MLBの挑戦者たち 〜メジャーリーグに挑んだ全日本人選手の足跡
Vol.9 佐々木主浩/メジャーでも仁王立ちの大魔神
- TAGS:
- Culture MLB Athlete Safari アスリート Sports
【Profile】佐々木主浩(ささき・かづひろ)/1968年2月22日生まれ、宮城県出身。日米通算50勝54敗381セーブ(1990〜2005年)
日米通算381セーブの大記録を打ち立て、野球史に大きな足跡を残した“大魔神”こと佐々木主浩。MLBでの実働は4年間と長くないが、日本同様“Daimajin”の愛称でシアトルのファンに愛された。最速154㎞のストレートと、“2階から落ちる”と評されたフォークボールが武器。マウンドに仁王立ちする姿には、相手チームを諦めの心境に至らしめる凄みがあった。
2000年4月6日にメジャー初セーブを記録
佐々木がMLBに挑戦したのは1999年のオフ。31歳だった。すでに横浜(大洋ホエールズ/ベイスターズ)で10年間に229セーブを挙げており、その実力は誰もが認めるところ。佐々木はチームや背番号22に強い愛着を感じており、球団社長も「選手登録を1人分余らせておくから」と快く送り出した。ところが球団はその背番号22を、佐々木の穴埋めとして獲得した新外国人、ペタンコート投手に渡してしまう。様々な憶測が流れたが、佐々木本人は当時「もう横浜に戻ってもつける番号はない。そうとなればメジャーに骨を埋めるしかないと思いました」と語っている。
”大魔神”の愛称はメジャーでも浸透
MLB初年度となった2000年、佐々木はシアトル・マリナーズのクローザーとして華々しい活躍を見せる。チームに絶対的な守護神がいなかったのも幸いした。2試合目の登板となった4月6日、3点差の9回に登場し、3者連続三振で見事に初セーブを挙げた。5月に入ると、続けざまにサヨナラ本塁打を許してしまい、激怒したピネラ監督に中継ぎ降格を言い渡される。しかしすぐにクローザーに戻され、以降は順調にセーブを積み上げる。63試合に登板し、2勝5敗37セーブ、防御率3.16。野茂英雄以来となるアメリカンリーグ新人王に輝いた。
2001年、シアトル・マリナーズの本拠地セーフコ・フィールド(現T-モバイル・パーク)で行われたオールスターゲームにイチローとともに選出される
翌2001年、大魔神がさらなる猛威を振るう。4月にメジャー最多記録となる月間13セーブを挙げると、5月にはメジャー史上2番目に早い50試合目での20セーブに到達。オールスターゲームに選出され、そこでもセーブを記録している。8月には日米通算300セーブ、球団新記録となる38セーブに到達した。このシーズン、マリナーズはMLBタイ記録となる116勝。このとんでもない強さを支えたのが、驚異的な活躍を見せた新人のイチローであり、45セーブを挙げた佐々木主浩であった。ただ、ワールドチャンピオンが期待されたポストシーズンでは、ニューヨーク・ヤンキースのソリアーノにサヨナラ本塁打を打たれて敗戦投手に。チームは翌日も負けて敗退している。
2001年10月21日、ニューヨーク・ヤンキースとのポストシーズン第4戦で、9回の裏にソリアーノに2点本塁打を打たれる
2002年も好調の佐々木は、史上最速となる160試合目での通算100セーブに到達。オールスターにも選ばれ、37 セーブを記録してシーズンを終えた。後半戦に右肘の違和感から調子を崩しており、オフに遊離軟骨除去の手術を受けている。翌2003年は初登板でセーブに失敗するなど、本来の力が出せないまま故障者リスト入り。すぐに復帰し、調子を取り戻してきた矢先、思わぬアクシデントに襲われる。自宅でスーツケースを運んでいた時に転倒し、右脇腹を強打してしまったのだ。ファンや首脳陣からは「がっかりだ」と落胆され、佐々木自身も「恥ずかしい、ほんと馬鹿だね」と後悔する事態となった。8月には復帰するも、クローザーはこの年からチームに加わった長谷川滋利が務め、佐々木はセットアッパーに。シーズン最終登板も6点差リードの場面。これがMLBで最後の登板となった。
2002年7月8日、ミラー・フィールドで行われたオールスターゲームに選出。イチロー、アレックス・ロドリゲスらとホームランダービーの打撃練習を見つめる
翌年1月、まだマリナーズとの契約が残っていたが、佐々木は自らの退団と日本球界への復帰希望を表明する。「日本で家族と一緒に暮らしたい」とマリナーズに伝え、球団もそれを了承したという。自由契約となった佐々木は、古巣の横浜に入団。吉見祐治がつけていた背番号22を譲り受け、2年間で25セーブを挙げている。2005年シーズン中の8月、現役引退を表明。9日の巨人戦で、高校時代からの親友であった清原和博から三振を奪ったのが、事実上の引退登板となった。
2003年4月8日、ホーム開幕戦でチームメートの長谷川滋利とハイタッチを交わす
クローザーというポジションにかかる重圧は、ファンである我々には計り知れない領域だ。佐々木は某誌のインタビューで「生まれ変わったら野球はしない。しんどい(笑)。でも野球をやるならストッパー(クローザー)かな」と語っている。野球をする喜びも苦しみも知り尽くした、彼らしい言葉といえるだろう。なお、引退後の佐々木は野球解説やYouTubeチャンネル、競走馬やレーシングチームのオーナーなど、多方面でおおいに活躍している。
photo by AFLO