左/売れない芸人ドニー(リチャード・ガッド)、右/自称・有能で多忙な弁護士マーサ(ジェシカ・ガニング)
“私のトナカイちゃん”。ちょっとかわいらしい、けれどちょっと奇妙で風変わりな響きのタイトルの本作は、製作・脚本・主演を担っているリチャード・ガッドの実話を基にしたストーリーだ。有名キャストは一切出ておらず、前評判もなく、小品ではあるにも関わらず、配信がはじまると高く評価された注目作だ。
第1話の冒頭、ガッド演じる主人公のドニーが警察の窓口で、ある人物にストーキングを受けていると相談するシーンからはじまる。
きっかけはたった1杯の紅茶。パブで働いている売れない芸人のドニーが、悲しげな顔でお金がないと言う中年の女性客に同情して、紅茶をご馳走する。それをきっかけにその女性客マーサは毎日のようにパブを訪れ、自分のことを有能で多忙な弁護士だと語り、武勇伝や有名人との交流を吹聴する。明らかにホラ話だとわかる内容に、クセツヨの高らかな笑い方(印象的すぎて一聴の価値あり)。勝手にドニーを“Baby reindeer”(私のトナカイちゃん)と呼び、親しげに振る舞う。一見してヤバい人物だとわかるが、ドニーはそんな彼女に曖昧な態度で接してしまう。
やがて突如、大量のメールが届くようになり、よせばいいのにSNSでも承認してしまうと、これまた異様な量の反応とポストが押し寄せる。ちなみにマーサのケータイ電話はiPhoneではないのにメールの最後に必ず「iPhoneから送信」と打たれている。iPhoneユーザーならわかるが、設定を変えないとテキストメッセージの最後に自動で打ち込まれてしまうこの“署名”。マーサの虚栄心なのか、異常さの表れとしてジワジワと効いてくるし、たびたび打ち間違いをしている文面も、ジワジワと怖くなってくるひとつ。
次第に彼女はエスカレートし、ドニーと付き合っていると思い込み、性的なことを話し出し、周りの従業員もマーサが危険人物であると知りながら囃し立てたりしているうちに、いよいよマーサは勘違いと妄想を炸裂させていく……。
というのは第3話までのあらすじ。第4話以降、ドニーの過去が描かれると、視聴者がドニーの態度や、マーサとのやり取りに抱いていた微かな違和感の正体がだんだん明らかになる。なぜドニーはマーサの異常なストーキングを助長させてしまうのか。なぜだいぶ時が経ってから警察に相談しに行ったのか。ストーカー被害に遭っている気弱で気の毒な男の話は、ある犯罪の被害者となってトラウマを抱え、自己実現に失敗した男が心の隙に付け入られ、共依存に陥っていく話へと変貌していくのだ。
前半と後半では、それぞれ違う意味でゾッとする展開であり、特にドニーのトラウマや、その反動での行動や心理描写はかなり深刻だが、イギリスらしいドライで軽妙な語り口によってつい引き込まれて一気に観てしまう。ドニーとマーサはどうなるのか。ふたりにどんな結末が待っているのか――。
鬼気迫る異様な存在感を放つマーサを演じるジェシカ・ガニングがとにかく圧倒的! あの奇妙な笑い方や、怒りや屈辱に歪む表情、悲しみにくれる眼差し、ドニーに迫る迫力ある肉体。エミー賞候補になったのも納得だ。
そしてドニー役のリチャード・ガッド。もともとは彼が自身の体験としてひとり語りで披露していた実話が評判になり、シリーズ化した本作。実体験がベースだが、演出としてあえてドラマチックにしている箇所や、伝聞も交えていると明かしているものの、トラウマを追体験しなければならなかった心情は計り知れない。
ちなみに本国イギリスではマーサがあまりにと特徴的だったため、ネットで本人が特定され、現在、その本人が自分こそが被害者であると名誉毀損でネットフリックスを相手に訴訟を起こしているのだとか。そちらの結末やいかに。
『私のトナカイちゃん』(全7話)
ショーランナー・製作総指揮・脚本・出演/リチャード・ガッド 出演/ジェシカ・ガニング、ナヴァ・マウ、トム・グッドマン=ヒル 配信/ネットフリックス
2024年/イギリス/全7話
© 2022 Netflix, Inc.