的な風景とヒリつくような危険のコントラストが、男たちのロマンをかきたてるのだ。
1950年代のマン島TTレースの様子
マン島のレースは試練と栄光のステージであると同時に、最新バイクの性能発表、あるいは関連産業のマーケティングの場としても機能してきた。第一次大戦中の休みを挟んだ1920年、再開されたレースが最高潮に盛り上がっていた頃、あの〈ショット〉が世界初のライダース・ジャケットを発表した。飛行機乗りのジャケットをベースにして、耐久性に優れた革を使い、着脱しやすいジッパーフロントを採用。危険と隣り合わせのレーサーを守る優秀なジャケットだった。
映画『乱暴者(あばれもの)』(1953年)
不良のイメージを生んだ、謎のライダース
’40年代までのライダースは、レースでの着用を前提にした本格志向。多様なデザインが生まれはしたが、結局のところバイク乗りのための実用服であることに変わりはない。それをガラッと変えちゃったのが、1953年に公開された映画『乱暴者(あばれもの)』だ。何事にも初めてがあるもので、暴走族を扱った史上初の映画ということらしい。主演のマーロン・ブランドが暴走族のリーダーで、リーバイスの501XXにエンジニアブーツ、でもって白Tにダブルの黒ライダース。これがいま見てもめちゃくちゃ格好いい。70年も前にバイク乗りの典型的なスタイルが完成されてしまったわけである。
このマーロン・ブランドのライダース、一体どこのものかというのがマニアの間で話題になった。「ショット製なのでは」とも囁かれたが、現在は「デュラブル」という聞いたこともないブランドのものということで落ち着いている。現存するヴィンテージのタグには生産地すらなく、カタログなどの資料も未発見。まったく詳細がわからない幻のブランドだ。でも『乱暴者』のライダース姿があまりに格好よかったものだから、いまでもレプリカが作られ続けているというシロモノである。
映画『乱暴者(あばれもの)』(1953年)
もうひとつ触れなきゃならないのは、マーロン・ブランドが乗っていたバイクが〈トライアンフ〉のものであるということ。ライバル暴走族のハーレーが重厚でいかついのに対して、英国製のトライアンフはスマートでスタイリッシュ。当時のトライアンフはアメリカに本格進出したばかりで、アメリカ人がコッチを選ぶのはなかなか粋なことだった。つまり彼の服装だけでなく、乗っているバイクや佇まいを含めて、とても新鮮で格好よかったわけである。
この’50年代というのは、まさにアメリカの黄金期。経済的な豊かさを背景に、安定的、保守的な社会を築いた時代である。また同時に、その均一的な社会に対して若者たちが反発心を芽生えさせた時代でもあった。そんなタイミングで登場したマーロン・ブランドの不良像が、瞬く間に若者の心をとらえたのは想像に難くないだろう。こうして、ブランド以降の暴走族、もといバイク乗りの若者たちの間では、ライダースを着るのがデフォルトになっていく。もっともバブル以降の果てしない不景気をサバイブしてきた世代の筆者としては、「その革ジャン、本当は親の金で買ったんじゃないの?」と勘繰りたくなる気持ちも多少あるのだが……。(中編に続く)
photo by AFLO