『トップガン マーヴェリック』が映画史に刻んだもの。そして、トム・クルーズが時代を超えて愛され続ける理由(中)
時を経た今だからこそ語る価値のあるストーリー
続編を望む声は第1作の大ヒット直後から絶え間なく存在した。だがトム・クルーズがなかなか首を縦に振らなかった。大切なのは語るべきストーリー。生半可な企画やありきたりな構想で完璧主義者の彼を本気にさせることなんて到底不可能なのだ。
あれから36年。今回、幕が上がってまず胸にグッときたのは、実際の時間の経過と同じく、登場人物が我々と同じ歩調で歳を重ねていたことだ。
そこでは、かつて首席パイロットだった主人公がすっかりアウトサイダーと化している。言うなればその姿は『ライトスタッフ』(1983年)で孤独に音速の壁に挑み続けた飛行士チャック・イェーガーとも微妙に重なる。
しかし興味深いことにトムは、数々のアメリカ映画を彩ってきた孤高のヒロイズムの域で立ち止まったりはしないのだ。早々にその場所からテイクオフし、仲間や愛する人と共にあること、そして若き飛行機乗りたちを力の限り”導く”ことを選び取るのである。
そのストーリー展開は、あたかも36年前の時点で後編がしっかりと運命づけられていたかのように、非常にナチュラルだ。あちこちに仕掛けられた伏線や懐かしいエピソードを丁寧に回収する様にはとても心に触れるものがある。その上、本作の「かつての学舎に型破りな教官となって舞い戻る」という洗練されたシンプルさは、新たな観客層をも拒むことがない。
前作を知って臨むに越したことはないが、たとえ詳細を知らなかったり、記憶が曖昧だったとしても、話の流れは何の障壁もなくスムーズに入り込んでくるはず。もしかすると『マーヴェリック』を観た上に第1作に舞い戻るという、いわゆる『スター・ウォーズ』的な遡り方も全然アリなのではないか。そう思えるほど、二作品は歴史の反復、あるいは合わせ鏡のような構造を有し、互いをちょうどいいバランスで補い合っている。
また、続投俳優を最小限に抑えたのも成功の鍵だろう。これはいわゆる同窓会的な映画ではないのだ。
その結果、再会の感動を一点に凝縮させるかのようなヴァル・キルマーの登場にはこちらの思いも決壊した。ヴァル自身、トムに負けず劣らずの人気俳優として80年代、90年代を切り開いてきた人であり、36年前にはトムとのバチバチのライバル関係が取り沙汰されたのも懐かしい。当時、二人が撮影以外で親しく交流することは一切なかったらしい。
実生活では2015年から咽頭癌と闘い続けてきたヴァル。今回、トムも彼との再共演を切望する一人だったとか。思いは通じた。そこで絞り出すように贈られる”一言”の深みも相まって、待望の共演シーンは二人の軌跡がここにきてしっかりと交わった、最もリアルで崇高な瞬間となった。(後編に続く)
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