ジョン・マクレーン(ブルース・ウィリス)/『ダイ・ハード』(1988年)
映画史において、決してその後どんな作品も乗り越えられない“絶対基準”をマークしてしまう一本というものが時折登場する。1988年公開のブルース・ウィリス主演作『ダイ・ハード』(監督:ジョン・マクティアナン)は間違いなくその代表的なひとつだ。
「クリスマスだってのに、なんでこんな酷い目に!」――。そんな愚痴をこぼしまくる本作の主人公は、当時33歳のブルース・ウィリス(1955年生)が演じたジョン・マクレーン刑事。彼は元テロリストのドイツ人、ハンス・グルーバー(アラン・リックマン)率いる強盗グループを相手に、彼らが占拠した30階超えの超高層ビルの中、クリスマス・イヴのロサンゼルスにて、ほぼ孤立無援の状態でひとり戦うハメになる。
マクレーンはニューヨーク市警(NYPD)所属である。なぜ管轄外であるL.A.に居るかと言えば、別居中の妻ホリー(ボニー・ベデリア)と幼い子供たちに会うため。でかい熊のぬいぐるみを抱え、東海岸から西海岸まで遙々やってきたのだが、妻が勤務する日系企業“ナカトミ・コーポレーション”(当時の日本はバブル真っ盛り! ジャパンマネーが世界を席巻していた時代の輝かしい記録でもある)のハイタワー社内で、運悪くとんでもない事件に巻き込まれてしまったのだ。
『ダイ・ハード』(1988年)
つまり正規の任務ではなく、たまたま居合わせただけ。しかも白のタンクトップ(ただの肌着)姿で、これがどんどん汚れてくる。さらに裸足。やがて割れたガラスの破片を踏みまくって血まみれになる。
「もうヤだ。高いビルなんて二度とのぼらねえからな!」「神様、どうかお助けください!」などとボヤキつつも、“Die Hard”(なかなか死なない)なしぶとさと臨機応変な戦闘能力で、満身創痍になりながら悪人たちを倒していく。ただマクレーンの正体を知らない面々には、銃を持った謎のおっさんにしか見えないため、ビルの外で待機している警察たちから、結構最後のほうまでテロリストのひとりだと誤解されているのがエグい。
本作の卓越は、とにかくシチュエーション(状況設定)と、キャラクター(人物造形)だ。
実は1979年に発表されたロデリック・ソープの小説『Nothing Lasts Forever』(邦訳は『ダイ・ハード』のタイトルで新潮文庫から刊行)という原作もあるのだが、それをアーノルド・シュワルツェネッガー主演の『プレデター』(1987年)でヒットを飛ばしたばかりのジョン・マクティアナン監督(1951年生)率いるチームは、映画としての“発明”の域にまで見事に昇華した。
ハンス・グルーバー(アラン・リックマン)/『ダイ・ハード』(1988年)
まずシチュエーションという点では、“高層ビル”というデカい密室の空間性をテーマにした作品設計の素晴らしさが挙げられる。ハイタワー系の大作ではオールスター・キャストの火災パニック映画『タワーリング・インフェルノ』(1974年/監督:ジョン・ギラーミン)という先行例もあるが、『ダイ・ハード』の組み立て方はむしろミニマリズムに近く、これほど“縦の構図”をとことん活用しきったサスペンス・アクション映画は歴史的にも数少ない。そもそも大暴れの舞台となる閉鎖的な限定空間といえば“列車”というのが、昔ながらの活劇の定番だったが、「横に走る車両を、縦にしちゃえ!」とでもいう抜本的発想が冴えている。そこで高所から落下する(しそうになる)スリルなども発生し、全体の演出にタイトな凝縮力が備わった。
カール(アレクサンダー・ゴドノフ)/『ダイ・ハード』(1988年)
そしてキャラクターの魅力。冷酷無比な悪役ハンスを演じるアラン・リックマン(イギリスの舞台俳優としてスタートした彼は、なんとこれが映画初出演。一躍、世界的な人気者になった)は、まだ顔を合わせていないマクレーンとこんな具合に無線でやり取りする。
「貴様は誰だ? 子供の頃からアクション映画を観すぎてる、ただのアメリカ人か? 自分をジョン・ウェインだと信じ込んでいるカウボーイか? それともランボーのつもりか?」
するとマクレーンはこう答える。
「俺のお気に入りはロイ・ロジャースだよ」
ロイ・ロジャース(1911年生~1998年没)とは“歌うカウボーイ”との異名で子供たちからも大人気だった往年のスター俳優・歌手。ジョン・ウェインや、『ランボー』(1982年/監督:テッド・コッチェフ)のシルヴェスター・スタローンのようなマッチョ派とは異なり、柔らかく親しみやすい持ち味で、コメディの出演作が多かった。まさにこれはブルース・ウィリス扮するジョン・マクレーン刑事というキャラクターについての自己言及でもある。
ホリー・ジェネロ=マクレーン(ボニー・ベデリア)/『ダイ・ハード』(1988年)
そもそもブルース・ウィリスは、別にアクションスターとして登場した俳優ではない。最初の出世作はテレビシリーズ『こちらブルームーン探偵社』(1985年~1989年)。ミステリー仕立ての軽妙洒脱な都会派コメディで、彼が演じるのはお調子者の私立探偵デヴィッド・アディスン。飄々とした軽みで人気を得ていたテレビ俳優が、いきなり『ダイ・ハード』の主役に大抜擢されたのだ。実のところ、最初はシュワちゃんやスタローンといった当代きってのアクションスターの大物にオファーしていたらしいのだが、彼らにことごとく断られたことが功を奏した。
鋼鉄筋肉ハイパー野郎ではなく、等身大の人間味あふれる柔和な表情で驚異的なスタントをこなす、新時代のアクションヒーローの誕生である。特に後半、マクレーンが妻のビジネスキャリアを快く優先してあげられなかったことを反省するくだりなどは、いまの目で観ても新しい。#MeToo以降、問い直しが進んでいる“トキシック・マスキュリニティ”(有害な男らしさ)への批評的な視座が、この時点のアクション映画で打ち出されていたことはなかなかの驚きと言える。
さて、“絶対基準”のツメアトを残した名作の常として、『ダイ・ハード』から露骨に影響を受けたフォロワー作はやはり数多く生まれている。パッと思いつくところだと、ジャン=クロード・ヴァン・ダム主演の『サドン・デス』(1995年/監督:ピーター・ハイアムズ)とか、ドウェイン・ジョンソン主演の『スカイスクレイパー』(2018年/監督:ローソン・マーシャル・サーバー)あたり。また“列車”系だが、伊坂幸太郎原作のエキゾチックジャパンな快作にして怪作『ブレット・トレイン』(2022年/監督:デヴィッド・リーチ)でブラッド・ピットが演じた“運の悪い”殺し屋レディバグは、自ら災いに飛び込んでいく“世界一運の悪い男”=ジョン・マクレーン刑事の系譜を受け継ぐキャラクターのように思えてならない。
写真左:アル・パウエル(レジナルド・ヴェルジョンソン)/『ダイ・ハード』(1988年)
『ダイ・ハード』傘下の後続作で、クオリティの最高値を叩き出したとびきりの成功例と言えば、『ダイ・ハード』の撮影担当だったヤン・デ・ボンが監督を務めた『スピード』(1994年)に尽きるだろう。「バスの『ダイ・ハード』」とも評される『スピード』は、まさに限定空間のミニマリズム・アクションを応用した改良形であり、役者の配置的にもブルース・ウィリスがキアヌ・リーヴスに、アラン・リックマンがデニス・ホッパーに当たる。逆に言えば、『ダイ・ハード』がなければ『スピード』もなかった、というのが重要視すべき映画史の真実である。
『ダイ・ハード2』(1990年)
本家の『ダイ・ハード』自体は、第一作の好評を受けた続編『ダイ・ハード2』(1990年/監督:レニー・ハーリン)からシリーズ化され、『ダイ・ハード3』(1995年/監督:ジョン・マクティアナン)、『ダイ・ハード4.0』(2007年/監督:レン・ワイズマン)、『ダイ・ハード/ラスト・デイ』(2013年/監督:ジョン・ムーア)と計5作発表された。さすがに“絶対基準”を凌駕する質のものは出現しなかったが、どの作品もちゃんとブルース・ウィリスがマクレーンを演じてくれているのだから、一見の価値アリなものばかり。
『ダイ・ハード3』(1995年)
続編の中で筆者が特におすすめしたいのは『ダイ・ハード3』である。本作ではマクレーン刑事のホームであるN.Y.の街が舞台。彼は一度仲直りした妻ホリーとまたケンカして別居状態にあり、単身の寂しさから酒浸りの荒れた生活を送っているという設定で、どこか全体に第一作のパロディっぽい悪ノリ感があるのだ(監督も同じジョン・マクティアナン)。ジェレミー・アイアンズ扮する悪役サイモンは、第一作の敵役ハンスの兄という設定であり、マクレーンと相棒のゼウス(サミュエル・L・ジャクソン)は、サイモンが仕掛ける嫌がらせのようなゲームやクイズに振り回されるという笑える展開。コミカルな味わいが強く、日本では劇場興行収入48億円というシリーズ最高の成績を記録した。
『ダイ・ハード4.0』(2007年)
『ダイ・ハード/ラスト・デイ』(2013年)
ちなみに周知のとおり、本年(2022年)3月30日、ブルース・ウィリスは失語症と診断されたことを理由に67歳で俳優業の引退を発表。またアラン・リックマンは、『ハリー・ポッター』シリーズ(2001年~2011年)でのセブルス・スネイプ先生役などで世界中に親しまれたあと、2016年1月に69歳で亡くなっている。なんとも寂しいかぎりだ。今年のクリスマスには、また改めて『ダイ・ハード』を観て(そしてシリーズ込みで)、興奮と感動の一夜を過ごしてみるのはいかがだろう。
『ダイ・ハード』
製作年/1988年 原作/ロデリック・ソープ 監督/ジョン・マクティアナン 撮影/ヤン・デ・ボン 出演/ブルース・ウィリス、アラン・リックマン、アレクサンダー・ゴドノフ、ボニー・べデリア
Photo by AFLO