【スティーブ・ジョブズ】カリスマの“魔法”は世界をどう変えたのか!?
アップル社を率いて、IT社会の扉を開いた稀代のカリスマ、スティーブ・ジョブズ。あらゆる面に強いこだわりがあり、ときには気分屋、策士とも表現される。数々の伝説に彩られてきた男を、長年のMacユーザーでもあるモーリーはいったいどう見ている!?
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- アメリカ偉人伝! vol.5
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2007年9月5日、サンフランシスコにて、第3世代のiPod nanoを紹介しているスティーブ・ジョブズ。彼のプレゼンテーションは“魔法”とまでいわれた。しかし同時に、プレゼン前に何時間も繰り返しリハーサルを行っていたことも有名
ジョブズはコンピューターに革命を起こし、僕もそれに胸を躍らせたクチ。ただ、高級ブランドみたいな売り方だから、とにかくお金がかかりました。それで最低価格のものを買うと、常になにかが足りない。ほとんどのユーザーが処理能力の限界や機能制限を味わい続けてきたはずです。一方でハイエンドを買った富裕層は、あまり使わない。だからマックは“貧しさを感じさせる豪華さ”なんですよ。初期の頃はソフトがほとんどなく、売られているものも不安定。MIDI(電子楽器の演奏データを転送・共有するための共通規格)の機器を繋ごうとするんだけど、これが非常に難しい。繋がるという約束はあるものの、ハッカーレベルの知識がないと理論を実現できないプラットフォームでした。
だから僕のようなマック初期世代は、とにかく散財しました。“マック貧乏”という言葉があったけど、当時出演していたラジオのギャラも相当使いましたよ。ただし、いろいろ買っても動作が不安定で、約束は守られない。その連続です。“もう少しで見える未来”のイメージが先行して、これはいけると20万円くらい投資する。でも、実はその機能には最低でも50万は必要だとか、そもそも専用スタジオじゃないと無理という話になってくる。ひたすら蜃気楼を追いかけるようにできているんです。ただ、ジョブズのデモはいつも素晴らしいので、みんなその魔法というか手品に魅了され、崇拝する人まで出てきます。彼が作った想像上のテーマパークですね。当時は1メガのメモリを2メガに増設するのに、10万円くらいかかりましたからね。でも、なにも変わらない。メモリが増えても、結局はフロッピーの速度で読み書きしていますから。もう、わけがわからない(笑)。
’90年代にジョブズがアップルを追われて、NeXTという会社を作りました。ビジネス的には成功しませんでしたが、フランスに国立の電子音楽センターがあり、そこにNeXTのワークステーションがずらっと並んでいたんです。非常に高価なものを国家予算で買って、音響や残響などのハードな計算をやっていた。独自開発した専用音響ボードを積んでね。で、それを模倣しようと思って、20万円近いボードを買って自分のマックに挿してみたんです。完璧にダメ。ゲームボーイみたいな音が出ましたね。
僕の中で熱病のような憧れや期待が冷めはじめたのは、ピクサーが『トイ・ストーリー』を出した頃。あのツルンとした感覚は、間違った方向なんじゃないかと思った。ガレージで手作業していたアップルの文化が、巨大資本のものになったというかね。ひとつの音を出すのに苦労していた僕らからしたら、ふざけるな、もう騙されないぞと(笑)。ジョブズの夢は十分に理解できるし、傍観者としては面白い物語だと思います。ただ、その夢には多大なる迷惑が伴う。彼の時代はそれでよかったですが、現代において個人の想像力をかき立てる方法は、カリスマの物語以外にもあるはずですから。
ジョブズは禅が好きでしたが、そこを徹底して追求した感はありますね。俗世にまみれて清濁あわせ呑むというか、その割り切り方がすごかった。アップルを追われたとき、そのまま第一人者として研究の道に進む選択肢もあった。でも、野心の塊でね。そこはとても面白い。僕がフォーカスしたいのは、彼が指し示した方向と感性というか、その傾き加減です。到達点というより加速度。その瞬間最大風速を感じたい。小さく満足しないで、荒野に出てビッグにやれと。その精神は、おそらくインドの人たちに受け継がれると僕は思っています。彼らのあっけらかんとした明るいエナジーはすごい。本気のイノベーションや表現力の懐深さというのは、もしかしたら南アジアに移っていくのかも。僕からすると、彼らのパワーこそがジョブズ的に見えます。
ジョブズには4人の子がいるが、ファッション界隈で注目なのが末娘のイブ。現在24歳で、大学卒業を機にモデルとして活躍中。6歳から乗馬を嗜み、U-25の世界ランク5位になったことも。東京五輪にも出場予定だったが、開催が延期されたため断念。ジョブズの娘というブランドだけでなく、まさに才色兼備な魅力を発揮している
ヒッピー雑誌の最終号から引用した「ステイ・ハングリー、ステイ・フーリッシュ」で有名な、スタンフォード大の卒業式でのスピーチ。2005年に行われたが、当時すでにガンが悪化していた
ジョブズはボブ・ディランの大ファン。高校生の頃、5つ年上のスティーブ・ウォズニアックとともに遠征しては、ブートレグ盤を買い漁っていたという。アップル社のプレゼンテーションなどでも、ディランの曲や詩が印象的に使われた。
親交も深かった三宅氏が惜しまれながら逝去
ファッションでも注目を集めたジョブズ。特に〈イッセイミヤケ〉の黒タートルネックを愛用していたことで有名。その三宅一生氏が、今年8月に惜しくも亡くなられた。ジョブズとの親交も深く、彼のために100着もの黒タートルを作ったとか。
教えてくれたのは
[モーリー・ロバートソン]
Morley Robertson
1963年、NY生まれ。日米双方の教育を受け、東京大学とハーバード大学に現役合格。現在はタレント、国際ジャーナリスト、音楽家として幅広く活動している。日本テレビの情報番組『スッキリ』の毎週木曜日のレギュラー出演でもお馴染み。
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熱に浮かされていたあの頃には戻れない!
「彼の世界観やエナジーは尊敬するし、その恩恵の中に生きているけれども、あらゆる“約束”を多くのユーザーともども浴び続けた。もうなにをいわれても乗れません!」
前回の“アメリカ偉人伝は”
【アンディ・ウォーホル】ポップアートの奇才はなにを企み、なにを夢見たか!?
雑誌『Safari』11月号 P240~241掲載
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text : Kunihiko Nonaka(OUTSIDERS Inc.)
photo by AFLO