『リトル・シスター』×LA
ハリウッドを舞台にしたアメリカを代表する探偵小説といえば、フィリップ・マーロウのシリーズだろう。かつては見渡す限りに果園が広がっていたハリウッドエリアだが、20世紀前半から急速に映画都市へと変貌を遂げていった。その最中で人々の心や欲望はどのように取り残され、変化していったのだろうか? 冴え渡る村上春樹訳で新たに生まれ変わった新装版。
大人気探偵が活躍するミステリー小説
レイモンド・チャンドラー×フィリップ・マーロウという組み合わせだけでもファンは心躍る鉄板のシリーズ。さらに、本作品の訳者は村上春樹が務めているというのだから、ページを手繰る喜びもひとしおという人も多いだろう。
物語は「行方不明の兄を探してほしい」とマーロウの事務所を訪ねる、カンザスから来たと自称する若い娘の依頼からはじまる。マーロウが気の進まないまま調査をはじめると、先々でアイスピックを突き立てられた死体にぶつかるというものだ。そこまで突飛な話ではないけれど、なにせ舞台はカリフォルニアが世界に誇る映画の都ハリウッドだ。本作では次のように言及されている。
「カルフォルニア、百貨店のような州だ。大抵のものは揃っているが、最良のものはない」
「マリブ。(中略)多くのリンカーン・コンチネンタルとキャデラックがある。(中略)更に多くのサングラスと、気取った態度と、上流をへたに真似た声音と、下劣きわまりないモラルがある」
マーロウはこの地を(あくまで変わってしまった西海岸に対してだが)そんなふうに吐き捨てながらも駆け回ることになるのだが、そこに登場する人物にはそれぞれしっかりと陰陽の輪郭がついている。特に女性だ。映画の都に燦然と輝く女優が登場したと思えば、きらびやかな街の光と闇が漂う娼婦もいる。村上春樹の言葉を借りればチャンドラーは「文章をひとつひとつ彫琢するタイプの作家」らしいが、ある意味では欲望に忠実な彼女らの克明な描写は、なるほど彼のもともとの筆致にシナリオライターとして約4年、この地で過ごした経験が重なったひとつの結論でもありそうだ。
そして、ミステリアスなヒロイン周辺の愛憎は、プラトニックな恋と裏切りとスキャンダルを引き起こす。本作ならではの展開を見せる一方で、「マタ・ハリみたいなややこしい真似はよすんだ」「体をいくつかコレクションしただけさ」「郵便ポスト並みに貞節だ」「質問に答えたくないときには、セックスはなかなか役に立つ」、などというマーロウ節も存分にちりばめられている。こんな一節から伝わってくるのは、マーロウという男は少し粗野だけど、そのぶん素直な好漢ということ。英国人がシャーロック・ホームズを信奉し、米国人がフィリップ・マーロウを愛す。その線引きが少し理解できる気がする。事件が一応の終結を見せると、彼は「芝居は終わった」と表現する。そのとき、彼に去来する思いと教訓はどんなものかといえば、タイトルに含まれているのかもしれない。
本作品は、59年前に出版された創元社版(清水俊二 訳)の邦題では『かわいい女』とされていた。この新訳版では原題『リトル・シスター』に忠実に題されたが、読み終わってやっと、なぜ出版社がこのような変更に踏み切ったかはおぼろげながら、掴めるような気がする。いつの時代でもどんな土地でも、女は怖い。
●『リトル・シスター』
レイモンド・チャンドラー 著 村上春樹 訳 早川書房 1037円(税込み)
雑誌『Safari』8月号 P189掲載