『エイリアン』(1979年)
さて、宇宙船ノストロモ号という限定空間の中で乗組員たちが危険な地球外生命体に遭遇。エイリアンの卵から孵化したフェイスハガーが人間の顔にへばり付いて、カラダの中に幼生を強制的に産み付けるというエグい攻撃を繰り広げる――。「脱出か死か、道は二つに一つしかない」とかつて黒沢清監督が明快に整理した、『エイリアン』の恐怖の方程式が爆誕した(黒沢清監督の評言の引用は『映画はおそろしい』青土社刊より)。この秀逸のホラー装置を設計したのがダン・オバノンだとしたら、そこに最高のデザインを加えたのがスイス出身の画家・造形作家、H・R・ギーガー(1940年生~2014年没)である。もともと1975年、アレハンドロ・ホドロフスキー監督が企画していた『デューン/砂の惑星』の映画化チームに美術担当として誘われていたギーガーだったが(あのシュリレアリスムの巨匠、サルバドーリ・ダリからの推薦だったらしい)、同企画は資金難であえなく頓挫。この『デューン/砂の惑星』の特殊効果を務める予定だったのが、他ならぬダン・オバノンだった。そして彼が同じ「企画ポシャった仲間」のH・R・ギーガーに電話して、エイリアンのデザインを依頼し、監督のリドリー・スコットに熱烈推薦したのだという。本件をめぐる詳細は2013年のドキュメンタリー映画『ホドロフスキーのDUNE』で知ることができるが、結果的に『エイリアン』のクリーチャーデザインはH・R・ギーガーの代表的な仕事となり、1980年の第52回アカデミー賞では視覚効果賞に輝いた。ちなみに男性器など性的なモチーフをエロではなくグロテスクに応用した姿のエイリアンには『ゼノモーフ』という固有種名がついているが、この呼称に関しては『エイリアン2』から具体的に言及されるようになったものである。
このダン・オバノン×H・R・ギーガーという異能タッグの性質を考えても、密室ホラー型のエンタメベースのうえに、アート系のセンスやアイデアがたっぷり乗っかっているのが『エイリアン』の作品組成だと整理できる。そしてリドリー・スコット監督もまた名門美大(ウエスト・ハートブール美術大学~ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)の出身。エイリアンの幼体の第二形態であるチェストバスターのデザインは、スコット監督が異端の英国人画家、フランシス・ベーコンの本格的なデビュー作として知られる『キリスト磔刑図を基盤とした3つの人物画の習作』(1944年)をギーガーに参照するよう指示したことから生まれたものだ。ちなみにベーコンの同作はデヴィッド・リンチ監督の『イレイザーヘッド』(1977年)にも強い影響を与えている。
『エイリアン2』(1986年)
かくして1979年5月に全米公開、日本でも同年7月に公開された『エイリアン』第1作は、製作費1100万ドルにして、全世界の興行収入が約10倍の1億0493万ドルに達するメガヒットを記録。当然のごとく、この大成功でご満悦の製作会社ブランディワイン・プロダクションズを運営するデヴィッド・ガイラーとウォルター・ヒルは、『エイリアン』の続編の企画を練りはじめた。そんな彼らが目をつけたのは、ロジャー・コーマン率いるニューワールド・ピクチャーズのもとでB級映画『殺人魚フライングキラー』(1981年)を監督したばかりの無名の新人、ジェームズ・キャメロン(1954年生まれ)だった。ガイラーとヒルは、その頃キャメロンが各映画会社に売り込んでいた『ターミネーター』の脚本を読んで面白さに感心し、まずは『エイリアン』続編の脚本を試験的に依頼した。この話を訊いた時、キャメロンは驚きと興奮のあまり平静を装うのに必死だったという。実のところ彼は『エイリアン』の熱狂的な大ファン。公開初日の夜に『エイリアン』を友人と鑑賞した当時24歳のキャメロンは、「なんて完璧な映画なんだ」と同作に心酔。以降しつこいほど繰り返し観返し、クリーチャーや宇宙船の創作方法を学んで、プロダクションデザイン&第2班監督として参加していた『ギャラクシー・オブ・テラー/恐怖の惑星』(1981年、監督/ブルース・D・クラーク)の仕事に生かしていた(レベッカ・キーガン著、吉田俊太郎訳『ジェームズ・キャメロン 世界の終わりから未来を見つめる男』フィルムアート社刊より)。そのあと『ターミネーター』(1984年)を自ら監督して記録的なメガブレイクを果たし、ネームバリューを一気に上げたことで、『エイリアン』続編の監督にも晴れて任命されたのである。
では『エイリアン』というひとつの“完璧”な成果に対し、『エイリアン2』が取ったアプローチとはどんなものだったのか。まずはエイリアンの数を増やすということ。意外に多くの人が忘れていたりするのだが、『エイリアン2』の原題は“Aliens”(エイリアンズ)である。前作の世界観を大切にしつつ、今度はうじゃうじゃと無数に繁殖した肉食宇宙生物のエイリアンに、米国の宇宙海兵隊のタフな兵士たちが否応なく立ち向かうSFアクション映画として新たに組み上げたのだ。当時の本作のキャッチコピーは「This time it's war.(今度は戦争だ)」。この作品コンセプトには、ちょうどキャメロンが同時期に作業を進めていた『ランボー/怒りの脱出』(1985年、監督/ジョージ・P・コスマトス)の脚本執筆のため、ベトナム戦争のリサーチを徹底的にやっていたことも大きく影響した。「技術的にずっと優れた軍隊が、ひそやかで強い意思を持つ不均等な敵に惨敗するという『エイリアン2』のストーリーは、間違いなくベトナム戦争と類似している」とキャメロンも語っている。
※後編に続く
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