MLBの挑戦者たち〜メジャーリーグに挑んだ全日本人選手の足跡
Vol.16 松井秀喜/日米で愛された名スラッガー【前編】
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【Profile】松井秀喜(まつい・ひでき)/1974年6月12日生まれ、石川県出身。日米通算2643安打、507本塁打、1649打点(1993〜2012年)
日米ともに10年ずつの現役生活を送り、日本で332本、アメリカで175本の本塁打を記録した松井秀喜。性格は明るく真面目。野球に対する真摯な態度でも知られ、日米のチームメイトやファンから愛された。その活躍ぶりが今も語り継がれる、まごうことなきレジェンドの1人である。
松井といえば、清原や松坂らと並び、高校野球ファンにとっても特別な存在だ。1年生から星稜高校の4番を務め、並外れたパワーで知られた。3年生として迎えた夏の甲子園では、5打席連続敬遠という伝説的な記録も残している。高3の春、スポーツ紙の記者が“ゴジラ”のニックネームを考案。以降、日本だけでなくアメリカでも、ゴジラ松井の愛称で親しまれることになる。
本稿は日本人選手のメジャー挑戦を振り返る主旨なので、NPB時代の松井には軽く触れるにとどめたい。長嶋茂雄監督率いる読売ジャイアンツでは、1年目から11本塁打を放って頭角をあらわす。以降も豪快かつ勝負強い打撃でチームを牽引した。メジャー移籍前のシーズン成績(’02年)は、打率.334、50本塁打、107打点、OPS1.153。もはや日本でやるべきことはないという状態で、ついにゴジラが海を渡った。
’03年3月31日にトロントにあるスカイドームで行われた開幕戦でメジャー初打席、初ヒット、初打点を記録
FA権を行使し、メジャー挑戦の決意を明らかにした松井は、「何をいっても裏切り者といわれるかもしれない」と発言した。日本球界の至宝であったからこそ、そのメジャー移籍には関係者やファンの複雑な想いが渦巻いた。巨人側が“流出を謝罪”するという奇妙な状況で、松井のニューヨーク・ヤンキース入団が決定した。
翌’03年の開幕戦、トロント・ブルージェイズ戦に5番レフトで初出場。初回に回ってきた打席でタイムリーヒットを放ち、初安打・初打点を記録する。本拠地ヤンキー・スタジアムでの開幕戦となった4月8日のミネソタ・ツインズ戦、満塁で迎えた5回の打席。割れんばかりの大歓声がスタンジアムを包むなか、フルカウントからライトスタンドに豪快な一発を叩きこむ。メジャー初本塁打が満塁ホームランとなり、気難しいヤンキースファンの心をガッチリと掴んだ。
’03年7月に行われたMLBオールスターゲームにファン投票のア・リーグ外野手部門で3位に入り初出場。1位を獲得したのは当時シアトル・マリナーズに所属していたイチロー
この年の成績は打率.287、16本塁打、106打点。クラッチヒッターとして結果を残し、ア・リーグ新人王の候補に挙がるも、惜しくも選出されなかった。これに対してヤンキースの名物オーナーであったスタインブレナーは、「ひどい不正が行われた」とする声明文を出している。チームはワールドシリーズまで進出したが、フロリダ・マーリンズに敗戦。松井は第2戦で3ランホームランを放ち、ワールドシリーズで本塁打を打った初めての日本人選手となっている。
’04年3月28日に開催した伊藤ハムプレシーズンゲームでは巨人と対戦し、2回に先発の高橋尚成から本塁打を放った
’04年の開幕戦は東京ドームで行われ、古巣・巨人とも親善試合で対戦。松井はきっちり本塁打を放ち、プロ野球ファンの期待に応えた。この年はシーズン後半から4番打者に定着し、打率.298、31本塁打、108打点、OPS.912の好成績。ポストシーズンでも大暴れし、大舞台での勝負強さを発揮した。しかしチームはワールドシリーズ進出を惜しくも逃している。
続く’05年シーズンは、序盤に不調に陥りつつも打率.305、23本塁打、116打点。ヤンキースとの契約も高待遇のオファーで延長している。しかし翌’06年の5月、守備時に左手首を骨折し、長期間の戦線離脱を余儀なくされる。復帰したのは9月に入ってからで、ファンからスタンディングオベーションで迎えられるなか、4打数4安打と健在ぶりを見せつけた。
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松井秀喜/日米で愛された名スラッガー【後編】
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photo by AFLO