『ゴッドファーザー』(1972年)
すでにご覧になっている映画ファンも少なくないと思うが、ネット配信やCS放送で話題を呼んでいるドラマシリーズ『ジ・オファー ゴッドファーザーに賭けた男』(2022年)が面白い。映画史に残る不朽の名作『ゴッドファーザー』(1972年)の製作の舞台裏をプロデューサー、アルバート・S・ラディを中心に置いて描いた実録ドラマ。資金難やマフィアとのトラブルなど、とにかく製作はご難続きで、ラディは頭を痛めることになる。
彼を悩ます、もうひとつの要素となるのが、当時30歳を過ぎたばかりの血気盛んな監督フランシス・フォード・コッポラの存在だ。娯楽ギャング映画として製作がはじめられた『ゴッドファーザー』は、“商業用映画ではなく、芸術映画を作りたい”というコッポラの強烈な意志に揺さぶられる。ニューヨークでなければ撮れない、主演は当時無名だったアル・パチーノ以外にありえない、シチリアでのロケは絶対にしないといけない……などの彼の要求は、限られた予算でヒットを飛ばしたいハリウッド映画にはハードルの高いものばかりだった。それでもラディはコッポラの才能に賭けてバックアップし、結果的にその賭けに勝利。世界的な大ヒットとアカデミー賞の栄冠をモノにする。
『地獄の黙示録』(1979年)
『ワン・フロム・ザ・ハート』(1982年)
この『ゴッドファーザー』の裏話からもわかるように、コッポラは自身のビジョンに妥協しない完全主義者だ。同作の成功をステップにして、コッポラはしばらくの間、スタジオ主導の製作体制を逃れ、金と時間を費やしてでも作りたいものを作ろうとする。当時の予算としては高額の3千万ドルを投じた『地獄の黙示録』(1979年)は、その代表例。フィリピンの熱帯雨林で撮影された、この戦争ドラマはカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞して成功を収めた。逆に、続くラヴストーリー『ワン・フロム・ザ・ハート』(1982年)はすべてのセットを建設し、2千6百万ドルの巨費を投じるも、評価の面でも興行面でも惨敗。破産をも経験したコッポラは、以後この姿勢を改めることを余儀なくされた。
『アウトサイダー』(1983年)
とはいえ、『ゴッドファーザー』でのリアリズムの追求は後の作品にも見てとれる。『ゴッドファーザーPART2』(1974年)、『ゴッドファーザーPART3』(1990年)の続編はもちろん、『地獄の黙示録』でのベトナムの戦場の臨場感には、ただただ圧倒される。ともすれば甘口の青春群像劇になりかねない『アウトサイダー』(1983年)が硬派な雰囲気をまとったのは、コッポラの冷徹な語り口ゆえ。より辛口の青春映画『ランブルフィッシュ』(1984年)は若さの驕りや閉塞感が、モノクロの映像から生々しく伝わる秀作となった。
『コッポラの胡蝶の夢』(2007年)
『ワン・フロム・ザ・ハート』で巨大セットを建設し、架空のきらびやかな街を建造したように、コッポラは作品の世界観を徹底することでも知られている。タイムスリップを題材にした『ペギー・スーの結婚』(1986年)では1960年代のアメリカン・カルチャーを細部にいたるまで再現。『ドラキュラ』(1992年)では19世紀の東欧、ルーマニアを舞台に、ゴシックホラーの空気感をダークな映像の中に匂い立たせた。同作は、撮影自体はロサンゼルスで行なわれたが、『コッポラの胡蝶の夢』(2007年)は多くの場面が同地で撮影され、若返りや輪廻を題材にした幻想奇談に、独特の雰囲気をあたえていた。
『Megalopolis』(原題)
83歳のコッポラは、『ヴァージニア』(2011年)以後、長編劇場用作品の監督から遠ざかっているが、プロデューサーとしては自身のプロダクション、アメリカン・ゾエトロープの下で、『ロスト・イン・トランスレーション』(2004年)、『ブリングリング』(2013年)などの愛娘ソフィア・コッポラの監督作品をはじめ、多くのアーティスティックな作品を輩出。また、12年ぶりの自身の監督作『Megalopolis』(原題)の企画もアダム・ドライバーの主演で動き出しているという。これまでに5度、アカデミー賞を手にしている鬼才の復活を、心待ちにしよう。
Francis Ford Coppola[フランシス・フォード・コッポラ]
1939年生まれ、デトロイト出身。『ディメンシャ13』(1962年)で長編映画監督デビュー。
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