
今年(2025年)3月に発表された第97回アカデミー賞で作品賞を含む最多5冠に輝いた、ショーン・ベイカー監督の『ANORA アノーラ』。この傑作を鑑賞した面々の中には、現在ミドルエイジの世代にはおなじみの、ある1本の映画のツメアトを感じ取った人が多いのではないか。そう、1990年の全米興行収入No.1映画であり、ハリウッドのロマンティック・コメディを語るうえでは欠かせない人気作、ジュリア・ロバーツ&リチャード・ギア主演の『プリティ・ウーマン』(監督/ゲイリー・マーシャル)である。
共通点はお話の骨子だ。“富裕層の男性がアンダークラスの女性を見初める”という基本軸。そしてヒロインの女性が、ストリートで客引きをしているセックスワーカーであること。彼女(たち)は男性から高額のギャラを受け取って期間限定の愛人となるが、まもなく仕事の契約を超えた関係へと転がっていく。ただし同じような経済格差を背景にしていても、約35年もの時を隔てた両作にはハッキリと時代相の違いが表れている。『ANORA アノーラ』ではロシアからやってきたグローバル企業の御曹司から、余りにも無責任に、主人公のアノーラはあっけなく夢の梯子を外されてしまう。都合のいい玉の輿とか、社会階層の一発逆転なんてあり得ねえんだよ、とばかりに。ゆえに日本でも21世紀のアンチ・シンデレラストーリーとのコピーを用いて宣伝されたが、対して20世紀のラストランに大ヒットを飛ばした『プリティ・ウーマン』は、ハリウッド/アメリカの甘美な夢を見させてくれる最後のシンデレラストーリーの名作とでも位置づけられるかもしれない。
もっとも『ANORA アノーラ』の下敷きになったとおぼしき『プリティ・ウーマン』にはさらなる原型がある。ジョージ・バーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』を原作としたミュージカルの映画化である、1964年の『マイ・フェア・レディ』(監督/ジョージ・キューカー)だ。これはオードリー・ヘプバーン扮するロンドンの下町で花を売っていた少女イライザを、ヒギンズ教授が一流の淑女に仕立て上げるという物語。ちなみに『プリティ・ウーマン』では劇中のちょうど真ん中辺りで、ジュリア・ロバーツ扮するヴィヴィアンがホテルのテレビでヘプバーン主演の『シャレード』(1963年、監督/スタンリー・ドーネン)を観ているという斜めにひねったオマージュが捧げられている。『マイ・フェア・レディ』は米映画ながらイギリス式の階級社会がバックボーンになっていたわけだが、それをアメリカ式の資本主義が生み出す格差のメカニズムへと変換したところに、『プリティ・ウーマン』の決定的な卓越のひとつがあったと言えるだろう。
※中編に続く
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