長嶋さんが1980年に巨人の監督を退任されて以降、10年以上に及ぶ、いわゆる「充電期間」に入った。ちょうど同じ頃、私も野球解説の仕事やテレビ番組の司会など、色々と仕事が入り充実した日々を送っていた。
そんな中、92年に入ってからある関係者を通じて、プロレス界のヒーローであり、参議院議員でもあるスポーツ平和党のアントニオ猪木さんから、「ウチの党から出馬してみないか」というお誘いを受けた。ちょうどこの年の7月に参議院選挙があって、その候補者探しをしていて、比例区の候補者として私にも白羽の矢が立ったというわけだ。
選挙に必要なのは「地盤(組織力)」「看板(知名度や肩書)」「かばん(資金力)」の3つの「バン」だと言われている。中でも参議院議員は「知名度さえ高ければどうにかなる」と思われがちだが、そもそも私自身がやむを得ず出馬することになってしまった立場で、それほどモチベーションもなく、選挙に受かるかどうかは微妙なところだった。
実際、街頭に出てみると「選挙に出るなんて言わなきゃよかった」と思うほど後悔の連続だった。スポーツ平和党は猪木さんの支持者に支えられている政党であって、野球解説者としての私は、「演説するならどうぞご勝手に」とばかりに、応援に付いて来てもらえない。演説のノウハウもないので、テレビの司会や講演で舌鋒鋭く語っていた口調で話すしかなかったが、それが聴衆に響いているという手応えもあまりなかった。とはいえ、猪木さんからお声を掛けていただき、「出る」と決めたからには、当選するための準備をしなければいけないと決意だけは固めていた。それにしても、真夏の炎天下での選挙活動は、非常にきつかったのを覚えている。
そんなある日。私の選挙事務所に長嶋さんご本人から電話を頂いた。
「そういえば江本君、選挙戦の応援に行きたいんだけど、どうかね?」
突然、驚くべきお申し出を頂いた。あまりに畏れ多く、丁重にお断りしたところ、
「それならこうしよう。今度、きみの事務所前を僕が散歩して通り掛かるっていうのはどうかな?」
日時は7月7日。七夕の16時に、私の事務所前を通ると言ってくれたのだ。そこでつい、
「お願いします。散歩して通り掛ってください」
と、言ってしまった。
「オッケー、じゃあ7日の16時に行くからね」
と言って長嶋さんは電話を切った。それにしてもなぜ……?
長嶋さんが突然に私の応援をお申し出になったのはなぜか。後で分かったことだが、それは私と、長嶋さんのご子息一茂君とのある一件がきっかけだった。
私が参院選に出馬をするよりもずいぶん前の事だが、人から「ヤクルトスワローズに所属する一茂君が、一軍で起用してもらえず、二軍でも結果をなかなか残せないことで、相当落ち込んでいる」ことを聞いた。当時のヤクルトは、野村監督が指揮してID野球が大旋風を巻き起こしていた時期だ。私は、野村監督の厳しさは身に染みて知っていたし、ここは一つ「一茂君を元気付けてやろう」と考え、知人らを集めて激励会を開いた。
最初は沈みがちだった一茂君も、時間がたつにつれて笑顔も増え、終わりのころには冗談を言って笑い合うまでに元気を取り戻した。会がお開きの頃になると、「今日はこんなすてきな会を開いてくださってありがとうございました。僕も明日から心機一転、一軍出場を目指して頑張ります」とお礼を言って帰っていった。
その様子を見て、ほっと胸をなでおろしたのだった。この件を後に一茂君から聞かされた長嶋さんは、いたく感激して「いつか、何らかの形で江本君にお礼をしよう」と考えていたそうだ。そんな中、私が参院選に出馬し苦戦していることを知り「今がその機会だ」と、あの突然のお電話に至ったとのことだった。
さて、長嶋さんからのお電話の後、マスコミ向けにスタッフが次の文言を書いたファックスを送った。「7月7日の16時に、長嶋茂雄氏が事務所前を通り掛かる予定」
「来る」ではなく、あくまで「通り掛かる予定」としてみた。この文言を見ても「本当に長嶋さんは来てくれるんだろうか?」と、期待と不安が入り混じった気持ちでいっぱいだったのだ。
そうして迎えた7月7日の当日。私や選挙スタッフたちが思いもしなかった事態が起きようとしていた。13時を過ぎたあたりから、事務所前にマスコミ関係者とおぼしき人物が、1人、2人と現れては、付近に誰かが来るのを待ち伏せ始めた。
「あっ、長嶋さんを待っているんだな」
時間がたつにつれて、事務所付近にはどんどん人が増えていき、15時を過ぎた頃には50人、いや60人以上のマスコミが集まった。同時にそれを見ていた一般の人たちも「何か起きるのか?」と騒ぎ出し、気が付けば異様なほどの人だかりとなっていた。
15時55分にさしかかった頃、私の選挙事務所から20m近く離れたところで、真っ白なセンチュリーが止まった。ドアがガチャッと開くと、ダークブラウンのスーツに身を包んだ長嶋さんがさっそうと現れた。すると、カメラのシャッター音が一斉に鳴り響き、全員の視線が長嶋さんに注がれた。
「あっ、ミスターだ」
「本当に来たんだ、すごい」
そうして一歩、また一歩と歩み寄り、長嶋さんは私の事務所にやって来た。同時にそれを遠目に見ていた一般の人たちも、
「うわ〜長嶋さんだ!」
「えっ、ウソウソ。本人だよね」
うわっと歓声が上がって一瞬パニック状態になった。けれども当の長嶋さん本人はどこ吹く風とばかりに、
「あれ、ここはあなたの選挙事務所なの?」
といつもの穏やかな満面の笑みで私に話しかけてくれる。
「いや今日はね、このあたりを散歩してみようと思ってね。気が付いたらあなたの事務所があるのを見つけて降りてみたってわけ」
いやいや散歩ではないでしょう……。誰もがそう思いつつも、そんなことを口に出すのは野暮だとばかりに、
「ミスター、こっち向いてください」
「江本さんと猪木さんのスリーショットを撮らせてもらえないでしょうか?」
四方のカメラマンからリクエストが入る。そうして私と長嶋さん、猪木さんのスリーショットの構図を、カメラマンから言われるがままに、笑顔でその要求に応えてくれた。
翌8日、スポーツ紙全紙にスリーショットの写真が載り、こんな見出しがデカデカと踊っていた。
「ミスター、エモやんを電撃訪問」
「長嶋さん、江本氏の選挙応援に駆け付ける」
これだけでもPR効果は絶大だったが、何よりも「あのミスターが江本を応援している」というイメージが、私の選挙活動に大きな追い風となったのは間違いない。
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※この記事は『昭和な野球がオモロい!』から一部抜粋して構成しております。