エースカフェの前に集まるカフェレーサー(1961年当時)
“ロッカーズ”というバリバリな男たち
ちょうどその頃、音楽の世界ではエルヴィス・プレスリー、チャック・ベリー、リトル・リチャード、バディ・ホリー、ジーン・ヴィンセントといったロカビリー/ロックンロールの新世代スターたちが登場していた。これとマーロン・ブランドやジェームズ・ディーンの不良像が一緒くたの大波になり、社会に不満をもつ若者たちへと押し寄せた。ユースカルチャーの大変革期といえるが、逆にいえば若者の流行が金になることに世の中が気づきはじめた時期ともいえるのだった。
そんな新しいユースカルチャーを体現していたのが、イギリスの“ロッカーズ”といわれる若者たちだ。’50年代後半くらいから現れたバイカー集団である。彼らは革ジャン、革パン、リーゼントの泣く子も黙るハードコア・スタイルで、“カフェレーサー”と呼ばれる改造バイクにまたがって公道を爆走。ロンドン近郊のカフェに集結し、ジュークボックスでロカビリーやロックンロールを爆音でかけた。ちょっと迷惑な人たちだ。ちなみに彼らの聖地として伝説になったのがエースカフェ。1969年に一度は閉鎖されたが、ロッカーズの残党(おっさんばかり)を中心として2001年に再オープンしている。
ロッカーズとモッズが対立していた頃の様子(1963年当時)
このあたりで不良とロックとライダースがガッチリと結びつく。少し時代が前後するが、キャロルの矢沢永吉やジョニー大倉、クールスの舘ひろしや岩城滉一を想像していただくと話が早い。今でも彼らのフォロワーは一定数いるし、「俺たち、最高だぜ」なノリのまま年老いていく幸せな人たちもいる。それ自体に良いも悪いもないのだが、日本におけるライダースのイメージに決定的な影響を与えたのは間違いないだろう。彼らがかなり意識したはずなのが、’68年のTVライブで復活を遂げたエルヴィスが着ていた、バイカースタイルのレザーセットアップ。このライブはYouTubeで見ることができるが、肩の力が抜けたエルヴィスの表情を含めて、とくに好きでもないのに「やっぱ格好いいなあ」とか思ってしまう。エルヴィスはすごい。
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『さらば青春の光』(1979年)
時代を元に戻そう。ロッカーズが台頭したのと同じ頃、もう少し都会的かつお洒落な感じで登場したのが“モッズ”だった。細身のスーツやモッズコート(M-51)、ヴェスパなどの改造スクーター、短髪のモッズヘアというスタイルで、R&B、ソウル、スカなどを好んで聴いた。どう考えてもロッカーズと友達になれるはずがない。実際、ロッカーズとモッズは激しく対立し、小競り合いはひっきりなし。1964年には、ついにブライトンビーチで数千人規模の大乱闘事件を起こしてしまう。この事件で若者たちも冷めちゃって、ロッカーズ、モッズともに流行が下火になっていくのだから皮肉なもの。その冷めていく感じを含めて、1979年公開の映画『さらば青春の光』は要チェックだ。
不良の系譜を継いだ“パンクス”
ブライトンでの大乱闘事件の少し前、イギリスの音楽シーンに大きな動きがあった。ビートルズの登場である。彼らを筆頭とする“ブリティッシュ・インヴェイジョン”は、文字どおりイギリスの音楽がアメリカ市場を侵略(インヴェイジョン)した現象のこと。米国勢の後追いだった英国勢がググッと盛り返し、それに影響を受けたアーティストが世界中で新しい音楽を生むというサイクルが起きたのだ。ガレージロック(ガレージで練習するようなアマチュアっぽいバンド)が続々と現れるのもこの頃だ。
そんな折、アメリカにMC5やストゥージズ(イギー・ポップがいた)といった過激なノリのロックバンドが現れる。彼らはパンクの源流ということができ、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドや英国のザ・フーなどとともに多くのミュージシャンに影響を与えた。と、ここまでが1970年くらいまでの超大雑把な話。この後、NYのライブハウス“CBGB”で云々みたいなマニアックな話になるのだけど、ちょっと面倒なことになるので割愛します。
とにもかくにも、’70年代になると音楽がどんどん細分化していき、同じロックでもテクニカルだったり、ポップだったり、ファンキーだったり、それはもう百花繚乱の様相になってくる。そうした状況に対して「めんどくせえ、もっと単純でいいいじゃねえか」と考えたのがパンク。まあ、技術レベルの低いガレージバンドが多かったから、そもそも難しいことはできない。それでも面白い音楽をやる奴らはいて、悪ぶった態度を含めて若者たちの人気を集めた。
ラモーンズ
なかでも注目したいのは、’74年にNYでデビューしたラモーンズと、’75年にイギリスでデビューしたセックス・ピストルズだ。ラモーンズはアメリカのバンドでありながら、近年のブリティッシュ・ロックに近いナイーブな雰囲気が漂っていた。というのも、彼らはビートルズから多大な影響を受けたからで、さっき出てきた“ブリティッシュ・インベイジョン”の余波といえる。決して巧いとはいえない単純な演奏に、ストレートな言葉を連ねた歌詞、そして2分程度の短い楽曲。ラモーンズのスタイルがシーンに与えた影響は大きく、パンクの音楽性をほぼ決定づけたといっていい。パンクは英国のものと思われがちだけど、実はアメリカ(主にNY)の方がちょっとだけ早かったのだ。
で、そのラモーンズが全員揃って黒のライダースに身を包んでいた。パンク=ライダースの図式において、セックス・ピストルズのジョニー・ロットンを思い浮かべる人が多いと思うが、むしろこのラモーンズや、あるいは少し遅れて英国から出てきたザ・クラッシュこそが代表格と考える人も少なくないはず。ラモーンズがなぜライダース姿を選んだのかは定かではないが、メンバーで相談して決めたというインタビューは残っている。おそらく前述のMC5やストゥージズあたりの影響ではないだろうか。
ロックミュージシャンの衣装にライダースが登場してくるのは、’60年代中頃から後半くらいと思われる。それまでは基本的にスーツなどの小綺麗なスタイルで演奏するのが一般的だったのもあるし、’50年代の暴走族スタイルがあまりに強烈で、そっちに引っ張られたくなかったのかもしれない。実際、’60年くらいのジーン・ヴィンセントは、バイカースタイルで時代遅れのロカビリーを歌っていた。ボブ・ディランなども若い頃からライダースを着ていたが、それは衣装というより普段着に近い。アーティストたちが普段着でステージに立つようになったのも、だいたい’60年代中頃以降だと思う。
セックス・ピストルズ
で、一方のセックス・ピストルズはというと、アルバムが全英チャートで初登場1位を獲得するなど、とにかくよく売れた。ただ、それが彼らの才能と努力の結果かというと、実はマネージャーであったマルコム・マクラーレンのプロデュースによるところが大きい。だいたいアナーキーがどうこうと歌っている反社会的なバンドが、前置きなしに1位を獲れるほど英国人は寛大ではない。ビジュアルイメージからインタビューでの態度まで、したたかな戦略があってこそのヒットなのは、昔も今もそう変わらないのだ。もちろんピストルズの音楽に魅力がないといっているわけではなく、そういう面があったという話である。
写真中/マルコム・マクラーレン、写真右/ヴィヴィアン・ウエストウッド
さらにいえば、ピストルズのマネージャーだったマクラーレンは、あのヴィヴィアン・ウエストウッドの彼氏。2人は当時、ロンドンでブティックを経営していて、服と音楽を融合したミックス・カルチャーのムーブメントを作り出す。ピストルズの初期メンバーは、ロットンを除いてブティックの従業員や常連客だ。才気煥発なデザイナーのウエストウッドと、悪知恵の働く敏腕プロデューサーのマクラーレンによって、パンクとファッションが強力に結びつき、ライダースはトレンドに押し上げられた。冒頭で書いた女子限定のお洒落ライダースは、これ以降のイメージが大きいと思われる。’60年代にもライダース風の女性服はあったが、どれも大きなトレンドとはいえなかったから。(後編に続く)
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