MLBの挑戦者たち 〜メジャーリーグに挑んだ全日本人選手の足跡
Vol.1 野茂英雄/日米球界をつなぐパイオニア【後編】
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MLB2年目の1996年、野茂はドジャースと3年総額430万ドルのメジャー契約を結ぶ。その安心感もあってか、野茂は昨年以上の素晴らしい成績を残す。4月13日のフロリダ・マーリンズ戦で17奪三振の完投勝利。7月に日米通算100勝を達成。9月1日にはメジャー史上3人目となるデビューから2年連続200奪三振という記録を樹立した。
そして迎えた同17日、コロラド・ロッキーズ戦。ロッキーズの本拠地であるクアーズ・フィールドは標高約1600mの高地にあり、気圧の低さから打球がよく飛ぶことで知られている。しかも雨のために試合開始は2時間も遅れ、気温が10℃以下にまで下がるという、投手にとって最悪の条件。誰もが荒れた試合展開を予想した。
ノーヒット・ノーランを達成した野茂を祝福する捕手のピアザ
先発した野茂は、初回、2回と四球でランナーを許す苦しい投球内容。3回からは代名詞のトルネードを封印し、足場の安定するセットポジションからの投球に変更。これが功を奏した。以降は危なげないピッチングを続け、見事にノーヒット・ノーランを達成。ラストの110球目はフォークボールだった。マイク・ピアザ捕手のサインに珍しく首を振り、自ら選んだ1球で空振り三振を奪った。試合後のインタビューでは、何よりも捕手・ピアザのリードを称え、優勝争いをしているチームの勝利を喜んだ。この謙虚さと朴訥さが、いかにも野茂らしかった。この年はチーム最多の16勝11敗、防御率3.19、奪三振234という内容で終えている。
翌’97年、メジャー最速記録となる500奪三振を達成するなど、まずまずの内容で前半戦を終える。しかし7月以降、右肘に打球を受けたことも影響し、打ち込まれるシーンが目立つようになる。シーズン成績14勝12敗ながら、防御率は4.25と悪化。オフには6月から張りがあったという右肘の遊離軟骨除去の手術を受けた。’98年、調子の上がらない野茂は、環境を変えるためにニューヨーク・メッツへ移籍。それからの数年間は、シカゴ・カブス、ミルウォーキー・ブルワーズ、デトロイト・タイガースとチームを渡り歩いた。
オリオールズの本拠地オリオール・パーク・アット・カムデン・ヤーズで2度目のノーヒット・ノーランを達成
低迷していた野茂が、完全復活を果たしたのは2001年のこと。ボストン・レッドソックスへ移籍し、4月4日のボルチモア・オリオールズ戦でいきなり自身2度目のノーヒット・ノーランを達成。両リーグでのノーヒッター達成は、史上4人目という快挙だった。5月2日のシアトル・マリナーズ戦では、新人として大きな話題を集めていたイチローと初対戦。第1打席を二ゴロ、第2打席を中飛に打ち取ったが、第3打席ではストレートを思いきり背中にぶつけている。この年は13勝10敗、防御率4.50で終了。リーグ最多の220奪三振を記録し、4年ぶりに奪三振が200を超えた。また96四球もリーグ最多だった。
石井一久とともに2002年の開幕戦セレモニーに参加
‘02年には古巣のドジャースに復帰。この年からMLBにやってきた石井一久とチームメートになる。野茂は16勝を挙げてチームに大きく貢献し、防御率も3.39と良化した。ちなみに、石井と野茂は与四球数のリーグ1位・2位(石井106、野茂103)を記録。監督やチームメートは、さぞイライラしたことだろう。翌’03年には自身3年ぶりの開幕投手を務め、ダイヤモンドバックスのランディ・ジョンソンと投げ合って8回無失点。自身もタイムリー二塁打を打っている。この年も16勝を挙げ、防御率3.09はリーグ6位の好成績だった。
2005年6月15日、タンパベイ・デビルレイズ(現タンパベイ・レイズ)に所属していた野茂は本拠地トロピカーナ・フィールドで行われたミルウォーキー・ブルワーズ戦で日米通算200勝を達成
いかに強靭な肉体をもつ野茂といえども、この時すでに35歳の大ベテラン。以降は肩や肘の不調が相次ぎ、マイナー契約でチームを渡り歩く生活を余儀なくされる。’05年には日米通算200勝を達成したが、引退した’08年まで表舞台で輝くことはなかった。引退時は記者会見を開くことすらなく、「自分の気持ちだけで中途半端にしていても、まわりに迷惑をかけるだけだと思った」という短いコメントを残している。黙々と自分の仕事をまっとうする、野茂英雄という男の流儀を最後まで貫いた。
2023年8月、日本人MLB投手最多奪三振を記録したダルビッシュ有を称えるセレモニーに出席。2016年からダルビッシュが所属するサンディエゴ・パドレスのアドバイザーを務めている
【Profile】
野茂英雄(のも ひでお)/1968年8月31日生まれ、大阪出身。日米通算201勝155敗、3122奪三振(1990年〜2008年)
photo by AFLO