『レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い』(1994年)
美しさの呪縛と葛藤し続けた90年代
初期のブラピは、世間が美しさに熱狂するのとは裏腹に、いつも「僕は性格俳優だ」と言い続けていたとか。なるほど、彼は型にはまることを嫌う。それゆえ世間が一つの役柄で自分を捉えはじめると、次の作品ではそれを全く真逆の色で塗り替えようとする。
『カリフォルニア』(1993年)
『トゥルー・ロマンス』(1993年)
思い出してほしい。『リバーランズ』の翌年には、殺人犯を演じた『カリフォルニア』(1993年)で観客を震撼させたし、かと思えば、『トゥルー・ロマンス』(1993年)ではソファに座ってドラッグをやり続ける夢見心地な男を妙演。また『レジェンド・オブ・フォール/果てしなき想い』(1994年)で再び光と影が同居する美しい生き様を体現したかと思えば、次なる『セブン』(1995年)で最恐の”極闇”に足を踏み入れ、観客をどん底へと突き落とした。
『セブン』(1995年)
『12モンキーズ』(1995年)
雑誌で“最もセクシーな男”に選ばれようものなら、その呪縛から逃れるべく、さらに大改造は進んだ。『12モンキーズ』(1995年)では、テリー・ギリアム監督の元へ出向いて出演を直談判。自ら精神病棟での暮らしを体験するなどして、いかに役を演じるべきか研究を重ねたという。これが実って人生初のアカデミー賞候補入り(助演男優賞)を果たした時の喜びは、きっと何事にも替えがたいものだったろう。
『ファイトクラブ』(1999年)
20世紀が終わる。ブラピの第二章も終わろうとしている。その締め括りとして『ファイトクラブ』(1999年)のエンディングでピクシーズの名曲に乗せてたどり着いたのは、あらゆる既存の建物が崩壊してゼロへ戻っていく風景。これらが次の高みへ昇るための荘厳な儀式のように思えたのは私だけではなかったはずだ。
新たな立ち位置を獲得した00年代
00年代に入ると、彼がオーナーを務める製作会社プランBが始動する。こうなると従来のように映画スタジオが要求するイメージを背負う必要がもうなくなるわけで、90年代に比べると随分と型にはまらず、自由自在な役柄に挑むブラピがスクリーン上に現れるようになる。
肩書きも増えた。初めてプロデューサーとしてクレジットされたのは『ディパーテッド』(2006年)。もともとは自身が主演するために権利取得した企画だったが、しかし最終的に彼はその役を「もっと若い俳優たちに」と譲って、プロデュースに徹する。これが第79回アカデミー作品賞を獲得してしまうのだから本当に凄い。
彼は裏方でもアンサンブルに長けた存在であることが証明された。もはや従来のような俳優としての範疇だけでは括れない。彼はもっと広い意味での”映画人”となった。本作での快挙は、まさに新たな使命と生きがいをもたらした瞬間だったのではないだろうか。(後編に続く)
●参考資料
『ハリウッド・ガイズ スーパーインタビューブック』 野中邦子訳(集英社/1998)
『ブラッド・ピット』エディターズ・オブ・US著、島田陽子訳 (ロッキング・オン/1998)
https://www.interviewmagazine.com/
https://www.bbc.com/
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