MLBの挑戦者たち〜メジャーリーグに挑んだ全日本人選手の足跡
Vol.21 井口資仁/日米のファンを魅了した男
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【Profile】井口資仁(いぐち・ただひと)/1974年12月4日生まれ、東京都出身。日米通算2245安打295本塁打(1997〜2017年)
青山学院大学時代から、走攻守の揃った(おまけに爽やかなイケメンの)遊撃手として名を馳せた井口資仁。プロ入りに際して激しい争奪戦となったが、1996年のドラフト会議直前に福岡ダイエー・ホークス(当時)を逆指名。チームからも即戦力としておおいに期待された。井口は学生時代、アトランタ五輪の野球日本代表に選ばれており、キューバ代表の力強いプレーに衝撃を受け、このことが後のメジャー挑戦につながったという。また、プロ入り1年目のオフには、松中信彦らとともにハワイ・ウインターリーグに参戦。その経験も大きかったのではないだろうか。
ホークスには8年間在籍し、盗塁王を2度、本塁打20本以上を4度、二塁手としてベストナインを3度、ゴールデングラブ賞を3度獲得するなど活躍。強力打線の核として十分な成績を残している。なお、プロ入り4年目のオフに登録名を本名の忠仁から資仁に変更している。2003年オフ、かねてポスティングでのメジャー移籍を希望していた井口は、“ある条件を満たした場合のみ自由契約の選択権をもつ”という覚書を球団と交わす。そして翌’04年オフ、その条件が満たされたため自由契約を選択。MLB挑戦を表明した。
2005年10月5日に行われたボストン・レッドソックスとのディヴィジョンシリーズ第2戦で、5回に3ランホームランを放つ
‘05年、シカゴ・ホワイトソックスに2年契約(3年目はチーム・オプション)で迎えられた井口は、開幕戦に2番・二塁手として出場。メジャー2戦目には初安打となる二塁打を放った。この年は135試合に出場し、打率.278、15本塁打、71打点、15盗塁を記録。メジャー1年目としては及第点を上回る成績といえる。
また、ポストシーズンでも逆転3ランHRを放ってチームのリーグ優勝に貢献。犠打を含む渋い活躍を見せ、見事ワールドチャンピオンにも輝いた。シーズン終了後には、両リーグを通じた新人ベストナインの二塁手部門に選出。ギーエン監督からは「今年のMVPは井口。彼のように野球を深く理解している選手はいない」と絶賛された。
2005年10月26日、テキサス州ヒューストンで行われたワールドシリーズの第4戦でヒューストン・アストロズに1対0で勝利し優勝。シャンパンファイトでトロフィーを掲げる
翌’05年、3月に第1回ワールド・ベースボール・クラシックが開催され、井口も日本代表に選出されている。しかしキャンプでのアピールが求められる2年目の立場を考慮し、みずから監督の王貞治に辞退を申し入れた。
シーズンに入ると、5月20日のシカゴ・カブス戦で6打点、6月25日のヒューストン・アストロズ戦で7打点と打棒が爆発。しかしビジターの試合で力を発揮できない状態が続き、最終的には打率.281、18本塁打、67打点、11盗塁でシーズンを終えている。オフにはギーエン監督から「君にはかなり我慢をさせてしまった。来年はもっと自由に打たせるよ」と声をかけられたという。
2007年8月29日にフィラデルフィアのシチズンズ バンクパークで行われた試合に出場
‘07年は怪我の影響から成績が伸び悩み、7月にトレードでフィラデルフィア・フィリーズに移籍。当初は二塁手としてチームに貢献したが、前年に3割30本100打点を達成している正二塁手のチェイス・アトリーが骨折から復帰すると、代打での出場が中心となる。シーズンオフには自ら「来季は二塁手のレギュラーとして起用してもらえるチームを中心に移籍先を探す」と話し、12月になってサンディエゴ・パドレスと1年契約を結んだ。
2008年4月26日、アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で7対7の延長13回にサヨナラ ホームランを放つ
パドレスでは極度の不振や怪我などもあり、調子が上がらないまま9月に解雇。すぐにフィリーズに復帰したものの、出番は4試合(7打席)にとどまった。この年、フィリーズはワールドチャンピオンに輝き、井口自身は途中加入のためシリーズの出場資格がなかったが、2個目となるチャンピオンリングを手にしている。
翌’08年は日本球界に復帰し、千葉ロッテマリーンズと契約。フィリーズをはじめとした複数のMLB球団からもオファーがあったが、家族の生活環境への配慮と、正二塁手として活躍の場を求める意思が強く、マリーンズ移籍を決断したという。この時、34歳だった。マリーンズには9年間在籍。チームの中心として活躍し、ファンからもおおいに愛された。
’17年、シーズン途中の6月に同年限りでの引退を表明。長女が始球式を務めた引退試合では、9回裏にバックスクリーンへ同点2点本塁打を放っている。またその数日後には、アメリカでの古巣であるホワイトソックスの最終戦に登場。当時と同じ背番号15のユニフォームを着て始球式を行った。気迫あふれるプレーで日米のファンを魅了した男は、去り際も抜群にかっこよかったのだ。
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