【Profile】アリ・アスター(写真右)/1986年7月15日生まれ、ニューヨーク出身。『ヘレディタリー/継承』(2018年)で長編映画デビュー。
映画ファン、とりわけ近年のエッジの効いた洋画をチェックしているファンであれば、アリ・アスター監督の名を知らない人はいないだろう。ある一家の呪われた運命を描く長編デビュー作『ヘレディタリー/継承』(2018年)でホラーの新次元を切り拓き、カルトな夏至祭にやってきた大学生たちの恐怖奇談『ミッドサマー』(2019年)では、狂気の祝宴を鮮烈に描き切った。強迫観念を抱えた男の心象風景をたどる2月16日に公開した新作『ボーはおそれている』でも彼ならではの、観客を不穏の渦に巻き込む演出は健在だ。本稿では、そんなアスター作品の魅力について語ってきたい。
『ボーはおそれている』(2024年)
アスターの長編3作品の共通点として、まず挙げたいのは、主人公が精神的な問題を抱えていること。『ヘレディタリー/継承』の主人公アニーは夢遊病に悩まされ、『ミッドサマー』のヒロイン、ダニーはパニック障害を抱えている。『ボーはおそれている』の主人公ボーは、まともな社会生活をおくれないほどの不安症である。いうまでもなく、映画における主人公は観客が気持ちを重ねることのできるキャラクター。そんな人物が心の病を抱えているという設定は、観客の内面を不安に陥れる点で効果的だ。恐怖に歪む彼らの表情をクローズアップした映像のインパクトと併せて、強烈な印象を残す。
『ヘレディタリー/継承』(2018年)の撮影風景
さらに注目したいのは、いずれの主人公も家庭の問題を抱えていること。『ヘレディタリー/継承』のアニーは不仲だった母との死別を経験した矢先に幼い愛娘の事故死という悲劇に直面。『ミッドサマー』のダニーは、妹が両親を巻き込んで自殺したという過去のトラウマを引きずっている。そして『ボーはおそれている』のボーは中年となっても、母親に対するコンプレックスから抜け出せない。社会の最小限の単位である家族の物語を主人公に背負わせることで、観客にとって彼らがより身近な存在となるというワケだ。
『ミッドサマー』(2019年)
凄惨な死というエピソードも、アスター作品には欠かせない。『ヘレディタリー/継承』の幼い娘の事故死、『ミッドサマー』で崖から飛び降り、頭を割られる老人の儀式的な死は、その描写を含めて観客の脳裏に生々しく焼き付いた。『ボーはおそれている』では、そのようなバイオレントな描写は控えめだが、母親が落下したシャンデリアによって頭を砕かれて亡くなった……という前半のエピソードがセリフで説明されるだけで、イマジネーションを刺激してくる。
『ミッドサマー』(2019年)の撮影風景
ざっとアスター作品の特色を語ってみたが、これだけだと陰鬱な作品ばかりと思われるかもしれない。しかし、アスターはビジュアルを徹底して作り込むことで、これらの物語をアートへと高めてみせる。たとえば、建造物へのこだわり。『ヘレディタリー/継承』での主人公の屋敷や、子供用ツリーハウス、ヒロインが作っているミニチュアハウスなどは、どこか異様な空気が漂っている。『ミッドサマー』での、さわやかな平原に建てられた簡素な宗教施設の佇まいも同様だ。『ボーはおそれている』では、主人公の退廃的なアパートにはじまり、彼を助ける夫婦のクリーンな屋敷、そしてモダンで冷たい空気を漂わせた実家の豪邸へと舞台を変える。それらの内装を含めた造型の作り込みを、絵的な風格に昇華させるのは映画の醍醐味でもある。
アスター作品の作り込みは物語の伏線として機能しているケースも少なくなく、ネット上では多くの分析記事を見ることができる。裏を返せば、それはアスター作品にハマってしまうファンが多いことの証明。新作『ボーはおそれている』は前2作以上にシュールな展開だけに多様な解釈ができるので、それに拍車がかかるかもしれない。恐怖に震えつつも目が離せない、アスターの“沼”に、ぜひ一度沈んでみて欲しい。
photo by AFLO