『シド・アンド・ナンシー』(1986年)
ライダースを着ていればパンクなのか問題
パンクのエネルギーはウエストウッドとマクラーレンの思惑以上に力強いものだった。音楽はその重要なファクターではあったが、社会への不平不満、政治的主張、思想や哲学と結びつきつつ、アート、文学、映画などに幅広く影響していく。そしてもちろん暴力やドラッグの影も。そのあたりの話はあまり詳しく書かないが、若者の沸騰したエネルギーは容易にヤバいところに結びつく。ロッカーズやモッズもそうだった。何事にも光と影があり、ファッションの文脈で語られる安直な言葉には、触れにくいダークサイドも含まれているのが真実だ。ピストルズのシド・ヴィシャスを描いた映画『シド・アンド・ナンシー』(1986年)(1986年)は、感動的な愛の物語であると同時に、救いようのないジャンキーのなれの果てでもあるのだ。
『クルエラ』(2021年)
一般的な感覚でパンクスというと、モヒカン頭や顔に刺さった安全ピンを思い浮かべるかもしれない。でも、それはごく一部の過激な人。当たり前だけど、当時のロンドンが『北斗の拳』みたいだったわけではない。そのあたりの様子を知りたい方は、2021年公開の映画『クルエラ』を観るのがおすすめ。かなりデフォルメされた世界観ではあるけれど、衣装のクオリティがめちゃくちゃ高く、当時のファッション界隈の雰囲気を含めて気軽に楽しめる作品だ。サブキャラの太っちょ君が、映画の最後の方で急にパンクっぽい格好をしているところに注目。これ、たぶんピストルズのアルバムが出た直後の設定なんだと思う。
パンクという言葉の本来の意味は「不良、チンピラ、役立たず」である。それをいったら、ロッカーズやモッズもいい勝負。『乱暴者』のマーロン・ブランドだってそう。いつの時代もそういう奴らが新しいカルチャーを生み出してきたわけである。彼らのライダース姿を受け継いだザ・ブルー・ハーツは、「ドブネズミみたいに美しくありたい」という名フレーズを残した。この精神がたぶんパンクの本質、というか理想。社会や権威への反抗・反逆を、音楽、言葉、ファッション、態度で表現する。それがパンクでありロックだ。理想どおりにいくかどうかは、また別の問題である。カート・コバーンはライダースを着なかったが、根本にあったのはパンク的な精神。逆にライダースを着ているからといってパンクやロックかというと、そうでもないのは●●を見ればわかるだろう(各自、好きな人を当てはめてください)。
エディ・スリマン
男子に示された“お洒落ライダース”への道
ライダースを巡る物語は、こんな感じで現代へとつながってくる。何となくお気づきのように、男子がライダースを着るという行為は、なかなかに背負うものが大きい。知れば知るほど「私などが着てしまっていいのでしょうか」という気分になってくる。ただ、その“難しさ”を引き受けつつも、ライダースを現代のファッションとして別次元に進化させた人物がいる。カリスマデザイナーとして多くのファンをもつエディ・スリマンだ。
エディはサンローランでも辣腕をふるい、現在は〈セリーヌ〉のクリエイティブ・ディレクターを務めているが、その真骨頂はやはり〈ディオール オム〉時代(2000〜07年)。めちゃくちゃ細身の服を作り、それを着たいがために大御所のカール・ラガーフェルドが40kg以上もダイエットした……なんて逸話も有名だ。彼のクリエイションにおけるキーのひとつがライダースであり、これまで手がけた各ブランドでも看板アイテムになっている。
エディのクリエイションはよく“ロック”だと語られる。確かに、いかにもロックミュージシャンが着ていそうな細身のスタイルを好むし、ショーで流す音楽や広告ビジュアルにもロックの要素が非常に濃い。彼が音楽を心から愛していて、クリエイションの支えになっている点は疑いがないだろう。でもここで生じるのが、さっきのパンクの話ではないが「ライダースを着ているからロックなのか?」という問いだ。ロックやパンクは音楽・ファッションであると同時に、精神的な態度でもある。エディの表現がロックだというなら、それが何者かへの反抗・反逆である必要がある。でないと、格好だけのダサい人になってしまう。
エディ自身はインタビューが嫌いなこともあり、そんな野暮なことを公に話したりはしない。だから推測することしかできないが、もちろん彼は百も承知だろう。エディはロックが背負う業のようなもの、つまり不良性や反逆性を消化しつつ、それを孤高な精神の高み、鋭利で力強いものとして表現してみせた(と思う)。ロックは基本的に暴力的で破壊的なものだけど、同時にその精神は気高く繊細で、時にエレガントですらある。そしてそれは洗練されたファッションにもなり得るのだ、ということを世の中に知らしめた。
エディの表現は、旧態依然としたファッション界に楔を打ちこむという意味で、パンク的なやり口といえるのかもしれない。本稿の文脈でいえば、ロック=不良のステレオタイプを払拭し、そのうえお洒落グループへの仲間入りを果たさせる大仕事でもあった。男子がライダースをお洒落に着こなせるとしたら、それはエディのおかげといっていい。コッチ方面ならアリだよねと、オルタナティブな道を示してくれたのだ。
ライダースを着るという単純な行為も、こうして考えると奥が深い。俺はギターウルフになるんだという人はそれでいいし、自分のアイデアでお洒落に着こなすのもいい。どんなモチベーションであれ、歴史を知ることでライダースを着ることをもっと楽しめるのではないだろうか。個人的には、ラモーンズの着こなしはやっぱり格好いいと思う。細身のダメージデニムにTシャツをタックインして、足元には白スニーカー。そんなに悪そうに見えないし、年齢もあまり関係ない。でも心の内に強い何かがないと、ライダースに着負けてしまうかも……という不安感は否めないのであった。
#1 ライダース・ジャケットは、なぜロックで不良なのか?【前編】
https://safarilounge.jp/online/culture/detail.php?id=13889
#1 ライダース・ジャケットは、なぜロックで不良なのか?【中編】
https://safarilounge.jp/online/culture/detail.php?id=13897
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